見出し画像

人はみんな自分勝手

私も含めて、です。

勝手にセンシティブになってる私の呟きです。
いつもより口調がきついかもしれません。
いつもより文章に怒りがにじみ出ているかもしれません。

ここ数日で疲れ切っている方の閲覧はお勧めしません。
この先に進むか進まないかは「自己責任」でお願いいたします。


これ以上何も起こりませんように。
被害にあわれた方々が1日も早く日常を取り戻せますように。

亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。


観た私が悪いけれど「あれれ…?」

ちょっとTVを見る時間がありました。
自ら見るというよりは家族が流しているのを食事時に聞いていたって方が正しいです。
話題が地震と飛行機追突事故のことなのは当然なのですが…現実逃避したいとかじゃなく「やっぱり見るんじゃなかった…」と感じてしまいました。
私が見ていた時間に放送されていたのは後者の衝突事故についてです。
元飛行機関連のお仕事をしていた方々を解説役として招き、コメンテーターが質問や疑問点を投げかける形の番組。
ちょっと話は逸れますが私は飛行機に乗れません。
空の上に連れていかれるというのがもう怖すぎて……旅行はもっぱら新幹線派です。
でも地上にいるから安全なんてことは絶対にないんですよね。
それでも空の上より「私は」気が楽だという理由で新幹線を選びます。
ただの私の気の持ちようってやつです。

という私の個人的な事情は置いておいて

飛行機を利用しない私でも鉄の塊を飛ばすのに真剣に取り組まない職員さんはいないと思っています。
今回起こった事故の原因究明や今後同じ事態に陥らない対策はもちろん絶対に必要です。
けどJAL機と自衛隊、どちらがより悪なのかを元飛行機関係のお仕事をされていた方に断言してほしいような質問や言葉がけは観ていて悲しくなってしまいました。
事故には必ずそうなった原因があるのでしょう。
しかしあくまで「起こり得るケース」のお話をされている時に「じゃあ何でこのシステムはないんだ」とか「そもそも職員が少ないのは関係者が自分達を過信しすぎた結果じゃないのか(もうちょっとニュアンスは違ったはずですが私にはそうやって責め立てているようにしか聞こえなかった)」とか………。
今も現場で必死に対応に当たっている人がいます。
なのに「素人でも分かることを先に予測できなかったのか」「あれがあれば、これがあれば」の繰り返しで正直答える方も困っていたように見えました。
たらればが既に実現している世界ならそもそも今回の事故は起こらなかったかもしれない。
「今」「システムが確立されていなかった」のも事故の原因の一端でしょう。
けどないものを「持ってこい!」と言っても亡くなった方々は戻ってきません。
「今後どうするのか」を考えるしか私たちにできることはないように思います。
極論「コメンテーターのあなた方も飛行機、使いますよね?今回の事故がなかったらそういう風に考えましたか?」です。
ですがさすがは元飛行機関係のお仕事をされていた方という感じでものすごく落ち着いていて、ちょっと言い回しを変えて何度もぶつけられる意地悪な質問に丁寧に回答されていました。
声の調子も一定で、コメンテーターが言わせたいんだろうなって言葉は見事に回避、現時点で分からないことには「分からないので私の経験上のお話以外はできないし、それが今回の事故に全て当てはまる訳じゃない」と言い切る。
お見事でした。
まぁこれすら台本があって、私が諸々敏感に感じ取りすぎているというだけなんでしょうけど。
こういう感情的になってしまう人間が格好のターゲットですね(笑)

助かった命にもっと目を向けてほしい

残念ながら自衛隊の方々には被害が出てしまった。
JAL側には助けられなかったペットもいた。
でもJAL機に乗っていた方々は全員助かっています。
犠牲は仕方ないと言いたいわけじゃありません。
ですがあんな絶望的な状況の中、すごいことを成し遂げたと少しでも思えないものでしょうか?
TVは飛行機内のパニック映像とか衝突の瞬間とかを繰り返し流しています。
ショッキングな部分ばかりにフォーカスされがちですがあの状態でも冷静さを欠かなかった客室乗務員さんの素晴らしい対応は記憶に残りませんか?
あとは子どもが「おろしてください」と叫んでいる映像。
私はある意味感動しました。
あの子は流れている音声を聞く限りずっと「敬語」でお願いしていました。
窓の外に火の手が上がり、大人達も尋常じゃない様子になっているなんて怖くて怖くて仕方なかったでしょう。
幾つくらいのお子さんなのかは分かりませんでしたが幼くして「死」をとてもとても身近に感じたことでしょう。
その子が一生懸命助けを求める声を執拗にクローズアップする必要があるのか?
人間の心理として「助かりたい」と声を上げるのは当然のことじゃないのか?
そもそもあの音声はどういう意図であんなに使われているのか?
子どもがこんなに怖がっていたというのを見せつけたいのか?
全てが「???」状態ですがあの子の混乱しても終始敬語という姿勢はお店などで理不尽なクレームを入れている大人達に見習ってほしいくらいです。

生き残ることは罪なのか?

自衛隊側で生き残ったのは機長さんだったそうですね。
「他の人が全員命を捧げたのに機長が生き残るなんて」という声も聞きました。
今回は「自ら進んで命を捧げた人」なんていません。
そして未だにリーダーが生き残ることの罪、真っ先に命を落として当然というまるで戦時中のような意見がまかり通るのが信じられません。
亡くなった方々のご家族が機長さんを責めてしまうのはどうしようもない部分もあると思います。
だって怒りをぶつける矛先がそこしかないから。
ですが全くの部外者が機長さんの生還を責め立てるのはおかしくないですか?
万が一、事故の大きな原因が機長さん側にあったとしてもまず「生きていてよかった」とはならないのでしょうか?
もちろん機長さんには生き残ったからこそ今回の事故の原因究明など様々な協力はしてもらわないと困ります。
だからなおのこと「生きていることを責める」のは本当に愚かしい行為です。
もし世間の心無い声で機長さんが生きる気力を失ってしまったら……過去にも数えきれないほど様々なジャンルでたくさんそういう事例はありましたよね。
「亡くなった方が自分の身内だったら」という想像はできるのに「生き残った方が自分の身内だったら」の想定がないのは妙な感じがします。
亡くなった方、生き残った方、どちらにも想像を絶する辛さがあると思うんです。

ペットと機内で過ごすことについてもです。

実際ペットを亡くした方々が声を上げていないのに有名人を筆頭に周りが「ペットは家族なので客室へ」と騒ぎすぎて「ペットを飼う人は常識がない」「本当に愛しているのなら荷物扱いされる飛行機になんか乗せない」などかなり白熱していますね。
私は過去に猫を飼っていました。
元々出不精なので何日も家を空けることすらなく、旅行に行きたいなんて気持ちもなく……最期までほぼお家で一緒に過ごしました。
ですがあくまで「人は人、ペットはペット」という考えです。
人のものは何としてでもペットに与えなかったし、部屋も分けていました。
私たちの場合ですが人の領域、ペットの領域を明確にすることで共同生活が成り立っていました。
ペットに関してはここ数年で更に多種多様なとらえ方があり、その分意見が分かれるのは当たり前。
ただ今回の事故に関して言えば勝手な想像でペットという名の家族を失った人を糾弾するのは絶対に違います。
今その方々が深い悲しみの中にいるのが理解できませんか?
元々どういうお考えをお持ちの方か知る術もないですが当事者置いてけぼりで周囲がこんなことになってしまってはお別れの時間や心の整理をすることすら満足に叶わないのではと心配しています。
ペットを旅行に連れていく人・連れて行かない人、飼っている人・いない人・アレルギーがある人・ない人、「家族」と思う人・「あくまでペット(人間とは別)」と考える人……その人達が個人個人の理由で利用される交通手段だからこそ一瞬の感情で爆発するんじゃなくて「人間にもペットにも有効な手段」を見つけるために手を取り合えると素敵ですよね。
これも理想論中の理想論かな……。


何だか纏まりがなくなってきたので今日はこのへんで。
あくまで「私」「ななし」の個人的な考えで、押し付けるつもりはありません。
そう感じてしまった方がいたら申し訳ないです。

私もこんな時だからこそ冷静でいないと、と心に刻みます。

お気に留めてくださり、ありがとうございます。 サポートいただいた分は今後の執筆活動を充実させるため、有効活用していきたいと思います。