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親がいなくなった時、自分は泣けるのだろうか···⑥ ( 二次被害の問題について 1 )


【 前回までのお話 】




僕は大学へ進学しました。
大学に行かせてくれたことだけは唯一、今でも親に感謝しています。ただ、この頃にはもうほとんど親と話すことも同じ空間にいることもなくなっていました。生理的に受け付けなかったのです。

ある程度、親しくなった大学の友達に、僕のこれまでの家庭環境に関する話を打ち明けると、皆、目を大きく見開いて唖然としていました。

自分が異常な家庭環境の中で育ったことを知ったのはこの時が初めてだったのです。親から受けたものが虐待というものだったと確信するまでに、生まれてから約20年もの月日を要したのでした。

あらためて家庭や家族の問題って恐ろしいなと感じました。家という閉鎖空間は一種の治外法権のような場所です。その空間の中でいかに凄惨なことがなされていても明るみに出ることはありませ。
にも関わらず、子どもは親を選べないのです。

大学生活も1、2ヶ月経つ頃、親友と呼べる存在が数人できました。もちろん楽しい話もするのですが、たまには腹を割った相談事もしたくなります。

ある時、僕はその親友たちに親に対して抱いてきた感情や親にされてきた数々の理不尽なことや暴力(虐待)について勇気を出して全て打ち明けました。

親友から返ってきた言葉は意外すぎるものでした。

「確かに相当に劣悪な環境やったんは分かるけどさ、自分のことを育ててくれた親のことをそこまで悪く言うってどうなん ? 親ってこの世の中で唯一の味方やねんで。大学もこうやって行かせてもらってるわけやろ ? ちょっと理解できへんから、これからはもうその話せんとってな」

他の親友たちも皆うんうんと頷きながら立ち上がり去っていった。

また1人になった。
親の話をするといつも最後は1人になる。
何がいけなかったんだろう。親友なら受け止めて真剣に聞いてくれると思ったのに···。

「家族とはこうあるべき」という世間一般の社会通念と違うことを言ったから ? その社会通念て本当に正しいの ? それに従った生き方を自分もしないといけないのかな ?

僕は世の中の常識というものや家族というものが一体何者なのか、全く分からなくなってしまった。 

今日もこの辺りでいったんストップします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。また少しずつ続きを書いていきます。




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