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「言っとくけどさ、おばさんって最高だよ!」 ダイエットの狭間で”年”について考える 【洋梨夫人のダイエット日記vol.16】

※完全に怠惰により数ヶ月のタイムラグがあります。

さて、
例年同様
今年も順調に6月はやってきて、
洋梨夫人は37歳になった。
おめでとー、自分!

夫は私の誕生日も何の関係もなく日本へ出張に行ってて、
日付が変わるギリギリに
「あああっ!!」
って思い出したようにWhatsAppしてきて、
かなりの焦りと誤魔化しがモニター越しに窺えたけど。
まあ、その挙動不審さを見るのが最高に楽しくて、一番のプレゼントだった。
いや、待てよ。
欲を言えば、もうちょっといいプレゼント的なお土産買ってきた方が、
本当はよかった。株も上がった。

まあまあ、
そうはいってもさ、なんてったって誕生日。
おめでとー、自分!
今年はロックダウンが解除されて
比較的行動制限が少なくなったっていうのに
昨年同様、
一緒にお話ししたり、お茶したり、ランチしたりする友達は増えなかったけれど。
そういうふうに自分ができてるんだから、もう仕方ない。

誰かと一緒にランチするって
話して、飲んで、呼吸して、話して、食べて、呼吸して
笑ったら鼻水出るから鼻かんで、呼吸して
また話して、呼吸して、飲んで…
って
鼻、口から食道と肺につながる一本のチューブ周りを重点的に酷使するじゃない?
普通に考えてすごくない?
話すのと、飲食するのと、呼吸する器官がほぼ同じ場所だなんて。
何でみんなあんなにも器用にあれこれ次々切り替え出来るのかね?
私なんて、
食べ始めたら黙っちゃうし
飲んでたら話題振られて、
焦って鼻から飲んだもの出かかって、
ティッシュで拭って、
”俺様のターン”って話してて、
あれ?なんか苦しいな…って思ったら
ちょっと呼吸サボってる気味みたいなことになってたりするし
あ、また黙っちゃった!
話そう!
って思った瞬間、咽せちゃう。
で、
もう自分以外の人、
料理食べ終わってて、
スタッフの人がお皿下げに来てるのに
自分の料理だけてんこ盛りで、
ワッセワッセ食べ始めたら
味なんて全然よくわからないし、
ただ固形物を流し込むだけになるから、
後々ガスでお腹パンパン、
信楽焼のタヌキの置物みたいになるし、
「あのタヌキ、けっこう巨乳」とか白昼堂々思った自分に焦って、
また咽せそうになるし。
その全てを想像するだけで、
なんかもう喉周り酷使し尽くしたような気になって、高熱出そうで、
途端に人とご飯食べるの億劫になる。
そんな自分を、そんなに変えたいとも思わないし、
やっぱり、
そういうふうに自分ができてるんだから、もう仕方ない。
おめでとー。



37歳といえば、
アラフォー。中年。おばさん。
加えて、ちょっと白髪の洋梨体型。

あんまりそういうレッテル貼り発言するなよ。
と思う人もいらっしゃるかもしれん。
言葉がいちいちキツいよって、
そうかもしれん。
うん、ごめんなさい。
でも大丈夫、私、影響力ないから。


どうやら
世間は、”いつまでも若く”が正義のようだ。
が、
どこまででもずれている私、洋梨夫人は、
今のところ強がりでもなく本当に、
歳を取るのいいな、結構楽しいなと思ってる。
三十代は、誕生日が来れば来るだけ
どんどん自由になっているような…
気だけはしている。
身近な家族に不自由を押し付けた上に成り立ってる
”私の自由”
なのかもしれん。
そうかもしれん。
が、そんなことは知らない。
もし夫が自由が欲しければ、
彼だって大人なんだから
”私にも自由を!”
と叫べるくらいの勇気と気概はあるはずだし、
子供たちは
「親ガチャ、完全に外れだな、コレ。来世に期待!」とか
勝手に思うくらいの自由は全然ある。
だから思う存分そう思って、
自分達は親のようにならない!絶対に。
って、反面教師として私を利用して大人になっていってほしい。
子供たちだって馬鹿じゃない、
生きるために誰の背中を見て追えばいいかくらい、本当はわかってる。
私だってそうしてきた。
そういう”ダメ親サンプル”を提供するくらい
完全にアサメシマエ。

もちろん、三十代って、
そこまでひどい体力的な衰えを感じることもないだろうし
ある日起きたら急に髪の毛真っ白とかもないし
血圧が…とか
関節が…とか
臓器が…とか
何か深刻な病気を連想させる兆候はまだ全部水面下で起こっていて
表層に出てきて目立ってきてるわけではないから
まだそう思えているってだけかもしれない。
恵まれてる、ただその上で遊ばせていただいているだけかもしれない。

まあ、耳は確実に悪くなってるのは自覚してるけれど。
娘達が何言ってるのか
さっぱりわからなくて何度も聞き返してばかり。
あ、それは英語力の問題…

黙れ。


端的にいうと、
これがいわゆる
”おばさん”
なんだなと思う。
そのうち”老害”って呼ばれることになるんだろうなとも思う。

思考は自分がいつも中心だし、
世間の常識は少しは気にするけれど、基本やりたいようにやるし。
これを自由と言ってる自分、相当ヤベェな、と思いつつも、
実際そんなに変えたいとも思ってない。
周りからは嫌われる可能性もあるけれど、私は私のこと嫌いじゃない。
やっと自分っていうモノの乗りこなし方、バランスの取り方、板についてきた、
いいぞ!って
自分だけは自分のこと応援してる。
あ、流石に
他人様の前ではそれなりにドン引かれないような行動をとる努力はするよ。




もう、はっきり言う。
世の中
”若い”を美化しすぎだって!
おおお、どしたどした?突如湧いてきた、世間に喧嘩売ってくスタイル…。

”十代”、”二十代”を盛り上げすぎなんだって。
で、三十代になったからって
一気にポジションをひるがえし過ぎだって。
集団でコウモリかよ。
だから変な感染症が流行る…
いや、これ以上はやめておこう。


私は体の性別が女だから、どうしても女目線になるけど、
十代から二十代中盤までの期間なんて
自意識はやたらと過剰気味になって、
世界で一番自分が醜いと思ったりするし、
いつも子猫みたいに
”ミー・ミー・ミー・ミー”
虚勢だけはビチッと張ってる割に、
頼りなさそうな声で心の中で泣くしかできないし、
”ミー・ミー・ミー”に過集中してるから、
本当に大切なことをいとも簡単に見落としては、
後から湧いてくる後悔と罪悪感で
永遠、反芻思考をまた
”ミー・ミー”繰り返さなくてはいけなくなるし、
「私はもう大人」って思ってるけど、
まだ自分の性とか体の取り扱いに不慣れで、
たくさん失敗しちゃったりして、
そこでもまた”ミー”だし。
一体、どんだけ”ミーミーミー”?

ちなみに最近
思春期にもうすぐ入っていくだろう長女にどう対応しようかと、
どう理解しようかと、
『INVENTING OURSELVES -The Secret Life of the Teenage Brain』Sarah-Jayne Blakemoreって本を読み始めて、
なんとか7ページまで読んで
ティーンエイジャーの
”自意識過剰”と”刺激を求める”度合いにはたまげるな。
とか思いながら、
時計を見て、
ハッと我にかえって、
私がこの本読み終わる頃には、
きっと長女も、思春期とっくに終わってるなと思って、
そっと本棚に戻した。
お疲れ!いい母親のフリ。


とにかく12歳から25歳くらいまでの時期は
自意識がすごいから、本当に悩んでいることは誰にもいえない。
人にどう思われるかな?
人からどう見えるかな?が全てだから。
いつも誰かの目を気にして、
人の輪から外れたくなくて
「かわいぃ〜♪」
ってオウムみたいに一斉に誰かに調子を合わせて言ったりして。
制服みたいに、大多数に紛れる格好で、カモフラージュ。
そうやって自分の感覚(センス)をいつもいつも二の次にして
嘘をつき続けているうちに
自分でさえ本当の自分の欲しいものさえわからなくて、
誰のための人生なんだろう…
って海外へと旅に出たりする。
うん、心当たりしかない。
でも、
そうやってるうちは、世間は“かわいい子”扱いしてくれる。
分かりやすくて、扱いやすいから。

まあ、実際のところ、
もしかしたらほとんどの人にとってこの時期は
世間からはチヤホヤして貰えたり、
異性が寄ってくるボーナスタイムだったかもしれない。
一番華やかで楽しい時期だった人の方が多いのかもしれないけれど。
はっきり言って私は内面暗黒時代すぎて二度と御免。


最近
数少ない同じくらいの年の知り合いたちを見ていて思う。
このチヤホヤボーナス期を

「こんなもんね、もう必要ないんですわ!
”のし”つけて突っ返してやりますわ!
なんでもクーリングオフ制度ってありますでしょ?
期間ギリギリで”私”に気付けた私、
”自分”でいこうって決めた私、
最高ですわ。ラッキーですわ。」
ってちゃんと返上した人、
別に望んでないけど、強制的に返上せざるを追えなかった人、
そもそも初めから、「え?在庫ないの?」
チヤホヤボーナス期がなかった人達の
三十代以降は、何やら楽しそう。
自分が”ナニモン”かなんてさっぱりわからないけれど、
自分はこの道を行こう!って、
世間が押し付けてくる”普通”の世界に
少しだけ線を引いて、
自分と自分以外の世界と折り合いをつけてうまくやっていくことが
だんだんうまくなる。



不完全で、全然綺麗じゃない、ダメダメな自分を受け入れる。

これが三十代後半になってきてやっと私に徐々に湧いてきた感覚。
これさ、すごく便利で
昔は冗談かよってくらいできなかった、”続ける”ということも、
不完全さを許せる受け入れられるようになると、逆に継続しやすくなるんだね。

一日くらい運動をサボっちゃった自分を
「ああ、めっちゃ不完全な人間ですごく愛おしいじゃないか!
AIには絶対無理だ。
そもそもAIにはサボるってこと自体、まず出来ないからな。」
とか言いながらヨシヨシして、
また次の日から何にもなかったかのように続けたり、

「ああ、小麦粉の食べ物、食べないって言っちゃったけど、このラスク…。
この、パーフェクトなラスク…。
この、大好物のガトーフェスタハラダのラスク…
明日死ぬかもしれないからとりあえず食べとこう。
食べてから悩もう。

ああ、美味い。
そして後味の罪悪感に
遅れてきた敗北感…

そもそもAIは太ったり、病気したり、怪我したり、寿命がきて死んだりっていう
”一回きりの替えのきかない自分の体”っていう概念がないから
ボディーから入ってくるネガティブな要素がなくて
それによって自分に対するセルフイメージが下がったり、後悔したり
ネガティブな感情が経験できなさそうだな。
おお、かわいそうに。
ネガティブな感情がなかったら、その逆のポジティブな感情も薄いだろうに。
この罪悪感、敗北感を感じるからこそ
対極にある達成感が増すってもんだな。

今感じているこの感情は、
達成というゴールへ向かう途中の布石、人生のスパイス…

明日はキーマカレーだな。
いっぱいスパイス入れちゃおう。
クミンシードにターメリック、カイエンペッパー、コリアンダー、ガラムマサラ…
あ、メンドいからやっぱカレーパウダー買ってこよう。
うん、明日は、キーマカレーだな。


一通りやって、飽きたな。
さて、
そろそろ散歩に出て、
ラスクを燃焼できるだけ燃焼してこようか。」とか。

何でそんなにも、
AIに対して、対抗心がむき出しなのか、すごく気になるところだけど、
失敗したり、やらかしたり、サボったりしたことをすぐ
自分に都合よく解釈するから、
全然効いてこない。響いてない。
家族は呆れ顔。

そもそも散々
”中年”とか”おばさん”とか”アラフォー”、”洋梨”って
自分にレッテル貼って遊んでるのも、
はっきり言ってそんなこと全然気にしてないからなんだよね。
気にしてるふり遊びみたいなもんだよね。
だって本当に悩んでたら、わざわざ洋梨に注目させるようなこと、
自分でいうのさえ躊躇っちゃう。
まあ、私が私にレッテル貼ってるだけでも
それを見ちゃった人は、
不安になったり自分も攻撃されてるような気さえして
気持ちのいいモノじゃないから、
これもしばらくしたら、やめなきゃなって思う。
その前に
”洋梨体型”は、
なんとかスッキリさせて卒業したい…



結局、
長々と書いてきて何が言いたいかっていうと、
1ヶ月以上もずっとnoteを更新しないで、
「ああまた飽きて、ダイエット諦めちゃったんだな」とか
「ああまた怠惰で、noteを書くのやめちゃったんだな」
って他人に思われようが
そんなこと全く意に介さずに
しれっと復活したりするよ。
自分が決めたルーティンは
誰かにこれ見よがしに披露してないだけで、
時々サボったりしながら続けてたし。

まああえていうと、
椅子に座って落ち着いて文字を打てなくなった原因はさ。
Fitbitトラッカーなんだよね。
左手首に巻き付けちゃってるヤツ。
あれをつけてるうちに
だんだんじっと座ってたら、
腕にバイブレーションで通知がくるような気がして、
落ち着いて椅子に座れなくなったの。
”パブロフの犬”作用だね。
あの”reminder to move”を
”動け、洋梨!この世から用無しにしてやろうか?!”
って
ねえねえ、すごい和訳思いついた!
私、天才じゃない?!
とかやってたせいで、
そのうち、
「まだ用無しになりたくない
用無しになりたくない…」
って言いながら
ずっと座ってると腕にバイブレーションくるから
椅子が勝手に電気椅子に思えてきて、
ああ、座ったら電撃ビリビリだ、
ピカチュー一撃であの世送りだ
ってさ、
それ、ただの椅子…
うん知ってる。
でも、
なんかヤダ
座りたくない。
ピカチュー怖い。
状況が続くこと1ヶ月と数週間。

「じゃあ、立って筋トレしながらだってnoteかけるだろ!?」

って呆れのため息が響き渡りそうだが、
そういうのは無視。
もう絶対全無視。
だってもう37歳なんだ。
やっと自分を楽しめる”おばさん”になれたんだから。
都合の悪いことは、
全部ガン無視。
ガンコ、発動!
ガン子、いきまぁ〜す! (続け

JUNE 2022

心地良いプレッシャーをありがとうございます!もっと面白くなるかどうかは、あなたにかかっていると言っても過言ではないのです!今後も、”全力の合いの手”をよろしくお願いいたします!