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【 エッセイ 】 マタニティマーク

目覚ましが鳴った。
まだ半分閉じた目をこすりながらカーテンを開ける。今日もいい天気だ。

重い腰を上げて仕事に行く準備を済ませ、家を出ようとしたところで思い出した。今日はゴミの日だ。急いでベランダに行き、置いてあったゴミ袋の口を閉めて家を出た。

マンションの階段を下り、ゴミ置き場へ行くと、既に他の住人が置いたいくつかのゴミ袋が並んでいる。今日は確か燃えるゴミの日だが、既に置いてあるゴミ袋の中にはビールの缶や酒の瓶、食べかけのラーメンなどが無造作に入っている。分別も何もあったものではない。住人のマナーの悪さは今に始まったことではない。

最近、こうした周囲のマナーの悪さが以前より気になるようになった。
ゴミの出し方、隣の部屋の騒音、近所の路上で野球の練習をしている子ども。なぜ自分たちのことしか考えられないのだろう。かといって文句を言ったり注意をしたりするのも何だか躊躇われる。そんなもやもやした気持ちを抱えながら、今日も仕事へ向かう。

駅に着き電車に乗ると平日の早朝の割には幾分混み合っていた。幸い1つだけ空いていた席に座り、いつも通り本を読む。この時間はお年寄りの方もほとんどいないので、誰かに席を譲ることもほとんどない。落ち着いて読書ができそうだ。

いくつかの駅を通り過ぎた時、ふいに隣に座っていた女性が前に立っていた女性をちらちらと見始めた。何がそんなに気になるのだろうか。立っている女性には特に変わった様子もない。

隣に座っていた女性はひとしきり前に立っている女性と目線を合わせた後、
「よかったら、こちらの席をどうぞ」
と言って立ち上がった。
私は何があったのかすぐには分からなかった。何だろうと考えていると、席を譲られて座った女性の鞄にキーホルダーのようなものが見えた。何やらお母さんと子どものような絵が書かれている。

何となくピンときた私は隣の女性に気づかれないようにスマホで「妊婦さん、マーク」と検索した。すると、「マタニティマーク」という言葉が目に飛び込んできた。説明のところに、「初期の妊婦さんが交通機関等を利用する際に身につけ、周囲に妊婦であることを示しやすくするものです」と書いてあった。

私は、そういうことか !と納得すると同時に、そうしたものをこれまで知らず、率先して席を譲れなかった自分を恥じた。先程の女性どうしはこのマークを見て意思疎通していたのである。

周囲のマナーが悪いと嘆いていた自分自身が、知らなかったとはいえ、何か自己中心的な行動を取っていたような気持ちになり、情けなくなった。今からでも何かできることはないかと考えたあげく、
「気づくことができず、すいませんでした」
と私はその女性に謝った。すると、
「いいんです。気づいてもらえることの方が少ないので」
と女性は笑顔で答えてくれ、少しほっとした。

なるほど、初期の妊婦さんであることは見た目では確かに分からない。そのためにマタニティマークなるものがあるわけであるが、それがそこまで浸透していない。
これまで席を譲るという行為はお年寄りの方や体の不自由な方など一見して分かる人に対してするものだと思っていたが、目に見えて分からない人の中にも配慮が必要な人がいる。
そのことに初めて気づき、自分の意識がまだまだ低かったことを痛感した。

翌日、仕事が休みだったので買い物にでも行こうと電車に乗った。
席に座り、周囲を見渡す。近くにはお年寄りや体の不自由そうな方は見当たらなかったが、少し離れたところに重たそうな荷物を持った年配の女性の姿が見えた。
少し迷ったがすぐに立ち上がり女性の方へ行き、「よかったら座ってください」
と声をかけるとその方は、
「いいんですか!?」
と言って何度も頭を下げて喜んでくれた。その方はお年寄りの方でもなければ体が不自由そうな方でもなかった。にも関わらず、思いもよらない声をかけられたことに驚き、うれしくなったのだろう。私も自分のしたことが人の助けになったことが何よりうれしかった。

それ以降も電車で席に座った際には以前よりも注意深く周囲を見渡すようになった。
すると、重たそうな荷物を持った方や小さな子ども連れの方、妊婦さん、疲れ切った様子のビジネスマン、2人組で片方だけが座っている方など、一見して分からないものの、「席を譲ってあげたら助かるだろうな」と思われる人が意外に多いことに気づくようになった。
実際、そうした方々に席を譲ると、「ありがとう」「助かります」と温かい言葉をかけられ、心から感謝される。少しずつではあるが、今まで見えなかった世界が見えてくるようになった。

さらに不思議なことに、そうした行動を私がとるようになって以来、疲れ切って立っている時や重い荷物を持って立っている時など、今度は逆に自分が他の方から席を譲ってもらうようなことが何回かあったのだ。
これには私も驚いた。本当にそうした機会が増えたのか、それともそうした他の方の思いやりに対する感謝の気持ちが深くなったことでより記憶に残りやすくなったのだろうか。
いずれにしても、周囲に対する思いやりの気持ちを持つことで、自分自身が気持ちのよい時間を過ごせるようになったことは間違いない。
まさに「情けは人のためならず」である。

あの日、妊婦さんとその妊婦さんに席を譲った方の行動を見て以来、ほんの少し、日常の風景が違って見えるようになった。周囲のマナーの悪さについてもそれまでほどもやもやした気持ちを抱かなくなった。それはおそらく1つ大きな気づきを得たからだろう。

よりよい社会は自分からつくるもの。他人の行動を批判したり受身の姿勢でいるだけでは何かを変えていくことは難しい。自分から動くことでそこにほんの少しの愛が生まれる。そのほんの少しの愛が日常の風景を変えてくれる。

やっぱり世の中まだまだ捨てたものではない。
そんなことを感じたのであった。






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