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本当は羨ましかったんだよね。


今日はゆぴちゃんのnoteから。

タイトルを見て、ずっと心の中にあったものが吸い上げられていくような感じがした。

弱い人が羨ましくて仕方がない
正確には、自分の弱さを認められる人が羨ましい。


私はよく、「ひとりでも大丈夫そう」だと言われる。
いやいや何が大丈夫なの。全然大丈夫じゃないんだけど。
と当の本人は思っているのだけど、周りから見るとそう見えるらしい。


ずっと「なんでだろう」という疑問をもったまま生きていた。
あなたなら大丈夫、と言われることは嬉しいことでもあるのだけど、心の何処かで隙間風が吹いている。ちょっぴりさみしい。
あの人と私では何が違うんだろう。私だってそんなに強くない。なのに、どうして…って。黒くて重たいドロドロした感情。


このことに関しては、自分の中で見えてきた一つの答えがある。
それは、誰かに頼ることがものすごく下手くそだということ。 
「助けて」と思う反面、申し訳なさとできないことへの恥ずかしさが勝っていた。だから言えないし、言わない。気づいたときには自分で抱え込むかなんとかして解決しているか。


誰かに頼ることが申し訳なくて、恥ずかしくて、ひとりで成し遂げることこそが素晴らしいと思ってやっていたら、本当にひとりになっていた。


でもそれって自分の身を守るために殻にこもっていただけだったのかなって。自分の身を守るために分厚い鎧を身につけて毎日を過ごしているような。ひとりで戦っていただけなのかもしれない。


わたしだって、本当は弱音を吐きたい。

でも、弱音を吐いたら負けてしまいそうで、言葉を口のなかで転がす。

結果として、「あなたは大丈夫」のレッテルを貼られてしまう。

声を出して泣きたいと思う反面で、声を出して泣いたら負けだとも思う。

何と戦ってるのかはわからないけど、弱さを見せられるのはある意味で才能だとも思うんだ。

疲れたと思ったら疲れたと言って、泣きたいと思ったら泣けて。

絶対そっちのほうがいい。


弱さを見せられるのはある意味で才能だとも思うんだ。

本当にそうだなぁって思う。弱さを見せることは、いけないことだと思っていた時期もあったし、さらけ出そうと思ってもそうそう簡単なことじゃない。


ひとりで越えなきゃいけないこともたくさんあるけど、ひとりだけじゃちと踏ん張れないこともたくさんある。


人ってそんなに強くない。
経験を重ねるにつれて強く見せる方法はたくさん知ることはできるけど、中身はどうだろうか。


弱さを認められる人、受け入れることができる人
そうした上で、自分自身の足で歩ける人。


強がるの、一つずつやめよう。 


それに、「弱い部分があってもいいよ」と受け入れる一歩を示してくれるのは自分ではなくて、周りの人だったりすることも。
どんなあなたもあなたのままでいていいと受け入れてくれるような人たちに出会えたこと、知ることができたことが私にとっては大きかったかもしれない。


わたしは弱さに憧れる。弱いと認められる人が羨ましい、心底。



本当は楽しくてハッピーな内容を書くことができたらいいのだけど、その時の心の琴線に触れたことを大事にして書いていこうかなと思っています。


小さい頃からの自分の黒い部分をこうして見つめ直すことができるようになったことは、長年の呪縛から少しずつ解放されているような感じがしてるなぁ。


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