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マッシュルームフライは突然に。

妻とはよく連れ立って食材の買い出しに行く。我々夫婦にとって日課とは言わないまでも、散歩の一種みたいなものになっている。

というのも我々夫婦はお互いにキッチンに立つので、食材のストックに関する情報の共有が欠かせないのだ。となると一緒に出かける方が手っ取り早いというところもある。

と同時に在宅ワークの気晴らしという側面も大きい。あまりお金をかけずにちょっと気分転換がしたいのである。自分はあまりそういう習慣がないけれど、本屋さんでの立ち読みやウィンドーショッピングみたいなものかも。ちょっと外に出て、雑多な刺激や情報を、深く考えずに脳にひらひら振りかけたいという欲求。ボーッとスマホでSNSとか見てしまうやつのオフライン版といったところ。

この日もぶらっと商店街に足を運んで、お気に入りの鮮魚店を覗いた。そこはもともとお魚屋さんから始まったのだと思うが、今では青果や精肉も扱っている。どれも新鮮で安いのでつねに繁盛している。いつものように何かお手頃で面白い食材はないかと物色していたら、破格の安さで積まれている生のホワイトマッシュルームを見つけた。

記事に書こうと思って出かけたのではないので写真がないが、国語辞典ぐらいの大きさのパックに、小さなおまんじゅうぐらいの大きさのマッシュルームがぎゅうぎゅうに詰められていて、80円前後。

えー。80円? ワンコインせえへんやん。これは買い。買いでしかない。我々はにわかに色めき立った。

夫婦ふたりしてマッシュルームは好きで、使い勝手がいいからと冷凍のスライスを業務スーパーで買うぐらいである。ナポリタンやハヤシライス、主にデミグラス系に寄り添うと、お皿が一気によそゆきの華やかさをまとう。それに何よりおいしい。味が好きだし香りもいい。

マッシュルームたちは映画「エブエブ」の石バースのように、じっと黙ってこっちの出方を伺っている気がした。あんさん、早よわてらを買いなはれ。 お得だっせ、と。

そのとき妻がぽそっと言った。「そうや、マッシュルームフライにする?」

思い出の味、イギリスのマッシュルームフライ。

妻とは出会うまで別々の人生を送ってきた。

と、当然のことを小泉家の次男坊のように書いてみる。

それはごく当たり前のことなんだけれど、そのおかげでその日のメニューを決めるときに絶妙のサジェスチョンがきて助かることが、これまで何度もあった。自分では思いつかない献立を提案してくれるのだ。

この日のマッシュルームもそうだった。自分の場合、マッシュルームは普通に好きだけれど、逆に取り立てて思い出があるというわけでもない。でも妻にとっては慣れない外国で、空腹の自分達を救った思い出の食材だという。

それは妻が学生の頃の話。世の中にはまだ好景気の余波が残っていて、短大の卒業研修旅行、というようなものでヨーロッパを巡ったという。何日めのことかは知らないが、イギリスに着いた。その晩の食事は自由に摂る、というスケジュールだったらしい。

学生たちの団体ツアーである。しかも美術系の短大なので、本人たちの英語力も正直あまり期待できない。ガイドさんも帯同しなかったらしい。成り行きで入ったパブで見当もつかないメニューをどうにか注文したが、どれもこれも口に合わず、文字通り皆、閉口してしまった。何しろ味がしないのだ。

「イギリスってさ、何も味せえへんのよ」と妻は今になっても口を尖らせる。あまり料理そのものに味付けはせず、食卓のソースやビネガーなどの調味料で各自好みの味に仕上げるのがイギリスの食文化ということらしい。しかし若い女の子たちがそんな食文化などは知っているはずもない。旅の疲れもあって、皆ぐったりしてしまった。

険悪ムードの中、食いしん坊な妻がおそるおそる、あるお皿のフライを口にした。途端に目を丸くし「これはおいしい! みんなこれ食べて!」と声を上げた。言われるままに口にするや、その未知なるも馴染みのある味わいに皆驚き、ようやく目に光が戻ってきた。そのあとは皆で競って食べたという。

こうして日本からやってきた小生意気で小心者で世間知らずな(あくまで想像です)女の子たちの空腹を救ったメニューこそが、マッシュルームフライだったという。

実を言うと自分は食べたことがない。「よし、作ってみっかあ」スイッチが入った。

何にもコツがない。

帰ってきてインターネットの大海でレシピを漁った。が、びっくりするぐらいの簡単メニューだった。要は、まるごとのマッシュルームに衣をつけて揚げる、ただそれだけのようだ。お茶の子さいさいや朝飯前のように、ことわざにできそうなほど簡単である。「そんなの、マッシュルームフライだぜ」みたいな。

石づきの固いところは一応除く。キノコなので洗わない。表面に薄力粉をまぶし、軽く塩コショウしたら、バッター液を一面に塗り、パン粉をまとわせる。揚げる。おしまい。

レシピによってはミラノ風カツレツのように衣に粉チーズを加える、と書かれていることも多かったが、それは妻が嫌いなのでごくプレーンな衣に仕立てることにした。最初なんとなく、丸いし衣がつきにくいのかな、と予想したが杞憂で、そこまで剥がれやすいということもない。

揚げた。できた。ばばーん。

えも言われぬかわいさがある。

驚き! 主役を張れる存在感。

どれどれ、妻が言う思い出の味、どれほどのものか。真価を試してみてやろうじゃないか。箸で挟むと、見た目からくる印象よりはるかに軽くて、ちょっと笑ってしまう。おたふくソースをかけて口に運び、サクッとかじった。

おお?

おおお!

かんだ途端にあふれるジューシーな水分と小気味よい弾力、上品な香りとあっさりしつつも余韻のある奥深いうまみ。買ってきて数時間で調理したことも奏功しているのかもしれないが、正直驚きのフレッシュさ。元はと言えばイギリス由来の調味料、ソースも抜群に合う。

「え、こんなにおいしかったっけ」妻も驚きを隠さなかった。思い出補正がかかっていて自分より評価が厳しいはずの妻だが、記憶の中のマッシュルームフライよりも上をいく味だという。「あのときのは揚げたて熱々じゃなかったんかも」と遠くを見るような目をする。揚げたてがこんなにおいしいということは発見だったようだ。

悲しいかな最近仕事があまりなく、日々の生活費が足りない。そこへきての物価上昇で、なかなか肉や魚にありつけない。そんな状況でこのマッシュルームフライのボリューム、存在感はどうだ。決して肉や魚に負けていない。メインの食材として堂々と食卓に出せる一品である。

付け合わせは旬の一皿、空豆ポテサラ。

一皿とポテサラで韻を踏んでみた。

付け合わせは冷蔵庫の残り物の水菜とミニトマト。そしてピーマンとちくわのめんつゆ炒めを作った他に、実家からの救援物資、空豆を贅沢に散りばめたポテサラ。

じゃがいもとゆでたまごに塩コショウ、牛乳、マヨというごくシンプルなポテサラにさっと茹でたほくほくの空豆。合わぬはずがなかろうて。

こうして何とか、この日も新しい感動と経験とをプラスして、節約しながら楽しい食卓にすることができた。ババンババンバ万々歳である。

誰かと暮らすというのはこういうことなんだなあと、10年以上経ってもしみじみ嬉しい。一緒に買い物に行ってメニューを考えて試して、成功したら二人で感動できる(往々にして失敗することもあるけれど)。

外は早すぎる台風の到来で一日荒れ模様の予報。お出かけの皆さん、くれぐれも気をつけて行ってらっしゃい。無事帰ってきて、楽しい食卓が囲めますように。

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