ほんとうの強さはどこにあるのか。
最近幡野広志さんの「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」を読んでいる。
まだ読み途中なのだけど、その中で自分の琴線に触れた部分を。
ほんとうの強さはどこにあるのか、という話だ。
幡野さんはガンになったときの奥さんとの関係の中で感じたこと、自身の父親が闘病していた時のことを思い返しながら、このことについて触れている。
その中でお父さんへの思いとして、幡野さんはこんな風に書いている。
入院中、父はかなり苦しそうだった。
しかし、僕ら家族に八つ当たりをしたり、愚痴や泣き言をこぼすことは、たぶんなかった。
そうとう我慢していたんだな、といまならわかる。そしてまた、誰にも言えなかったんだな、とも思う。ちゃんと言ってほしかったな、とは強く思う。
ほんとうの強さとは、愛する誰かに対して「助けて」と声をあげられることを指すのかもしれない。
自分が体調を崩して辛かった時、両親に言う事ができなかった。
それは「余計な心配をかけたくない」「迷惑をかけたくない」という思いがあったのと余裕のない自分が傷つけてしまうんじゃないかという思いがあったからだ。だから自分が落ち着いてから打ち明けた。
今もその選択は間違ってなかったと思ってる。でも、その一方で何処かで「自分が我慢すればいい」と思う気持ちがなかったわけではない。本当は頼りたかったんだと思う。
周りに対してもそうだ。
「受け入れてもらえるだろうか」
「傷つく事言われたら立ち直れない〜」
とかそんなことを思っていたような気がする。
頼りたいけど、自分が傷つくのが怖いから結局自分からはいけなくて誰かが声をかけてくれるのを待っていたり。
自分が我慢すればいいんだと、つい苦しみを呑み込んでしまう。
それは強さでもなんでもなく、身近な誰かと信じることができず、自分のことさえ信じることができていない人間の態度だ。
ちょっと思い当たる節があったり。いや、ちょっとどころじゃないか。
この文章が目に止まったっていうことは自分の中で何か引っかかりがあったということなんだと思う。
まだ一章が終わったばかりなんだけど、なんだか考えさせられる事がたくさん。でも、考えを押し付けられることはないんだよなぁ。
ほんとうの強さってなんだろうって思う。
小さい頃に思ってた強さと今感じている強さは全然違っていて。
もっと短いスパンでも考えていることは変わっているかもしれない。
今回自分の中で一つふに落ちた事だけど、これが全てではないし、これからも色々考えていくんだろうなと思う。
困った時に「助けて」って言えることって大事なことだけど、大切な人ゆえに難しかったりもするもんね。
みなさんは「強さ」ってなんだと思いますか??
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