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自己紹介 はじめまして

初めて訪問くださったみなさま
ありがとうございます。
noteをはじめました。


自己紹介

1970年代生まれ
アラフィフ女子

笑った顔はお褒めいただくことが多いのだけど、化粧をがんばってもお目めが「しじみ」のように小さいです👀💕

どんな人?

▶︎challengeし続ける、夢みるのんびりマイペースな、繊細さん

・ここ数年よく聞かれるようになった「繊細さん」しかし、「これ🧡」と目標定めるととことん挑戦し行動力を発揮する一面も

・赤ちゃんからおじいちゃん、おばあちゃんまでごちゃ混ぜのすべての人が笑ってよろこぶ姿が大好物♡

・子どもみたいなホントの自分を隠して「しっかりしている」と言われ続けた人生前半戦。

 後半戦は素直にchallenge中おもしろいことが次々起きている現在進行形

 ▶︎経歴

▶︎学生時代
バイトとスノーボードに明け暮れる。バイト代でグランドキャニオンへ。セスナからの大自然に「わたしの悩みなんぞちっぽけだ」と感じる


▶︎就職と転職
卒業後、不動産業界へ就職後に経済産業省主催「過疎地域活性プロジェクト」に応募し倍率10倍を突破。岐阜県の村役場へ転職

牛の去勢、山林保全活動、特産品の開発、山菜採り、木通(アケビ)の蔓を編んでリースを作りなど、20代のわたしは街の煌びやかな遊びに目もくれず牧場で過ごす。(この頃「今井美樹に似てるね」と言われ調子に乗った:1回目のモテ期)


▶︎結婚
3年医療事務で個人院経営を経験する。看板娘として患者様や同僚から可愛がって頂く(2回目のモテ期)

▶︎出産 
 1、人生1度目のまさか!
初めての子どもが、重度障がい、寝たきり、3日の命。人工呼吸器が一生必要と告げられた1998年。ショックでほぼ記憶のない時期。

付き添い入院1年後、人工呼吸器と一緒に自宅に帰り生活をスタート。当時、数少ない訪問看護師さんやヘルパーさんの支えで生活。自宅から出るのは、買い物や市役所・銀行など手続きだけ。

 2、長男からのギフト
在宅に必要な物品(酸素バック、血中酸素濃度測定器、カテーテル、経管栄養バック等)が高額すぎて生活するだけで必死の毎日。長男の手となり足となり「必要な人へ必要な行政制度が欲しい」と、1日2-3時間の睡眠時間の中、当時の市長様へラブレターをしたため嘆願。

結果、市長様が自宅訪問くださり、行政給付制度を変える。山田花子ちゃんだったわたしに交渉するチカラがついたのは、間違いなく長男からのギフト。

 3、大音響の中、大号泣
「生きる」ことで精一杯の日々。2〜3時間に1度の喀痰吸引で1日3時間の睡眠でメニエル病に。知り合った先輩ママやパパの励ましや情報共有で生きる喜びを感じるゆとりが少しずつできる。

先輩パパママの企画で長男と人工呼吸器をつけて初めて行った東京ディズニーランド。長男と一緒に人前で笑うことができた瞬間。出産したことを友だちにも言えず辛かった気持ちが一気に溢れ出る。大音響のエレクトリカルパレードの中、誰にも気づかれず、大号泣しながら観た2000年。

 4、ダブル育児期
長女を授かり、医療ケアの必要な息子と長女のダブル育児で睡眠時間ほぼゼロ期。健康な長女の育児と、医療が必要な長男の育児に戸惑いながら、同じ屋根の下で暮らせる喜びを感じる。

と、同時にオムツ交換・授乳・入浴・人工呼吸器のチェック、定期的な喀痰吸引処置・対位交換などなど、慢性寝不足と訪問看護婦さんやヘルパーさんが常時家にいることで気を使い精神的な疲労が重なり、心と身体が人生史上最大不健康に。


 5、お別れ
たくさんの出逢いと生きる喜びというプレゼントを残し、長男が旅立つ。享年2歳8ヶ月。2001年の蒸し暑い夏の日のあの空気感は今でも忘れない。

 6、1度目の家出
次女を授かり、夫が土日勤務のためワンオペ育児スタート。初めての育児を200%全力投球。

夫の子育て協力が得られないことが重なり、プッツリと心の糸が切れる。子どもたちへ皺寄せがいくことを申し訳なく思いながら、1度目の家出。

 7、育児は続くよどこまでも
「手伝えることはやるから」という夫と、和解。娘たちにグローバルな視野を!と、2005年開催の愛知万博は娘2人を自転車の前後に乗せ、往復25キロを半年間通う。各国の文化に触れ韓国パビリオンスタッフとは家族ぐるみで今も交流が続く


同時期、アジアやヨーロッパからの学生や社会人をホームステイを受け入れ。自宅でホームパーティをしながら自分のあり方を模索。


▶︎義母の介護と子育て
 1、人生2度目のまさか!
娘2人の子育てに必死の頃、末期癌と診断された認知症の義母の介護が始まる。車で片道40分の義母宅→施設→病院と義母の預け先を変えながら、子どもの育児も行う。夏休みは保育園と小学低学年の娘を義母宅へ連れて、ぬりえやドリルをする娘の横で義母の食事介助をする(2005年:ひろ子31歳)

 2、嫁の介護はアタリマエ?2度目の家出
認知症の義母の発言が発端となり、親族から「嫁なのに」と責められ、主介護を続けるわたしの心の糸がプッツリと切れた2回目の家出。2006年、32歳で家族を自宅介護する友達は周りにおらず、相談する人もない孤独期。

子育てと介護。周囲に理解してもらうことの難しさから孤独感と疲労感そして「嫁が介護して当たり前」に何も言えずただただ我慢し続ける毎日。その後、義母を看取り。


▶︎趣味から始めたことが仕事に
 1、ママ友の「教えて」が全てのはじまり
障がいを持つ長男を病院で付き添い入院していた時、偶然手元にあったユーカリのアロマオイル。1990年代アロマの「あ」の字もない当時。プリンカップにお湯を注いで1滴垂らしたことで、心が軽くなり「死にたい」と思っていた私を止めてくれた「香り」その凄さを勉強したい!と2005年に資格を取得。ママ友の「教えて」をきっかけに、気づけば自宅でアロマスクールをスタートしていた。

口コミで、行政や上場企業様、労働組合様、社会福祉法人や医療法人、文化センターから依頼を受ける。また、大学病院附属の専門学校で非常勤講師として勤務。

 2、個人事業から法人へ
スクールで要望に合わせ100種以上のオリジナル講座を実施。地球環境にやさしい天然素材のオムツ、洗剤、化粧品を取扱い専門家を招き勉強会などもを自宅で実施。自宅スクール講師をしながら、企業研修講師など講演会が増え個人事業から一般社団法人の協会を立ち上げる。


 3、香りを通して笑顔とありがとうがたくさんの世の中に
経菅栄養で医療ケアが必要な息子の自宅介護と、甲状腺癌と認知症の義母。2回の介護経験から「介護するあなたを笑顔に」の理念を掲げ、7年で延べ30,000人へ講師として講演、研修を行う。また、全国でインストラクターを育成。

 4、講演以外の活動
ジュエリーを監修し、コラボジュエリーが楽天ランキング1位となる。受講生様の活躍の場として老人福祉施設へハンドマッサージボランティアを主催し約6年間実施。夏休みは子連れのママと一緒に子どもと高齢者の交流の場づくりをする(いろんな人が混ざって暮らす地域づくりがわたしの夢)

企業様の集客イベントの企画プロデュースを行い、イベント実施100回達成。売上過去最高などのスタートアップに関わり、地域貢献するやりがいと面白さを感じる
(「原田知世に似てるよね」とよく言われた:3回目のモテ期)


▶︎人生3度目のまさか!
 1、事業のストップ
研修、講演、ボランティアと多くの取り組みをする中で、母親、妻、嫁、事業主の4つの役割を200%全力し過ぎたことで、心と身体のバランスが崩れ、協会の活動をストップする。

 2、再出発
離婚後、2人の子どもを育て養うため時給850円の期間限定派遣社員として、20年ぶりの再就職。家賃12,000円で娘と3人暮らし。電気代が払えず、真夏に冷蔵庫が使えず途方に暮れる。

その後、正社員として介護施設を運営するスタートアップの企業へ転職。経営企画として社内業務改善やIOTシステム導入(1億8000万円)、理念浸透企画運営、全社物品標準化プロジェクトでは、年間1400万円コスト削減達成し、管理職へ昇格。


 3、組織での経験
ベンチャー企業へ転職し総務・労務・人事・教育を担当。教育責任者として「人財開発」をする。階層別・理念・新卒・中途の各研修の企画運営。           

労務総務として会議運営や入社式、社員総会、幹部合宿などリーダーとしてマネジメント。ゼロイチから企画運営の楽しさ、難しさとチームで達成する喜びを味わう。

入社時、従業員40人から300人までの成長期に管理本部メンバーとして貢献。会社のしくみ構築を企画し社内提案、運用まですべて担当。

その後、社外教育コンサルティング売上に貢献、管理職としてさらに昇格(目の前の仕事にがむしゃらに向き合った時期:4回目のモテ期)


自宅スクール時代から組織管理職まで、お客様やスタッフのヒアリング・カウンセリング(約5,000人)面談を行う「癒しと未来へ導く」専門家。

▶︎人生後半戦のchallengeへ
(イマココ)
・企業の社長様
・女性起業家支援
・自分らしく生きたい
   我慢をしてきた40代50代60代の女性支援

《これまでの主な活動》
・20年アロマ講師
・経済産業省過疎地活性街おこし協力隊(20代)
・講演・研修講師登壇(延べ32,000人受講)
・大学非常勤講師
・オリジナルコンテンツ作成販売
・ジュエリー監修、楽天ランキング1位

・ベンチャー企業の教育制度立ち上げ

《メディア実績》

・NHK出演・中部経済新聞コラム
・ラジオ等出演多数

▶︎趣味・好きなこと

ドリカム(ファン歴34年)
紅茶・チャイ
スノーボード
料理(食べるほう)
馬との触れ合い
豆大福
家族づれをほくそ笑みながら見る

▶︎noteを始める理由

人生のターニングポイントでもらったたっくさんの「愛とご恩」

母として
女性として
妻として
エピソードが
あなたへ癒しと気づきを
贈ることが
できればしあわせです


▶︎発信すること

・自分を大切にする生き方
・ごきげんに過ごすためのコツ
・子育てについてのアレコレ
・障がい者や高齢者の介護
・シングルマザー働き方
・組織女性管理職として想うコト
・好きなコト・モノ

*ゆる〜く発信するので変わるかもしれませんし
変わらないかもしれません


▶︎さらなる挑戦

わたし自身の人生後半戦
やりたいことを
心のままに

コレカラずーっと
ごきげんに生ききるためのchallenge。

そのひとつが
このnoteを書くことです。
等身大のアラフィフとしてゆる〜くはじめます。
がんばりません(キッパリ)

▶︎さいごに

最後までお読みいただいて、心からありがとうございます。
どうぞよろしくお願いします。

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子どもに教えられたこと

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