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転職は恋に似ている。あとはただ相手の服を脱がせるだけだ

転職は恋に似ている。最初の月は魔法のようだ。二か月目で心を通わせる。そして三か月目は決まりごとになる。あとはただ相手の服を脱がせるだけだ。※

転職した最初の月は、とにかく全てが新鮮だった。メガバンクからITメディアという180度違う業界に行ったこともあり、何もかもが輝いていた。

でも、二ヶ月目でだんだん新しい職場の粗が見えてくる。銀行よりも整備されてない制度にイライラして、Slackでアピールが上手な者が出世していく環境にうんざりしてくる。

そして三ヶ月目は、もう前の職場のことなんて思い出さない。新しい彼氏ができると、前の彼氏を忘れることと同じだ。あとはただ、相手の服を脱がせるだけ。脱がせた後、やることはひとつ。自分の持ち場で、淡々と仕事をしていくだけなのだ。

そして六ヶ月目には、転職サイトを見ていたりもする。そこで思う。「私、何で転職したんだっけ?」と。

転職を考えた理由として、世間には綺麗な言葉が並べ立てられている。「新しいことにチャレンジしたい」「責任のある仕事がしたい」とか、バカみたいだ。私たちは会社員である限り、月極で給料をもらっている。少ない労力で金を稼ぐ方がいいに決まっている。

でも表向きはそうでも言っておかないと、転職活動はうまくいかない。結婚式で「新郎の好きなところ」を聞かれて「金稼いでるところ。結婚しても、奥さんに金を使わせてくれそうなところ」と答える女がいないのと同じだ。「頼りがいがあるところ」「あたたかい家庭を築けそうなところ」とか、思ってもいないことを書くだろう。

転職を決めた理由なんて、実際は「ここでは、自分は活躍できないな」と感じた人が、ほとんどなんじゃないだろうか。身体感覚で「今の会社の流れは、心地よくないな」と感じたから。そんなざっくりした理由で、働く場所や住んでいる場所を変える。それでいいんじゃないかと思う。

メガバンクで8年間働いてみて思ったのが、会社は生き物であるということだ。入社してしばらく経つと、同僚や上司や社長が変わる。すると、会社に流れる空気の流れが変わる。新しい流れが心地よい人もいれば、そうでない人もいる。

よく「転職して良かった?」と聞かれるけど、正直どちらとも言えない。もし残っていたら、どんな楽しい日々を送っていたんだろう、と思ったこともあった。きっと武蔵小杉あたりにタワーマンションを買って、銀行員の夫と暮らし(今の夫は銀行員ではない)、子供の中学受験に頭を悩ませ、年に1度の海外旅行を楽しみに働く。そんな暮らしを送っていただろう。ゆくゆくは子供も東京での大学に進み、東京で働き……トーキョー・エコシステムの誕生だ。

私はもう、その流れから大きく外れてしまった。今でも、あり得たかもしれない未来である「銀行で働き、タワマンあるいは郊外の一軒家に住む家族」を見ると、胸が締め付かれつけられてしまう。そこがまるで陽だまりのように思えて、もう戻れない場所として、故郷に似た懐かしさを覚える。

故郷は住んでる間は、懐かしさを感じない。そこを離れて初めて、郷愁感を覚えるのだ。転職とは、自分が去ってしまった職場に対して、強烈な愛着を抱く。そんな経験なのかもしれない。そんな焼き付けような感傷を味わいたい人は、ぜひ転職に挑戦してみて欲しい。志望動機には綺麗事を言うのを、お忘れなく。

※ロング・グッドバイ(村上春樹訳)のパロディ。興味が湧いた人はこちらを読んでいただきたい。

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