今後、会って、話す機会が増えても苦しまない。「会って、話すこと。」を読んだ。
会話する機会が少なくなった。
それは誰でも同じだろう。いまの環境であれば。
久しぶりに人と会い話しをすると、すごく嬉しく思う。
でも何か違和感、がある。
話すことが下手になったのではないか。もともと下手だと思っているのだが、更に下手になってしまった、と強く感じるのである。
これは大ピンチである。
最近になって、「ようやく」という感じなのだが、オンラインを介して複数名参加の会議をする必要性が出てきた。
「きっと便利だろう」
なんて、思ったけど、終わった後の満足度はいつも低レベルだ。移動もしていないのにぐったりと疲れる。
キャッチボールが上手にできない。微妙な時間のズレの発生による、しばしの沈黙。次は誰が話す? 複数のメンバーが同時に話し出して「ああ、お先にどうぞ」となり、それがまた、お互いの沈黙を生む。投げたキャッチボールのボールがどこで受け取られて、どこにあって、どう返されるのか。
司会がコントロールすればそれは防止できる可能性が高いが、リアルな世界での会話の絶妙な間合いなどは、司会がいなくてもうまく回っていたように思う。
そういうキャッチボールがうまくできないとなると、今度は話が長くなる傾向があるようだ。話すのが下手にもかかわらず。
下手で長い演説の後、画面に映るメンバーの顔の表情も、はっきりとは分からないが「やっと終わったか」という安堵感にあふれているようにも見える。
こちらの思いを、このパソコン画面という無機質で平面なものを介して、なんとか伝えたい。それが伝わっているのだろうか。それが不安なのだ。
今後リアルで会って、話す機会が増えたとしても、元々わたしは会話の下手さはどうすればいいのか?
そんな悩みも大いにあるのだが、この本は既存の会話術本とは全く異なるアプローチをしている。それはわたしの肩の力を大いに抜いてくれた。
「会話はテクニックではない」。
(内容が面白いことも肩の力を抜くことに貢献してくれたのだが、電車の中で読んでニヤニヤしていたら、ソーシャルディスタンスを取るように隣の席が空席になった。)
そして
「人間は、会話すると、必ず傷つく」
「行為より、言葉の方が重い」
ということ。
これは今まで会話していた時には、意識しなかったこと。オンラインにおいてもそうなのだが、相手と何気なく話すことでも、このようなことは意識しておくことにも気づかせてくれた。
話すことが以前よりも上手くなりたい。
そんなも希望を持ちながらも、今は以前とは異なっている今の世界で話をしていかなければならない。
また、なんの障害もなく、多く「会話」できる時が早くやって来ることを待ち望む。
話す技術がさらに下手になっていたとしてもいい。同じ方向にある風景を共に見て、共感できて、記憶に残すことができれば。
「会って、話すこと。」
田中泰延(著)、今野良介(編集)
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