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【 エッセイ 】 仕事と労働

「働くって何だろう?」

このテーマで以前、個人的にエッセイを書いたことがある。漠然としたテーマではあるが意外と身近なテーマでもある。

例えば朝起きて飲んだ一杯のコーヒー、ふと手に取ったペン、出かける前にポストに届いていた郵便物、自転車の駐輪場、公共交通機関など、数えきれないほどの人々の活躍のおかげで今の日常を送れている。全ての人々に感謝だ。

働くことで得られるもの、その1つがまさに「感謝されること」である。

直接に感謝の言葉をかけていただけることもあれば、先に述べたように実感こそ湧きにくくても必ず誰かに感謝される職種等もある。

感謝されることほどうれしいことはない。感謝されることでそれがやりがいにつながり、よりよい働き方をしようと思う。大切なことは、「今自分がしていることが必ず誰かの感謝につながっていること」を意識することではないかと思う。

日々、業務を行っていると良くも悪くもその業務に慣れてきて、それが自分の中での「当たり前」になってしまうことがしばしばあるが、その商品やサービスを受ける相手方にとっては「当たり前」でないことが多い。

社会人になって最初の頃、主に窓口業務をしていた時に上司に口酸っぱく言われたのがこのことだった。

「自分にとっては『日常の業務』であっても窓口に来る人は、初めてだったり不安な思いを抱えていたり、人によっては勇気を振り絞って来てくれた人もいるかもしれない。そうした人の気持ちになって常に接しないといけないよ」

今になってしみじみと当時の上司の言葉が心に染みてくる。働くことのその先にある生身の人間の気持ちを想像できてこそ、深く感謝されるのだろう。

働くことで得られるもの、その2つ目が「必要とされること」ではないかと思う。働いていると、社会の中で必要とされるということはもちろん、ともに働く同僚や仲間からも頼りにされるようになる。誰かに必要とされることは生活の質(QOL)における重要な要素であるとも言われている。

働くことは常に責任を伴う。しかしその分、その人の組織における貢献度や重要性も増してくる。一緒に働く同僚や仲間は本来、代えがきかないものなのである。それがまさに必要とされることである。

「いくらでも代えはきくんだからな」

などと部下が心底傷つくことを平気で言う上司もいるが、部下も生身の人間であり、その人にしかない個性や長所が必ずある。同じように働いていても仕事の質というものは微妙に変わってくるものだと私は日々感じる。そういう意味ではやはりどの人も「代えがきかない」必要とされる存在なのである。

こうして考えていくと、働くことは単にお金を稼ぐ以上の意味があることがあらためてよく分かる。そしてこのことは子育てや介護をされておられる方々等にも言えるかもしれない。誰かのために労力を注ぐことにはお金に変えられない価値が含まれているのであろう。

ただ、ここまで述べてきたことは世間一般的によく言われていることでもある。
これに加えて、私は働くことにはもう1つ大きな意味があると思っている。先ほどまで触れた意味での「働くこと」を仮に「労働」と呼ぶとすれば、これ以降の「働くこと」は「仕事」と表現できるかもしれない。

それは「働くことを通じて自分がやりたいことを実現する」という意味である。

元々自分がやりたかったことを仕事として実現できた人もいれば、働く中でそうした意味を見出すことができるようになる人もいる。

やりたいことはあってもそれを仕事にするとなると本当に難しい。例えばプロの小説家になりたいと思っても実際にそれで食べていけるようになるのは非常に狭き門であろう。アーティスト、スポーツ選手、YouTuberなども然りである。

そう考えると、働く中で自分がやりたいことを見出していくことの方がより現実的かもしれない。自分にはこんな得意なことがあったんだとか、自分のしていることがこんなに人に感謝され必要とされることだったんだ、ということを再発見していく中でそれが心の底からやりたい仕事に変わっていくこともある。私が今目指している働き方の理想の1つもその形である。

この「労働」を「仕事」に変えていく、という部分に関しては、向かっていく方向性としては自分の中でしっかりと認識できるようになっているものの、そのベストな実現手段については具体的には未だ見出せずにいる。働くことで得られるものの中でこの3つ目の実現とそれを意識できることが最も難しい。だからこそ、やりたいことを仕事にできている人は尊敬に値するのである。

このように、働くことには主に2つの重要な意味が含まれていると同時に、もう1つ重要な意味が含まれている。ただ、私を含め3つ目の「働くことを通じて自分がやりたいことを実現する」というところまで到達できている人はまだまだ少ないのが現実ではないかと思う。この3つ目の意味を見出すことができた時、初めて本当の意味での働く喜びを得ることができるのだろう。

平坦な道程ではないが、充分目指す価値のある人生における「目標」である。「永遠の夢」とするにはあまりにももったいない。




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