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その朝日は今、地震が来たらどうする。もう原発はいらないと言いたてる。そんなに地震が怖ければ日本から出ていけ。

以下は、2022/12/15に出版された、高山正之の下記の本からである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであることを証明している。

随分前に、世界中のプリマから大変な尊敬を受けているモナコ王立バレエ学校の老女性教授が来日した。
その時に彼女が芸術家の存在意義について語った言葉である。
『芸術家が大事な存在なのは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する事が出来る唯一の存在だからです。』
彼女の言葉に異議を唱えるものはいないだろう。
高山正之は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるだけではなく、戦後の世界で唯一無二の芸術家と言っても全く過言ではない。
一方、大江…彼については、故人を悪くは言いたくないが(下記の高山正之に倣って言えば)村上等、作家と称する人間達、自分達を芸術家だと思いこんでいる人間達の多くは、芸術家の名にも値しない存在なのである。
何故なら、彼らは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する、どころか、朝日新聞等が作り出した嘘を表現して来ただけの人間達だからである。
彼らの様な存在は、日本に限らず、世界中の国においても同様なはずである。
つまり、真の芸術家とは、極少数しか存在していないのである。
私が、今の世界で、最もノーベル文学賞に相応しいのは、高山正之を措いて他にはいない、と言及している事の正しさを、本論文も見事に証明している。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。
見出し以外の文中強調は私。

地震が怖くて日本に住めるか!
社会部の記者だったころ、丹沢の村を鉄砲水が襲った、かなりの死者が出たという一報があった。 
お前、行ってこいとデスクに言われ、悪路に強いトヨタのランドクルーザーと、ミカン箱ほどのモトローラ無線電話機を手配して出かけた。
ドコモなどない時代の話だ。 
ところが麓から現場までの約10キロの山道は鉄砲水を生んだ中川川(なかがわがわ)の激流で何か所も崩落していた。 
車を諦めて歩く。
崩落個所は自衛隊レンジャーの張ったロープにすがって渡る。 
眼下で濁流が吠える。
地響きが伝わってくるのは川底を一抱えもある岩が転がり落ちているからだと後で聞いた。 
洪水のあと橋桁(はしげた)が裸木で埋まるのをよく見る。
あの木は実はついさっきまで葉も枝も樹皮もあった。
それが濁流に呑まれ、この転がる岩に芋洗いされて一瞬にして素っ裸にされたのだ。 
もう一歩も歩けなくなったころ、やっと村に着いた。
雨は上がっていた。
道に沿うて軒の深い家並みが続き、家々の生垣の緑と花が明るい陽射しを受けていた。 
「泣きたくなるほど美しい」とブルーノータウトが言った日本の景色が広がる。 
その道の先が一か所だけ横切るように抉(えぐ)れていた。
鉄砲水はその両側の何軒かを呑みこんであの激流に落とし込んだのだ。 
被害はその一筋だけ。
隣も向こう隣も無傷だった。
抉れたところで自衛隊員が作業している。
その傍らに縁台が置かれ、お茶とお新香が並び、何人かの女性が彼らの労をねぎらうためにお握りを握っていた。 
流された人の身内という一人がご苦労様ですとこちらにもお握りを勧めてくれた。 
被災地に行って、被災者から炊(た)き出しを受けたのははじめての経験だった。 
ほんの通り一本で私の家は助かりましたと語る表情はごく穏やかだった。 
3万人が死んだ安政大地震について「それでも彼らは落胆もせず、不幸にも泣かず、意気阻喪することもなくすぐに仕事に取り掛かった」と『ペルリ提督日本遠征記』は伝える。 
明治初期、銀座大火の折、米国人クララ・ホイットニーは焼け出された人たちが「快活に笑い、助け合って、まるで大きな一つの家族のようだった」と記録する。 
丹沢の山奥で見た日本人の姿と重なる。 
それがどこから来かのか。
大森貝塚を見つけたエドワード・モースは日本の自然の美しさに感嘆しながらも「地震や大津波、台風に火山の噴火、大洪水と、日本は地球上のどこよりも危険な国」だと書いている。 
そんな危ない国に住む人々について、モースとほぼ同時期に来日したスイス公使エメ・アンべールは子どちたちがまずいろは歌を学ぶことに注目している。 
色はにおえど散りぬるを 我が世だれぞ常ならむ…… 
それはこの世に永久的なものはなにもないという無常観であり、それを子どものころから繰り返し教えられてきたから「日本人は人生の苦難や困窮に遭っても何らの不平を持たず、死ですらも宿命的な性格が与えられて平凡な日常の些事(さじ)として見ようとしている」と結論している。 
柳田国男の説話集によれば、日本の神様はふだん神社にはいない。
祭礼があるとその前夜に戻ってくる。
神社の御神木や御柱(おんばしら)は神様が迷わないよう、目印のためにある。 
ただ神さまが渡られるのを見るのは禁忌で、見たものは1年以内に死ぬとされる。
説話集にはその禁を破って神社の前に佇(たたず)む人々が描かれている。 
老いや病で家族に迷惑をかける。
そうならないように1年以内に死んでいきたいという思いからだが、これもアンべールのいう日本人のもつ死生観に通じる。 
その老人医療費で日本がパンクしそうだからと政府が少し手直しした。
通院ごとに百円出してと。 
そしたら「死ねというのか」と朝日新聞にけしかけられた老人が吠えた。
昔は他人様にたかるなど以ての外だったのに。 
3・11では人々は「大きな家族」になって助け合ったが、朝日は東電だけ家族から外した。
無常観より賠償金をたかった方がいいとさもしさをくすぐる。 
その朝日は今、地震が来たらどうする。
もう原発はいらないと言いたてる。 
そんなに地震が怖ければ日本から出ていけ。
(2012年8月2日号)

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