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人と比べて落ち込んで、人を想って目が覚める

わたしはよく自分のことで落ち込む。

たぶん自分のことが大好きなんだけど、大好きなくせに自己肯定感が低いから、あーでもない、こーでもないともがき苦しむ。
(今、自分を大切にする道の途中)

そして、内へ内へ入りすぎてたまに帰ってこれなくなるときがある。

そんなときのお助けアイテムが

「だれかのことを考える」

というものである。

だれかのことをただ想うとき、やっと外の世界へと帰ってくることができる。

誰かのことをただ純粋に想うとき、はじめて自分の存在が消える。
自分が自分の意識からいなくなる。
気づいたら、悩んでる自分もいなくなっている。

不思議だなと思う。

人と比べようとすると、わたしはどこまでもどこまでも落ち込む。
「わたしには〜がない。あの人はもっているのに」
「なんでわたしは〜じゃないの?〜がよかった」
妬み、嫉妬、後悔、劣等感、どこまでも悩みの海へ沈み込んでしまう。

でも、

人のことをただ想うとき、
「〜はどうなったのかな?」
「〜のプレゼント何がいいかな」
外の世界(他者)への意識がわたしを救ってくれる。

アドラーさんが言っていた「他者貢献」はもしかしたらこういうことなのかもしれない。「相手の役に立ちたい」という思いが逆に自分を救ってくれる。

とはいえ注意することもある。

他者への意識が強くなりすぎて、自分を置き去りにしすぎてもこれまた
ドツボにはまってしまうからバランスが難しい….。
(それが過剰に働きすぎると前回の記事のようになってしまう)

それも今ちょうど練習中なのかもしれない。


おまけ

ここではたまたま外の世界への入り口は「人」だったけれど、
外の世界への入り口は無数にあると思っています。

わたしも人のときもあるし、それが運動のときもあるし、
歌を歌うこと、踊ること、きっとたくさんたくさんあります。

内への旅に疲れたら、外への旅を思い出したいなと

そんなことを思う今日この頃です。














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