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止めを刺す為には残り姿を美しく

松下幸之助 一日一話
11月28日 とどめを刺す

日々のお互いの仕事の中で、もうちょっと念を入れておいたら、とあとから後悔することが少なくないような気がする。

一生懸命に努力して、せっかく九九%までの成果を上げても残りのわずか一%の「止め」がしっかりと刺されていなかったら、それは結局はじめからやらなかったと同じことになる。いや中途半端にやっただけ、むしろマイナスになる場合が多いのではあるまいか。念には念を入れよ、である。仕事を完全にやり通すのに念の入れ過ぎということはないのである。とどめを刺さない仕事ぶりがあったら、お互いにその不徹底を大いに恥とするほどの厳しい心がけを持ちたいものである。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

「止めを指す」ということに関して松下翁は、以下のようなお話もされています。

 昔は、いわゆる止めを刺すのに、一つのきびしい心得と作法があったらしい。だから武士たちは、もう一息というところをいいかげんにし、心をゆるめ、止めを刺すのを怠って、その作法にのっとらないことをたいへんな恥とした。
 ものごとをしっかりとたしかめ、最後の最後まで見きわめて、キチンと徹底した処理をすること、それが昔の武士たちのいちばん大事な心がけとされたのである。その心がけは、小さいころから、日常茶飯事、箸の上げ下げ、あいさつ一つに至るまで、きびしく躾けられ、養われていたのであった。 
 こんな心がけから、今日のおたがいの働きをふりかえってみたら、止めを刺さないあいまいな仕事のしぶりの何と多いことか。
 せっかくの九九パーセントの貴重な成果も、残りの一パーセントの止めがしっかりと刺されていなかったら、それは始めから無きに等しい。もうちょっと念を入れておいたら、もうすこしの心くばりがあったなら――あとから後悔することばかりである。
 おたがいに、昔の武士が深く恥じたように、止めを刺さない仕事ぶりを、大いに恥とするきびしい心がけを持ちたいものである。
(松下幸之助著「道をひらく」)

更には、「一%の止め」とは「紙一重のちがい」とも換言可能であり、「紙一重のちがい」がもたらす結果について松下翁は以下のように述べています。

 天才と狂人とは紙一重というが、その紙一重のちがいから、何という大きなへだたりが生まれてくることであろう。たかが紙一重と軽んじてはいけない。そのわずかのちがいから、天才と狂人ほどの大きなへだたりが生まれてくるのである。
 人間の賢さと愚かさについても、これと同じことがいえるのではなかろうか。賢と愚とは非常なへだたりである。しかしそれは紙一重のちがいから生まれてくる。すなわち、ちょっとしたものの見方のちがいから、えらい人と愚かな人との別が生まれてくるのである。どんなに見ようと、人それぞれの勝手である。だからどんな見方をしようとかまわないようではあるけれど、紙一重のものの見方のちがいから、賢と愚、成功と失敗、繁栄と貧困の別が生まれてくるのであるから、やはりいいかげんに、ものの見方をきめるわけにはゆくまい。
 考えてみれば、おたがいの生活は、すべて紙一重のちがいによって、大きく左右されているのではなかろうか。だからこの紙一重のところをつかむのが大切なのであるが、これにはただ一つ、素直な心になることである。素直に見るか見ないか、ここに紙一重の鍵がひそんでいる。
(松下幸之助著「道をひらく」)

「紙一重のちがい」とは、野球に例えるのであれば、ピッチャーの投げたボールをバッターがバットの芯でとらえることが出来ればホームランを打つことも出来ますが、芯から僅か数ミリでも外れてしまうとその多くが外野フライやファールになってしまうことであると言えます。つまりは、僅か数ミリの差がその後にもたらす結果は雲泥の差であるということです。


哲学者であり教育者でもあった森信三先生は、「止めを指す」ことの重要性について松下翁と同様に以下のようなお話をされています。

百円の切符が九十八円で買えないことは、五円で買えないのと同じである。もの事は最後の数パーセントで勝敗が決する。(森信三)

更には、「止めを指す」まで諦めない大切さについて以下のように述べています。

大体物事というものは、七割か七割五分辺までいくと、辛くなるものです。富士登山でいえば、胸突き八丁です。そこをしゃにむにやり通すか否かによって、人間の別が生じるんです。ですからたとえフラフラになっても、ぶっ倒れるまでやり抜くんです。そしてこのような頑張りこそ、最後の勝敗を決するんです。(森信三)

加えて、「止めを指す」秘訣であるねばりについて以下のように述べています。

ねばりというものこそ、仕事を完成させるための最後の秘訣であり、同時にまたある意味では、人間としての価値も、最後の土壇場において、このねばりが出るか否かによって、決まると言ってもよいと思うほどです。(森信三)

最語に、仕事の成果ではなく人生の成果と置き換えた場合の考え方について、以下のように述べています。

実際人生は二度とないですからね(先生幾度もくり返して言われる)。人生は、ただ一回のマラソン競走みたいなものです。勝敗の決は一生にただ一回人生の終わりにあるだけです。しかしマラソン競走と考えている間は、まだ心にゆるみが出ます。人生が、五十メートルの短距離競走だと分かってくると、人間も凄味が加わってくるんです。(森信三)

松下翁は、紙一重の差を生む要因はただ一つ「素直な心」であるとしていますが、仮に森信三先生に紙一重の差を生む要因を質問したならば、どのような答えが返ってくるでしょうか。恐らく、素直な心と素直な行いは一つである、すなわち心身一如であるが故に「身を美しく」、つまりは「躾(しつけ)」であると仰るのではないでしょうか。具体的には、日常における何気ない挨拶から始まり、返事や挙手、更には、履物を揃える、ゴミを拾う、椅子を揃える、という「残り姿を美しく」を実行していくことが、同時に素直な心を養うことに繋がり、それが「紙一重の差」となり「止めを指す」力を養うことになるのではないかと私は考えます。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

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