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完結編・神様からの「休んだら」の一言

手術から間もなく1ヶ月が経とうとしています。
無事に手術は成功し、術後の経過良くほぼ予定通りに退院でき、今は自宅にて療養中です。
おかげさまで、元気です。

難易度の高い手術、合併症リスク、当たり前の日常に復帰できるか、など考えれば考えるほど不安が募り、一時期、かなり精神的に不安定な時期もありました。けれど、担当医の丁寧な説明と家族や友人のあたたかい支えがあり、最終的には心を整えて手術に臨むことができました。
たくさんの人に支えられていることにあらためて気づかされ、本当に「有難い」の一言に尽きました。

今回の出来事を境に、私の内側の何かが劇的に変わったわけではないけれど、今この療養期間という〝制限〟があることで、これまでできなかった贅沢な時間の使い方をする日々を送っています。

「丁寧な生き方をする」といった、たいそうなレベルではないのですが、朝日で目覚めたら太陽の光をしっかり浴びる、ゆっくりご飯をおいしく食べる、天高い秋の空を見ながらお散歩する、合間に趣味を謳歌し、見たかった映画を見て感動したり、Audibleで1日1冊耳を傾け本を読んだり。緩やかな時の流れとともに日常の中の小さな幸せを見つけて心を温かくする。こんな時間の使い方をとても新鮮に、そして贅沢に感じている私がいます。

これまで、仕事中心の日々はいつも時間に追われながら、とにかく急いで何かをし続けていて。仕事と家事の合間を縫ってお友達と遊びに出かけたり、そんなパツパツの日常を充実していると感じることもしばしば。一方で、常に何かに追われ続けいつも頭をフル回転して気疲れしている自分や、体に蓄積する疲れが取れにくくなっていることに薄々は気がついていたものの、「まだいける」と過信し「こんなもの」と放置していました。
それが予想外に「健康」という当たり前の土台を失った途端、脆くも自分が崩れてしまっことで、何か私は間違っていたのかもしれないと思えるきっかけになりました。

今は、まだしばらく続くこの「療養期間」という名の、やりすぎたり無理できない、私にとっては良い意味での〝縛り〟がありながらの「大人の自由な時間」の過ごし方を考えるときのワクワクした感覚を、まるで子供の頃の夏休みの初日のように感じています。笑

思うに。神様からの「休んだら」の一言は「こうでもしないと、あなた、大事なことに気がつけなくなってたよ」という警告だったのかもしれない。

自分を大切にすること、そして、自分同様に自分以外の人を大切にすること、限られた時間を大切にすること、まだまだ先の長い人生「生きる」ことそのものを大切にすること…自分にとっての「大切なもの」を強く意識できるようになったような気がしています。


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