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民主主義のあるべき姿とは

松下幸之助 一日一話
11月18日 民主主義と勝手主義

民主主義というものは、自分がよければ人はどうでもいい、というような勝手なものでは決してないと思うのです。今日の日本の民主主義はわがまま勝手主義である。勝手主義を民主主義の如く解釈している人が随分あるのではないか、というような感じがします。

民主主義というものは、自分の権利も主張することは認められるが、それと同時に他人の権利なり、福祉なりというものも認めてゆかなければならない。そういうことをしなかったならば、法律によってぴしっとやられるというような非常に戒律の厳しいものだと思います。それがあってはじめて民主主義というものが保ち得るのだと思うのです。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

今日の日本において、「わがまま勝手主義を民主主義の如く解釈している人が随分いるのではないか」とは、松下翁に限らず私も含めた多くの日本人が感じていることではないでしょうか。

では、なぜ「わがまま勝手主義を民主主義の如く解釈してしまう人」がいるのでしょうか。それは「民主主義」に関する定義付けが国民同士できちんと共有されていないことに大きな一因があり、更には、曖昧な定義付けの元で「民主主義」というものを分かった気になっている、或いは、知っているだけで実行出来ていない、という要因も大きいのではないでしょうか。

改めて「民主主義」について調べてみますと、「三省堂大辞林第三版」には以下のように書かれています。

みん しゅしゅぎ 【民主主義】 〔democracy〕
人民が権力を所有し行使するという政治原理。権力が社会全体の構成員に合法的に与えられている政治形態。ギリシャ都市国家に発し、近代市民革命により一般化した。現代では、人間の自由や平等を尊重する立場をも示す。

とあります。本来は政治の1つのあり方でありながらも、現代では政治と切り離し、個人の自由や平等ばかりを尊重する姿勢や行動として使われることで、「勝手主義」の如く解釈されてしまっていると考えられます。今一度本来の意味である政治との繋がりを維持したまま、個人の自由や平等を尊重する主義として捉え直す必要があるのではないでしょうか。


他方で、松下翁は「民主主義」についての定義をどのように考えていたのでしょうか。著書「道をひらく」では以下のように述べています。

ただ一人だけの 小さな幸せに満足することなく
おたがいに この国日本を満たす 大きな夢と
確固とした志を もたねばならない
長い伝統に培われた 日本人本来の高い精神と
私たちが今日までたくわえてきた自立力とを
いまこそ 新たな時代にふさわしい 新たな姿で
政治や経済 教育や文化に 正しくよみがえらせたい
日本を いきいきとした民主主義の国にするために
この世界に より大きな幸せをもたらすために
(松下幸之助著「道をひらく」)
私たちは おたがい日本の国民であり
この国のすすむべき道を みずから選び
決定する主権者自身であることを忘れずにいたい
日本はもちろん 世界の繁栄のために必要なこと
私たち国民の 平和と幸福について大切なことを
ひとつひとつ丹念に 正しく見きわめてゆこう
この国日本を 働きがいのある そして能率的な
真の民主主義の国にするために――
(松下幸之助著「道をひらく」)
人はさまざま。だからさまざまの人生があり、さまざまの人の歩む道がある。そのいずれの道であろうとも、たとえそれがひっそりとした道であろうとも、それぞれの道をそれぞれにきりひらいてゆくことは、決して容易でない。人おのおの精いっぱいの心根がそれぞれにこもらねばならない。ボンヤリしていては道はひらけぬ。他人まかせでは道はひらけぬ。

しかし、もっと容易でないのは、いわゆる国として、国家としての道をきりひらいてゆくことではなかろうか。

いかにわが道をひらく精進を重ねても、国としての道がひらけていなければ、所詮はそれは砂上の楼閣。誰かが何とかしてくれるだろうでは、誰も何ともしてくれない。

人の歩む道も国の歩む道も結局同じことではなかろうか。ボンヤリしていては道はひらけぬ。他人まかせでは道はひらけぬ。つまりは、われ他人とともに懸命に考えて、わが道をひらく如くに、国の道をひらかねばなるまい。 

そうしなければならないのが民主主義で、またそれができるのも民主主義なのである。おたがいに三省してみたい。
(松下幸之助著「道をひらく」)

松下翁は、「民主主義から政治(国)と個人を切り離すことなく、寧ろ2つは1つであり、どちらかが欠けていては成り立つことはない。つまりは、お互いに作用する相互補完の関係にあるが、機能的には対立項となるため、矛盾する対立項を相互作用する 「二項動態」 を目指しアウフヘーベンさせなければならない」と定義しているのだと換言できます。

加えて、「三省」とは論語に以下のようにあります。

「吾日に吾が身を三省す。 人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしかと」(論語)

曾子の言葉で、「三省する」とは日に三度自分を反省するではなく、学んだ事柄を自分の日常に活かしているかと何度も反省するという意味です。

つまりは、学んで反省し活かして行くという繰り返しの中で、人は成長することが出来る訳ですが、それと同時に政治や国も成長していくことになります。換言するならば、動的な弁証法(二項動態)を繰り返す中で、高次のダイナミックな統合が起こり、人も国も止揚させることに繋がるのだと言えます。これこそが民主主義の定義に基づいた、人と国のあるべき姿ではないかと私は考えます。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

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