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十歳のきみへ

からっぽのうつわのなかに、いのちを注ぐこと。
それが生きるということです。


図書館で何気なく手に取った一冊の本
それが日野原重明さんの「十歳のきみへ」


著者の日野原さんのことはテレビやニュースで知ってはいたけど、本を読むのは初めて。
題名の通り、十歳くらいの子どもたちに向けてのメッセージが書かれている本だけど、読んでいてすごく心がほわっとした。


日野原さんがどんな人なのか詳しく知っているわけじゃないけど、語りかけてくる感じや言葉の使い方からすごく優しくて、やわらかい人だったんだろうなと思った。読んでいて、とても穏やかな気持ちになれたんだ。


子どもたちにもわかるような言葉で、

いのち 時間 十歳の頃の自分 家族などについて書かれている。


その中で私の中に残ったのは、最初にも書いたこの言葉

からっぽのうつわのなかに、いのちを注ぐこと。
それが生きるということです。

年齢を重ねていけば間違いなく「死」に向かっている。
だんだんと寿命という持ち時間を削られていく・・・そんなイメージだった。


もうこんな歳になったんだ、ってどちらかというと悲観的な捉え方


でも、日野原さんは

わたしがイメージする寿命とは、手持ち時間をけずっていくのというのはまるで正反対に、寿命という大きなからっぽのうつわのなかに、せいいっぱい生きた一瞬一瞬をつめこんでいくイメージです。

と本の中で言っている。ここを読んだときに今までの捉え方が揺さぶられた気がした。


小さい頃から「死」が怖かった(今も怖いけど)
いつかいなくなることがすごくすごく怖かった


歳を重ねることを悲観的な言い方で捉えてるように自分で感じているのは、きっとそういう思いが根底にあるから。


相変わらず怖さはあるけど、読んで心が少し軽くなった気がしたんだ。
きっと「死」が身近になったから、よくわからないものから少しわかるようになったから。
それと同時に私のうつわは今どうかな?って考えた。


時間は誰でも等しく流れている。
でも、感じ方は人それぞれ
時間は誰にでも平等 大事なのはその質
生きている時間もあれば、死んでいる時間もある


やりたいことはやれてるかな
大切にしたい人たちにちゃんと気持ちを伝えているかな
いろんなこと、後回しにしていないかな


これらの言葉は今までだって何度も何度も目にして耳にしてきたんだ。
でも、時間が経てば・・・忘れてしまう。


明日が来ることを疑わないで、
後でもいいやって楽な方に走って、
頭ではもう何度も聞いたようなことなのに、大事だってわかってるのに


行動していくことが大事だなって
大切な人たちに思いを循環させていかなきゃなって、改めて思ったんだ。


死は誰にでも来る
遅かれ早かれ誰にでも


そうなる時まで

私が私にできることを

私が誰かにできることを


何度でも思い出したい



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