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名前に関するエピソードが興味深い。ネリー・メルバの歌声を聴いて。

聴いたCDから得た情報を元に、さらに横展開してCDを聴いてみた。
(先日聴いたCDはこちら ↓ )


ネリー・メルバ(1861~1931年)は1900年代初期に活躍したオーストラリア生まれのソプラノ歌手である。

彼女の名に関するエピソードがとても妙味深いものであった。

ネリー・メルバ(CDのライナーより)

●その名が彼女に由来する食べ物がたくさん

桃を使ったデザート「ピーチ・メルバ」は彼女にちなんで名付けられたものである。

ロンドンでオペラ出演のために泊まっていたホテルの料理長は有名なオーギュスト・エスコフィエだった。彼女が出演するオペラにエスコフィエを招待したお礼に創作されたデザートに付けられたのが「ピーチメルバ」であるという。桃とバニラ・アイスクリームにイチゴのソースをかけたデザート。彼女はきっとこの虜になったことだろう。

他にも「メルバ・ソース」「メルバトースト」「メルバ・ガーニチャー」「メルバ・ソース」というものがあるらしい。が、わたしは良く知らないので、機会を見つけて試してみたいと思う。

●飾り気がなくても正確なピッチの歌声

かなり昔の時代だが、彼女の歌声を記録した録音が残っている。1907~1916年に記録されたものでSP盤として出たものをCDにしている。当然音質はイマイチ。ヴェルディ、グノー、プッチーニ、マスネなどのオペラ・アリアを中心に纏められたものである。

「ザー」っと針が盤を擦る音の中からではあるが、彼女の歌声がしっかりと聞こえてくる。それはちょっと真面目過ぎるかな?と思ってしまうような飾り気なくストレートで、わざとらしくない歌い回し。今では歌唱テクニックも発展してるので、現代の歌手と比較すると流石に単調にも聞こえる。

しかし、この真面目な歌声は音楽そのものを伝えているようにも思えて、悪い音質ではあるがしばし、心地よく聴き入ってしまった。

そして別に感じたことはピッチ(音程)がとても正確であること。特に高い音はピッチを正確に当てて保つことは難しい。合っているようでもほんのわずかな差は、何か違和感を覚えることが多いものだ。「あと何ヘルツか高ければ心地いいのだが」というような感じ。彼女は細かく刻むコロラトゥーラでも派手ではないけど素晴らしく表現している。

このCDに納められているように声質はイタリア・オペラ、フランス・オペラが合うようだ。ワーグナーも歌ったらしいが、レパートリーにはならなかった。確かにワーグナー向きの、パワーと太さが必要となる声ではない。

●実は本名ではない

ネリー・メルバの本名は、ヘレン・ポーター・ミッチェルである。

ネリー・メルバは言わば芸名である。

ヨーロッパに渡ったヘレン・ポーター・ミッチェルは1887年、ブリュッセルでオペラ歌手としてデビュー。その時に彼女は自分自身のことを「メルバ」と呼び始めたという。

「メルボルン出身」を縮めた表現のようだが、それは今後ヨーロッパ、そして世界へ羽ばたく歌手になろうとも、出身地はオーストラリアのメルボルンであること、それを観客に対して、そして自分自身対してに誇るかのように思える。

ロンドン、パリ、ニューヨークなど世界一流のオペラ・ハウスで歌い、第1次世界大戦がはじまると故郷オーストラリアで慈善活動を開始。それにより「デイム」の称号が贈られた。彼女が亡くなった際はオーストラリア国民がその死を悼んだという。メルボルン音楽院もメルバ記念音楽院と改称されその名を今に残し、オーストラリアの音楽家を育てている。

●オーストラリアの音楽発展に名を遺す

オーストラリア出身でオペラ歌手として最初に活躍した「ネリー・メルバ」。その他に活躍したオーストラリア出身のオペラ歌手で思い出すのは、やはり世界のオペラ・ハウスで活躍したジョーン・サザーランド(1926~2010年)である。

しかし、意外にも少ないのである。あの独特の形を持ったシドニー・オペラ・ハウスは有名なのだが。巨大なコンサート・ホールもある複合施設であるが、オペラ劇場は「ジョーン・サザーランド・シアター」と名付けられている。

Anna MustermannによるPixabayからの画像

スイーツに、音楽院に、その名を遺し、そしてその名はメルボルンを思って付けたというオーストラリア出身のオペラ歌手「ネリー・メルバ」。

オーストリアとは違い歴史がまだ浅いオーストラリアだが、彼女の歌声を聴いていたらオーストラリアの音楽についての歴史も調べてみたいと思った。


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