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思い出話をちょっとだけ。


昨日書いたこのnote
なんでこんなに、誰かが待ってくれることを望んでいるのかなって思ったときに“さみしい”以外に別の思いがあることに気づいたんです。気づいたというか、繋がっていたというか。


今はもう思い出としてしか語ることができないけど、自分にとってはとてもとても大事な思い出。



私は小さい頃から父方の祖父母と一緒に暮らしていました。
両親と祖父母、そして私たち姉弟3人の7人暮らし。
両親は共働きで、学校から帰ると祖父母が必ず待っていてくれました。


「ただいま」と言えば「おかえり」と返ってくるのが、当たり前な毎日。
大学進学のために、家を出るまでは。祖父母が亡くなるまでは。


ある冬の日の朝。母から一本の電話が。
「じいさんが倒れて、もうダメかもしれない」


電話に出たときは、案外冷静に聞いていたつもりだけど、本当は状況が理解できていなかった。正月に帰ったときは、元気だったおじいちゃん。倒れた、と聞いても「バイトが終わったら病院に行けばいいかな」とか深刻に考えていなかった。ううん、考えたくなかったのかもしれない。
そのあと、バイト仲間に「何言ってんの!早く帰りなよ!」の一言で我に返り、連絡をとりーーその時にはもう、祖父は息を引き取った後でした。


実家に帰ると、ひと月前に会った時よりも小さくなって目を真っ赤にしているおばあちゃんが。小さい体をぎゅっと抱きしめました。大きいと思っていた祖母の体がこんなにも小さく、消えてしまいそうなものなのかと、そのときは思いました。そして、冷たくなったおじいちゃんに会った時、どうしようもなく涙がでて止まりませんでした。近しい人の死を理解できるようになってから、初めてのことだったから。


おじいちゃんの葬儀も終わった後、私はしばらく実家に残ることにしました。その間おばあちゃんと一緒にご飯を食べたり、話をしたり……他愛のない時間を過ごしました。


「もう大丈夫かな」と大学のある街に帰ろうと思った時、別れがきました。本当に、突然のことでした。「おやすみ」って、言葉を交わしたのに次の朝にはもう言葉を交わすことができませんでした。ある年の冬、私は祖父と祖母を同時に亡くしました。


葬儀の日、孫の代表として最後におばあちゃんに話をする機会がありました。「何を話そう」とお風呂で考えていた時、浮かんだのは「家でいつも待ってくれる祖父母のこと」でした。


子どもの頃はそれが当たり前でなんとも思っていなかったけど、一人暮らしをするようになって帰りを待ってくれる人がいることがどんなに心強いことか知りました。
家に帰った時に、誰もいない寂しさ。真っ暗な家に帰ることの寂しさをわたしは知らずに育つことができたのです。そんな話を葬儀の時にしたと思います。それが祖父母に対する素直な想いでした。


祖父母が亡くなってから初めて帰った実家は暗く、ポツンと佇んでいました。初めてその光景を見たときの衝撃は今でも覚えています。
祖父母につらくあたっていた時期もあった中、ようやく素直に向き合うことができてきた時だったのに。何も伝えられないまま、何もできないまま、祖父母は旅立ってしまいました。


別れが突然だった分、気づくこともたくさんありましたが、もっと一緒にいたかったなぁというのが本当のところです。


このことがあってから、“家に誰かがいること”や「おかえり」「ただいま」って言ってくれることがわたしにとって大きな要素を占めているんだと思います。
今思い出しても気づくと涙が流れ落ちているくらい、この思い出は自分の中の深い部分にあります。


思い出したら、気持ちがぶわーって溢れてきて大変なのでその辺でそろそろやめおようかなと思いますが笑


昨日のnoteの根幹はわたしの育ってきた環境にあって、そこには人の思いがあるのだなと再確認した日になりました。 


最近小さい頃の自分の話を聞いたり、家族がどう思っていたのかを聞いたりする機会が多いので、ちょっと考えさせられる日が多いような気がしますが。


今日はわたしの思い出話に付き合っていただき、ありがとうございました。

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