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なぜ書くのか。なぜ登るのか。

先月、久しぶりにひらいた「オトナのための文章教室」で、「なぜ書くんだろう?」という話が出た。はじめての方もいらっしゃったので、自己紹介(?)の流れで、だったかな。

書くことを仕事にしてない人、しようと考えてもいない人が、「なぜ書くのか」というニュアンスなのか、どうか。

そもそも人はなぜ書くのか。なぜことばを文字にするのか。世界中には、文字をもたないことばの方が遥かに多い、という話には前に触れた。それだけで一生かけても足りない問いになる。

個人的にぼくが思い出すのは、中学生のころに夢中になって読んだ新田次郎の山岳小説で、『孤高の人』『栄光の岸壁』『銀嶺の人』といった長編を通して作者が「なぜ人は山に登るのか」という問いを抱えていたという話だ。

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「登山」が、一般の人の趣味のようなものになったのは、そんなに昔ではないそうだ。

(そういえば、江戸末期に坂本龍馬が「新婚旅行」で高千穂峰に登ったのは何だったのか、癒えたいとか、復活をかけてとか、そういうことか…それはともかく…)

勤めをしてるような人が、週末とか、長期休暇を使って、命をかけた登山に惹かれ、とりつかれたようになる(そして命を落とす人もいる)のは何なのか、と。

「そこに山があるからだ」という仮説(?)を新田さんは立てていたっけ。

なぜ書くのか。──書くことがあるからだ。

そこに山があるからだ。ではその「山」とは何なのか。

ペンを持ち、その「山」を望む。──いや、いまは比喩の話をしているのではない。

実際に、登りたい。

書くことがあるといっても、このことが書きたいから、はい書きました、というわけにはゆかない。

一歩、一歩の積み重ねが、歩く人を魅惑する。

書きたい。

書くことで、見たい。聞きたい。触れたい。──書きたいとはそういうことが束になった願いのようなことではないか。

(つづく)

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