191003_MBADesigner_1280_670_西郷

稲翁の西郷南洲翁遺訓

稲翁の西郷南洲翁遺訓(1)~(5)

(1)遺訓一条
廟堂(びょうどう)に立ちて大政を為すは天道(てんどう)を行うものなれば、些(ち)とも私(わたくし)を挟みては済まぬもの也。いかにも心を公平に操(と)り、正道を踏み、広く賢人を選挙し、能(よ)くその職に任(た)ゆる人を挙げて政柄(せいへい)を執らしむるは、即ち天意也。それゆえ真に賢人と認むる以上は、直ちに我が職を譲る程ならでは叶わぬものぞ。故に何程国家に勲労(くんろう)ある共、その職に任(た)えぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。官はその人を選びてこれを授け、功ある者は俸禄(ほうろく)を以て賞し、これを愛し置くものぞと申さるるに付き、然らば『尚書(しょうしょ)』(書経)仲虺(ちゅうき)之誥(こう)に「徳懋(さか)んなるは官を懋んにし、功懋んなるは賞を懋んにする」とこれあり、徳と官と相配(あいはい)し、功と賞と相対するはこの義にて候いしやと請問(せいもん)せしに、翁欣然(きんぜん)として、その通りぞと申されき。

政府にあって国の政(まつりごと)をするということは、天地自然の道を行うことであるから、たとえわずかであっても私心を差し挟んではならない。だからどんなことがあっても心を公平に堅く持ち、正しい道を踏み、広く賢明な人を選んで、その職務に忠実にたえることのできる人に政権を執らせることこそ天意、すなわち神の心にかなうものである。従って、どんなに国に功績があっても、その職務に不適任な人を官職を与えてほめるのは善くないことの第一である。官職というものはその人をよく選んで授けるべきで、功績のある人には俸給を与えて賞し、これを愛しおくのがよい、と翁が申されるで、それでは尚書(中国で最も古い経典、書経)仲虺(殷の湯王の賢相)の誥(こう)(官史の任命する辞令書)の中に「徳の高いものには官位を上げ、功績の多いものには褒賞を厚くする」というのがありますが、徳と官職とを適切に配合し、功績と褒賞がうまく対応するということはこの意味でしょうかとたずねたところ、翁はたいへん喜ばれて、まったくその通りだと答えられた。 


(2)遺訓五条
或る時「幾歴辛酸志始堅 丈夫玉碎恥甎全 一家遺事人知否 不爲兒孫買美田」との七絶を示されて、若(も)しこの言に違(たが)いなば、西郷は言行反したるとて見限られよと申されける。 

ある時「幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し。丈夫玉砕して甎全(せんぜん)を恥ず。一家の遺事人知るや否や。児孫の為に美田を買わず」(人の志というものは幾度も幾度も辛いことや苦しい目に遭って後初めて固く定まるものである。真の男子たる者は玉となって砕けることを本懐とし、志を曲げて瓦となっていたずらに生き長らえることを恥とする。それについて自分がわが家に残しおくべき訓(おしえ)としていることがあるが、世間の人はそれを知っているであろうか。それは子孫のために良い田を買わない、すなわち財産をのこさないということだ)という七言絶句の漢詩を示されて、もしこの言葉に違うようなことがあったら、西郷はいうことと実行することが反しているといって見限りたまえといわれた。


(3)遺訓四条
万民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし、驕奢(きょうしゃ)を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して人民の標準となり、下民その勤労を気の毒に思う様ならでは、政令は行われ難し。然るに草創の始めに立ちながら、家屋を飾り、衣服を文(かざ)り、美妾(びしょう)を抱え、蓄財を謀(はか)りなば、維新の功業は遂げられ間敷(まじき)也。今となりては、戊辰の義戦も偏(ひとえ)に私を営みたる姿に成り行き、天下に対し戦死者に対して面目なきぞとて、頻りに涙を催されける。 

多くの国民の上に立つ者は、いつも心を慎み、行いを正しくし、驕りや贅沢を戒め、無駄を省いてつつましくすることに努め、仕事に励んで人々の手本となり、一般国民がその仕事ぶりや生活を気の毒に思うくらいでなければ、政府の命令は行われにくい。しかし今、維新創業のときだというのに、家を贅沢にし、衣服をきらびやかに飾り、美しい妾を囲い、自分の財産を蓄えることばかりを考えるなら、維新の本当の成果を全うすることはできない。今となっては戊辰の正義の戦争もただ私利私欲を肥やすだけの結果となり、国に対し、また戦死者に対して面目ないといって西郷は涙を流された。


(4)遺訓十九条
古より君臣共に己れを足れりとする世に、治功(ちこう)の上りたるはあらず。自分を足れりとせざるより、下々の言も聴き入るるもの也。己れを足れりとすれば、人己れの非を言へば忽(たちま)ち怒るゆえ、賢人君子はこれを助けぬなり。

昔から主君と臣下がともに自分は完全だと思って政治を行うような世に、うまく治まった時代はない。自分は完全な人間ではないと考えるからこそ、下々のいうことも聞き入れるものである。自分が完全だと思っているとき、人が自分の欠点をいい立てると、すぐに怒るから、賢人や君子という立派な人は、そのような驕り高ぶっている人を助けないのである。 


(5)遺訓二十一条
道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己(こっき)を以て終始せよ。己れに克つの極功は「毋意 毋必 毋固 毋我(いなし ひつなし こなし がなし)」と云えり。総じて人は己れに克つを以て成り、自ら愛するを以て敗るるぞ。能(よ)く古今の人物を見よ。事業を創起する人其その事大抵十に七八迄は能く成し得れ共、残り二つを終わり迄成し得る人の希(ま)れなるは、始めは能く己れを慎み事をも敬する故、功も立ち名も顕(あらわ)るるなり。功立ち名顕るるに随い、いつしか自ら愛する心起り、恐懼戒慎(きょうくかいしん)の意弛(ゆる)み、驕矜(きょうきょう)の気漸(ようや)く長じ、その成し得たる事業を負(たの)み、苟(いやしく)も我が事を仕遂(とげ)んとてまずき仕事に陥いり、終(つい)に敗るるものにて、皆自ら招く也。故に己れに克ちて、睹(み)ず聞かざる所に戒慎するもの也。

道というものは、この天地のおのずからなる道理であるから、学問を究めるには敬天愛人(天は神と解してもいいが、道理と理解すべき。すなわち、道理を慎み守るのが敬天である。また人は皆自分の同胞であり、仁の心をもって衆を愛するのが愛人である)を目的とし、自分の修養には己れに克つということをいつも心がけねばならない。己れに克つということの真の目標は論語にある「意なし、必なし、固なし、我なし」(当て推量をしない。無理押しをしない。固執しない。我を通さない)ということだ。すべて人間は己れに克つことによって成功し、己れを愛することによって失敗するものだ。歴史上の人物をみるがよい。事業を始める人が、その事業の七、八割まではたいていよくできるが、残りの二、三割を終わりまで成し遂げる人の少ないのは、はじめはよく己れを慎んで事を慎重にするから成功もし、名も現われてくる。ところが、成功して有名になるに従っていつのまにか自分を愛する心が起こり、畏れ慎むという精神がゆるんで、驕り高ぶる気分が多くなり、そのなし得た仕事をたのんで何でもできるという過信のもとにまずい仕事をするようになり、ついに失敗するものである。これらはすべて自分が招いた結果である。だから、常に自分にうち克って、人が見ていないときも聞いていないときも自分を慎み戒めることが大事なことだ。


稲翁の西郷南洲翁遺訓(6)~(10)

(6)遺訓二十二条
己に克つに、事事物物時に臨みて克つ様にては克ち得られぬなり。兼(かね)て気象(きしよう)を以て克ち居(お)れよと也。

己にうち克つに、すべての事を、その時その場のいわゆる場あたりに克とうとするから、なかなかうまくいかぬのである。かねて精神を震い起こして自分に克つ修業をしていなくてはいけない。


(7)遺訓六条
人材を採用するに、君子小人の弁酷(べんこく)に過ぐる時は却(かえっ)て害を引き起すもの也。その故は開闢(かいびゃく)以来世上一般十に七八は小人なれば、能く小人の情を察し、その長所を取りこれを小職に用い、その材芸を尽さしむる也。東湖先生申されしは「小人程才芸有りて用便なれば、用いざればならぬもの也。さりとて長官にすえ重職を授くれば、必ず邦家を覆(くつがえ)すものゆえ、決して上には立てられぬものぞ」と也。 

人材を採用するにあたって、君子(徳行の備わった人)と小人(人格の低いつまらない人)との区別をきびしくしすぎるときは、かえってわざわいを引き起こすものである。その理由は天地が始まって以来、世の中で十人のうち七、八人までは小人であるから、よくこのような小人の心情を思いはかってその長所をとり、これを下役に用い、その才能や技芸を十分発揮させるのがよい。藤田東湖(とうこ)先生はこう申されている。「小人は才能と技芸があって用いるに便利なものであるから、ぜひ用いて仕事をさせなければならないものである。だからといって、これを上役にすえ、重要な職務に就かせると、必ず国を覆すようなことになりかねないから、決して上に立ててはならないものだ」と。


(8)遺訓二十六条
己れを愛するは善(よ)からぬことの第一也。修業の出来ぬも、事の成らぬも、過を改むることの出来ぬも、功に伐(ほこ)り驕謾(きようまん)の生ずるも、皆自ら愛するが為なれば、決して己れを愛せぬもの也。 

自分を愛すること、すなわち自分さえよければ人はどうでもいいというような心は最もよくないことである。修行のできないのも、事業の成功しないのも、過ちを改めることのできないのも、自分の功績を誇り高ぶるのも皆、自分を愛することから生ずることであり決してそういう利己的なことをしてはならない。


(9)遺訓二十四条
道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は他人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也。 

道というのは、この天地おのずからなるものであり、人はこれにのっとって行うべきものであるから、何よりもまず、天を敬うことを目的とすべきである。天は他人も自分も平等に愛したもうから、自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である。


(10) 遺訓二十五条
人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを尽し人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。

人を相手にしないで常に天を相手にするよう心がけよ。天を相手にして自分の誠を尽くし、決して人の非を咎めるようなことをせず、自分の真心の足らないことを反省せよ。


稲翁の西郷南洲翁遺訓(11)~(15)

(11) 遺訓三十四条
作略(さりゃく)は平日致さぬものぞ。作略を以てやりたる事は、その迹(あと)を見れば善(よ)からざること判然にして、必ずしたりこれある也。唯戦(いくさ)に臨みて作略なくばあるべからず、併し平日作略を用うれば、戦に臨みて作略は出来ぬものぞ。孔明は平日作略を致さぬゆえあの通り奇計を行われたるぞ。予嘗て東京を引きし時、弟へ向かい、是迄少しも作略をやりたる事あらぬゆえ、跡は聊(いささ)か濁るまじ、それ丈(だ)けは見れと申せしとぞ。

はかりごと(駆け引き)は、日常的に用いない方がよい。はかりごとをもってやったことは、その結果を見ればよくないことがはっきりしていて、必ず後悔するものである。ただ戦争の場合だけは、はかりごとがなければいけない。しかし、日常的にはかりごとをやっていると、いざ戦いということになった時、うまいはかりごとは決してできるものではない。諸葛孔明(中国三国時代、蜀(しょく)漢(かん)の丞相(じょうしょう)、誠忠無私な人)はかねて計略をしなかったからいざという時、あのように思いもよらないはかりごとを行うことができたのだ。自分はかつて東京から引き揚げた時、弟(従道)に向かって「自分はこれまで少しもはかりごとをやったことがないので、ここを引き揚げた後も、跡は少しも濁ることはあるまい。それだけはよく見ておけ」とはっきりいっておいたということだ。


(12) 遺訓七条
事大小と無く、正道を踏み至誠を推し、一時の詐謀(さぼう)を用うべからず。人多くは事の指支(さしつか)ゆる時に臨み、作略(さりゃく)を用て一旦その指支を通せば、跡は時宜(じぎ)次第工夫の出来る様に思え共、作略の煩(わずら)い屹度(きっと)生じ、事必ず敗るるものぞ。正道を以てこれを行えば、目前には迂遠(うえん)なる様なれ共、先きに行けば成功は早きもの也。 

どんなに大きい事でも、またどんなに小さい事でも、いつも正しい道を踏み、真心を尽くし、決して偽りのはかりごとを用いてはならない。人は多くの場合、ある事にさしつかえができると何か計略を使って一度そのさしつかえをおし通せば、あとは時に応じて何とかいい工夫ができるかのように思うが、計略したための心配事がきっと出てきて、そのことは失敗するに決まっている。正しい道を踏んで行うことは目の前では回り道をしているようであるが、先に行けばかえって成功は早いものである。


(13) 遺訓三十八条
世人の唱うる機会とは、多くは僥倖(ぎょうこう)の仕当てたるを言う。真の機会は、理を尽して行い、勢を審(つまびら)かにして動くと云うに在り。平日国天下を憂うる誠心厚からずして、只時のはづみに乗じて成し得たる事業は、決して永続せぬものぞ。

世の中の人がいう機会とは、多くは、まぐれ当たりに、たまたま得たしあわせのことを指している。しかし、本当の機会というのは道理を尽くして行い、時の勢いをよく見極めて動くという場合のことだ。かねて国や世の中のことを憂える真心が厚くなくて、ただ時の弾みに乗って成功した事業は決して長続きしないものである。


(14) 遺訓二条
賢人百官を総(す)べ、政権一途に帰し、一格の国体定制無ければ縦令(たとえ)人材を登用し言路を開き、衆説を容(い)るるとも、取捨方向無く、事業雑駁(ざっぱく)にして成功有るべからず。昨日出でし命令の、今日忽(たちま)ち引き易(か)うると云様(いうよう)なるも、皆統轄(とうかつ)する所一ならずして、施政の方針一定せざるの致す所也。 

賢人がたくさんの役人たちを一つにまとめ、政権が一つの方針に進み、国柄が一つの体制にまとまらなければ、たとえ立派な人を用い、上に対する進言の路を開いてやり、多くの人の考えをとり入れるにしても、どれを取り、どれを捨てるかにつき一定の方針がなく、あらゆる仕事はばらばらでとても成功どころではない。昨日出された政府の命令が、今日は早くも変更になるというようなのも、皆統一するところが一つでなく、政治の方針が決まっていないからである。 


(15) 遺訓三条
政(まつりごと)の大体は、文を興し、武を振い、農を励ますの三つに在り。その他百般の事務は、皆この三つの物を助くるの具(ぐ)也。この三つの物の中において、時に従い勢(いきおい)に因(よ)り、施行(しこう)先後の順序はあれど、この三つの物を後にして他を先にするは更になし。 

政治の根本は学問を盛んにして教育を興し、軍備を整えて国の自衛力を強化し、農業を奨励して生活を安定させるという三つに尽きる。その他いろいろの事柄は、みなこの三つのものを助長するための手段である。この三つのものの中で、時代によりあるいは時のなりゆきによって、どれを先にし、どれを後にするかの順序はあろうが、この三つのものを後回しにして他の政策を先にするということは、決してあってはならない。


稲翁の西郷南洲翁遺訓(16)~(20)

(16) 遺訓八条
広く各国の制度を採り開明に進まんとならば、先ず我が国の本体をすえ風教を張り、然(しか)して後徐(しず)かに彼の長所を斟酌(しんしゃく)するものぞ。否(しか)らずして、猥(みだ)りに彼れに倣(なら)いなば、国体は衰頽(すいたい)し、風教は萎靡(いび)して匡救(きょうきゅう)すべからず。終(つい)に彼(か)の制を受くるに至らんとす。 

広く諸外国の制度をとり入れ、文明開化をめざして進もうと思うならば、まず我が国の本体をよくわきまえ、風俗教化の作興(さっこう)に努め、そして後、次第に外国の長所をとり入れるべきである。そうでなく、ただみだりに外国に追随し、これを見習うならば、国体は衰え、風俗教化はすたれて救い難い有様になるであろう。そして、ついには外国に制せられ国を危うくすることになるであろう。 


(17) 遺訓十一条
文明とは道の普(あまね)く行わるるを賛称せる言にして、宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華(ふか)を言うには非(あら)ず。世人の唱うる所、何が文明やら、何が野蛮やら些(ち)とも分らぬぞ。予、嘗(かつ)て或人と議論せしことあり。西洋は野蛮じゃと云いしかば、否(いな)文明ぞと争う。否否野蛮じゃと畳みかけしに、何とてそれ程に申すにやと推せしゆえ、実(まこと)に文明ならば、未開の国に対しなば、慈愛を本とし、懇懇説諭して開明に導くべきに、左(さ)はなくして未開蒙昧(もうまい)の国に対する程むごく残忍の事を致し己れを利するは野蛮じゃと申せしかば、その人口を莟(つぼ)めて言無かりきとて笑われける。 

文明というのは道理にかなったことが広く行われることをたたえていう言葉であって、宮殿が大きくおごそかであったり、身にまとう着物がきらびやかであったり、見かけが華やかでうわついていたりすることをいうのではない。世の中の人のいうところを聞いていると、何が文明なのか、何が野蛮(文明の開けないこと)なのか少しも分らない。自分はかつてある人と議論したことがある。自分が西洋は野蛮だといったところ、その人はいや西洋は文明だといい争う。いや、野蛮だとたたみかけていったところ、なぜそれほどまでに野蛮だと申されるのかと力を込めていうので、もし西洋が本当に文明であったら、未開国に対してはいつくしみ愛する心をもととして懇々と説きさとし、もっと文明開化へと導くべきであるのに、そうではなく、未開で知識に乏しく道理に暗い国に対するほどむごく残忍なことをして自分たちの利益のみをはかるのは明らかに野蛮であると申したところ、その人もさすがに口をつぐんで返答できなかったよと笑って話された。


(18) 遺訓十二条
西洋の刑法は専ら懲戒を主として苛酷(かこく)を戒め、人を善良に導くに注意深し。故に囚獄中の罪人をも、如何にも緩るやかにして鑒誡(かんかい)となるべき書籍を与え、事に因(よ)りては親族朋友の面会をも許すと聞けり。尤(もっと)も聖人の刑を設けられしも、忠孝仁愛の心より鰥寡(かんか)孤独を愍(あわれ)み、人の罪に陥いるを恤(うれ)い給いしは深けれ共、実地手の届きたる今の西洋の如くありしにや、書籍の上には見え渡らず。実に文明じゃと感ずる也。

西洋の刑法はもっぱら戒め懲らすことを根本の精神として、むごい扱いを避け、人を善良に導くことに心を注ぐことが深い。だから牢獄にとらわれている罪人であっても穏便に取り扱い、戒めの手本となるような書物を与え、事柄によっては親族や友人の面会も許すということだ。もともと昔の聖人が刑罰というものを設けられたのも、忠孝、仁愛の心から世に頼りのない身の上の人をあわれみ、そういう人が罪に陥るのを心配された深い心からだが、実際の場で今の西洋のように手が届いていたかどうかは書物に見あたらない。西洋のこのような点はまことに文明だとつくづく感ずることである。


(19) 遺訓十六条
節義廉恥(せつぎれんち)を失いて、国を維持するの道決してあらず、西洋各国同然なり。上に立つ者下に臨みて利を争い義を忘るる時は、下皆なこれに倣(なら)い、人心忽(たちま)ち財利に趨(はし)り、卑吝(ひりん)の情日々長じ、節義廉恥の志操(しそう)を失い、父子兄弟(ふしけいてい)の間も銭財を争い、相(あい)讐視(しゅうし)するに至る也。此(かく)の如く成り行かば、何を以て国家を維持すべきぞ。徳川氏は将士の猛(たけ)き心を殺(そ)ぎて世を治めしか共、今は昔時(せきじ)戦国の猛士(もうし)より猶(なお)一層猛き心を奮い起こさずば、万国対峙は成る間敷(まじく)也。普仏(ふふつ)の戦、仏国三十万の兵三カ月糧食有て降伏せしは、余り算盤(そろばん)に精(くわ)しき故なりとて笑われき。

節義(かたい道義、みさお)、廉恥(潔白で恥を知ること)の心を失うようなことがあれば国家を維持することは決してできない。それは西洋各国であってもみな同じである。上に立つ者が下に対して自分の利益のみを争い求め、正しい道を忘れるとき、下の者もまたこれにならうようになって人は皆財欲に奔走し、卑しくけちな心が日に日に増長し、節義廉恥のみさおを失うようになり、親子兄弟の間も財産を争い互いに敵視するに至るのである。このようになったら何をもって国を維持することができようか。徳川氏は将兵の勇猛な心をおさえて世の中を治めたが、今は昔の戦国時代の勇将よりもなお一層心を奮い起こさなければ世界のあらゆる国々と相対することはできないであろう。独仏戦争のとき、フランスが三十万の兵と三カ月の食糧があったにもかかわらず降伏したのは、あまり金銭財利のそろばん勘定にくわしかったがためであるといって笑われた。


(20) 遺訓三十条
命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。この仕末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり。去れ共、个様(かよう)の人は、凡俗の眼には見得られぬぞと申さるるに付き、孟子に、「天下の広居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行う。志を得れば民とこれに由(よ)り、志を得ざれば独りその道を行う。富貴も淫すること能わず、貧賤(ひんせん)も移すこと能わず、威武(いぶ)も屈すること能わず」と云いしは、今仰せられし如きの人物にやと問いしかば、いかにもその通り、道に立ちたる人ならでは彼の気象は出ぬ也。

命もいらぬ、名もいらぬ、官位もいらぬ、金もいらぬというような人は処理に困るものである。このような手に負えない大人物でなければ、困難を一緒に分かち合い、国家の大きな仕事を大成することはできない。しかしながら、このような人は一般の人の眼では見抜くことができぬといわれるので、それでは「孟子」の中に「天下の広居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行う。志を得れば民とこれに由り、志を得ざれば独りその道を行う。富貴も淫すること能わず、貴賎も移すこと能わず、威武も屈すること能わず」(註 人は天下の広々としたところにおり、天下の正しい位置に立って天下の正しい道を行うものだ。もし、志を得て上げ用いられたら一般国民と共にその道を行い、もし志を得ないで用いられないときは、独りで道を行えばよい。そういう人はどんな富や身分もこれを汚すことはできないし、貧しく身分が低いこともこれによって心のくじけることはない。また威武、つまり勢力の強いことをもって、これを屈服させようとしても決してそれはできない)とあるのは今、仰られたような人物(真の男子)のことですかとたずねたら、いかにもその通りで、真に道を行う人でなければそのような精神は出ないものだと答えられた。


稲翁の西郷南洲翁遺訓(21)~(25)

(21) 遺訓十四条
会計出納は制度の由(よっ)て立つ所、百般の事業皆これより生じ、経綸(けいりん)中の枢要(すうよう)なれば、慎まずばならぬ也。その大体を申さば、入るを量りて出ずるを制するの外更に他の術数無し。一歳の入るを以て百般の制限を定め、会計を総理する者身を以て制を守り、定制を超過せしむべ可からず。否(しか)らずして時勢に制せられ、制限を慢(みだり)にし出ずるを見て入るを計りなば、民の膏血(こうけつ)を絞るの外ある間敷(まじく)也。然らば仮令(たとえ)事業は一旦進歩する如く見ゆる共、国力疲弊して済救すべからず。

国の会計出納(金の出し入れ)の仕事はすべての制度の基本であって、あらゆる事業はこれによって成り立ち、国を治めるうえで最も要になることであるから、慎重にしなければならない。そのおおよその方法を申し述べるならば、収入をはかって支出をおさえるという以外に手段はない。一年の収入をもってすべての事業の制限を定めるものであって、会計を管理するものが、一身をかけて定(き)まりを守り、定められた予算を超過させてはならない。そうでなくして時の勢いにまかせ、制限を緩慢にし、支出を優先して考え、それにあわせて収入をはかるようなことをすれば、結局国民に重税を課するほか方法はなくなるであろう。もしそうなれば、たとえ事業は一時的に進むように見えても国力が衰え傾いて、ついには救い難いことになるだろう。 


(22) 遺訓十三条
租税を薄くして民を裕(ゆたか)にするは、即ち国力を養成する也。故に国家多端にして財用の足らざるを苦むとも、租税の定制を確守し、上を損じて下を虐(しい)たげぬもの也。能(よ)く古今の事跡を見よ。道の明かならざる世にして、財用の不足を苦む時は、必ず曲知小慧(きょくちしょうけい)の俗吏(ぞくり)を用い巧みに聚斂(しゅうれん)して一時の欠乏に給するを、理財に長ぜる良臣となし、手段を以て苛酷に民を虐(しい)たげるゆえ、人民は苦悩に堪(た)え兼ね、自然譎詐(きっさ)狡猾に趣き、上下互に欺き、官民敵讐(てきしゅう)と成り、終に分崩離拆(ぶんぽうりせき)に至るにあらずや。

租税を少なくして国民生活を豊かにすることこそ国力を養うことになる。だから国にいろいろ事がらが多く、財政の不足で苦しむようなことがあっても税金の定まった制度をしっかり守り、上層階級が損を我慢して下層階級の人たちを虐げたりしてはならない。昔からの歴史をよく考えてみるがよい。道理が明らかに行われない世の中にあって、財政の不足で苦しむときは、必ず偏った小賢しい考えの小役人を用いて悪どい手段で税金を取り立て、一時の不足をのがれることを財政に長じた立派な官吏とほめそやす。そういう小役人は手段を選ばず、むごく国民を虐待するから、人々は苦しみに堪えかねて税の不当な取り立てからのがれようと、自然にうそ偽りを申し立て、また人間が悪賢くなって上層下層の者がお互いに騙し合い、官吏と一般国民が敵対して、しまいには国が分離崩壊するようになっているではないか。 


(23) 遺訓十五条
常備の兵数も、亦(また)会計の制限に由(よ)る、決して無根(むこん)の虚勢を張るべからず。兵気を鼓舞(こぶ)して精兵を仕立てなば、兵数は寡(すくな)くとも、折衝禦侮(せっしょうぎょぶ)共に事欠く間敷(まじく)也。

常備する兵数すなわち国防の戦力ということであっても、また会計の制限の中で処理すべきで、決して軍備を拡張して、からいばりしてはならない。兵士の気力を奮い立たせてすぐれた軍隊をつくりあげるならば、たとえ兵の数は少なくても外国との折衝にあたっても、また、侮りを防ぐにも事欠くことはないであろう。


(24) 遺訓三十一条
道を行う者は、天下挙(こぞっ)て毀(そし)るも足らざるとせず、天下挙て誉るも足れりとせざるは、自ら信ずるの厚きが故也。その工夫は、韓文公が伯夷(はくい)の頌(しょう)を熟読して会得せよ。

正しい道義を踏んで生きていく者が、国中の人が寄ってたかってそしるようなことがあっても決して不満をいわず、また、国中の人がこぞってほめても決して自分に満足しないのは自分を深く信じているからである。そのような人物になる方法は韓文公(韓退之(たいし)、唐の文章家)の伯夷の頌(伯夷、叔斉(しゅくせい)兄弟の節を守って餓死した文の一章)をよく読んでしっかり身につけるべきである。


稲翁の西郷南洲翁遺訓(25)~(29)

(25) 遺訓十七条
正道を踏み国を以て斃(たお)るるの精神無くば、外国交際は全(まった)かるべからず。彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮(けいぶ)を招き、好親却(かえっ)て破れ、終(つい)に彼の制を受くるに至らん。

正しい道を踏み、国を賭しても倒れてもやるという精神がないと、外国との交際はこれをまっとうすることはできない。外国の強大なことに恐れ、ちぢこまり、ただ円滑に事を納めることを主眼にして自国の真意を曲げてまで外国のいうままに従うならば、侮(あなど)りを受け、親しい交わりがかえって破れ、しまいには外国に制圧されるに至るであろう。


(26) 遺訓十八条
談国事に及びし時、慨然(がいぜん)として申されけるは、国の陵辱(りょうじょく)せらるるに当りては縦令(たとえ)国を以て斃(たお)るる共、正道を践(ふ)み、義を尽すは政府の本務也。然るに平日金穀(きんこく)理財の事を議するを聞けば、如何なる英雄豪傑かと見ゆれ共、血の出る事に臨めば、頭を一処に集め、唯目前の苟安(こうあん)を謀(はか)るのみ。戦の一字を恐れ、政府の本務を墜(おと)しなば、商法支配所と申すものにて更に政府には非(あら)ざる也。

話が国の事に及んだとき、たいへん嘆かれていわれるには、国が外国からはずかしめを受けるようなことがあったら、たとえ国全体でかかって倒れようとも正しい道を踏んで道義を尽くすのは政府のつとめである。しかし、金銭や穀物や財政のことを議論するのを聞いていると、何という英雄豪傑かと思われるが、血の出るような問題になると鳩首(きゅうしゅ)して、ただ目の前の気休めだけをはかるばかりである。戦の一字を恐れ政府本来の任務をおとすようなことがあったら商法支配所、すなわち商いの元締めというようなもので、一国の政府ではないないというべきである。


(27) 遺訓九条
忠孝(ちゅうこう)仁愛(じんあい)教化(きょうか)の道は政事の大本にして、万世に亘(わた)り宇宙に弥(わた)り易(か)ふうべからざるの要道也。道は天地自然の物なれば、西洋と雖(いえど)も決して別なし。

忠孝(親を大事にして子として義務を尽くすこと)、仁愛(他人に対してめぐみいつくしむこと)、教化(教え導いて善に進ませること)という三つの道徳は、政(まつりごと)の基本で、未来永劫、また世界のどこにおいても変えてはならない大事な道である。道というものは天地自然のもので、たとえ西洋であっても決して区別はないのである。


(28) 遺訓十条
人智を開発するとは、愛国忠孝の心を開くなり。国に尽し家に勤むるの道明かならば、百般の事業は従て進歩すべし。或いは耳目(じもく)を開発せんとて、電信を懸け、鉄道を敷き、蒸気仕掛けの器械を造立(ぞうりつ)し、人の耳目を聳動(しょうどう)すれども、何故電信鉄道の無くては叶わぬぞ、欠くべからざるものぞと云う処に目を注がず、猥(みだ)りに外国の盛大を羨(うらや)み、利害得失を論ぜず、家屋の構造より玩弄物(がんろうぶつ)に至る迄、一々外国を仰ぎ、奢侈(しゃし)の風を長じ、財用を浪費せば、国力疲弊し、人心浮薄に流れ、結局日本身代(しんたい)限りの外ある間敷き也。

人間の知恵を開きおこすというのは愛国の心、忠孝の心を開くことである。国のために尽くし、家のために勤めるという人としての道が明らかであるならば、すべて事業はそれにつれて進歩するであろう。あるいは、世の中には耳で聞いたり目で見たりする分野を開発しようとして電信をかけ、鉄道を敷き、蒸気仕掛の機械を造って、人の目や耳を驚かすようなことをするけれども、どういうわけで電信、鉄道がなくてはならないか、また人間生活に欠くことできないものであるかということに目を注がないで、みだりに外国の盛大なことをうらやみ、利害得失を論議することなく、家の造り構えから玩具類に至るまで一々外国の真似をし、身分不相応に贅沢な風潮をあおって財産を無駄遣いするならば、国の力は衰え、人の心は浅はかで軽々しくなり、結局日本は破産するよりほかないであろう。


(29) 遺訓三十七条
天下後世迄(まで)も信仰悦服(えっぷく)せらるるものは、只是(これ)一箇の真誠(しんせい)也。古(いにしえ)へより父の仇を討ちし人、その麗(か)ず挙て数え難き中に、独り曽我の兄弟のみ、今に至りて児童婦女子迄も知らざる者の有らざるは、衆に秀でて、誠の篤(あつ)き故也。誠ならずして世に誉(ほ)めらるるは、僥倖(ぎょうこう)の誉(ほまれ)也。誠篤ければ、縦令(たとえ)当時知る人無くとも、後世必ず知己(ちき)あるもの也。

この世の中でいついつまでも信じ仰がれ、喜んで服従できるのはただひとつ人間の真心だけである。昔から父の敵(かたき)を討った人は数え切れないほどたくさんいるが、その中でひとり曽我兄弟だけが、今の世に至るまで女子子どもでも知らない人のないくらい有名なのは、多くの人にぬきんでて真心が深いからである。真心がなくて世の中の人からほめられるのは偶然の幸運に過ぎない。真心が深いと、たとえその当時、知る人がなくても後の世に必ず心の友ができるものである。


以上で、稲翁の西郷南洲翁遺訓は終了致します。ありがとうございました。


出典:稲盛和夫さん著「人生の王道」より

記事:MBAデザイナーnakayanさんのアメブロ 2013年6月5日付


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp





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