見出し画像

ミシェル・ルグランの思い出

昨日仕事帰りに電車の中でチラッとSNSを見たら、こんな記事が流れてきて、えっ、と思ってよく見てみたら、訃報記事だった。

ミシェル・ルグラン(Michel Legrand)が亡くなった。

86歳というから、大往生ですね、なんて日本語では言う。昨年の秋にはピアノ・トリオで来日してブルーノート東京に出ていた(行かなかった)し、今年4月にはパリでコンサートの予定があったというから最後まで元気で精力的だった。

で、日本語の訃報記事を眺めていたら、やっぱり、『シェルブールの雨傘』『ロシュフォールの恋人たち』『華麗なる賭け』などに代表される映画音楽の作曲家、である。

たしかに、映画音楽だけで何本あるか数えるのが困難なくらいの仕事量で、そのへんのことは濱田髙志さんの『ミシェル・ルグラン・クロニクル』あたりを読めばわかるのかもしれないけれど、あいにくまだ読んだことがない。

ぼくもミシェル・ルグランを(意識して)初めて聴いたのは映画で、1990年代にゴダールのリバイバル(?)があった頃に『女と男のいる舗道』や『女は女である』を観た時。でも『シェルブールの雨傘』も『ロシュフォールの恋人たち』も、しばらく映画は観ないでサウンド・トラック盤だけ聴いて、映画は観たことがないけれど音楽だけは知っているという状態だった。それで充分"映画"が楽しめるんだから面白いと言えば面白い。でも、『ロシュフォールの恋人たち』を、スクリーンで、あのサイズで!(当たり前だ)初めて観た時には妙に感動した。あの音楽と声がこんなふうに使われるんだ! って。

ルグランは映画音楽の作家である前に、『アイ・ラヴ・パリ』『ルグラン・イン・リオ』などの観光音楽(イージー・リスニングといわれるような音楽)のレコードをたくさん録音していて、なぜかそれらの音楽も聴いて知っていた。そのあたりのことは、最近では(数日前にも話題に出てきた)細野晴臣さんが『映画を聴きましょう』という本の中で「ミシェル・ルグランを「再発見」」と題して書いているのを読んだ。

あとは、大学生になってサークルの先輩だったか大学の先生だったかに天王寺の地下にあるジャズ喫茶というものに初めて連れて行かれた時に、『ルグラン・ジャズ』をリクエストしたら、そこのオヤジ(店主)に「きみ、よくこんなの知ってるね?」と言われたのを急に思い出した。その人にとってはたぶん「ジャズといえばアメリカ」で、それ以外の音楽は聴かない人だったのかも? 『ルグラン・ジャズ』はアメリカのジャズメンによる演奏だからとりあえず買ったのだろう。

たしか1999年(あるいは2000年だったかもしれない)に、大阪フェスティバルホールでの来日公演を観に行ったが、その夜のことはなぜかよく覚えていない。『ラジオ・デイズ』というアルバムの発売記念ツアーだったような気がする。でもやっぱりルグランといえば映画音楽の人、という期待に精一杯応えたようなコンサートだった気がする。日本のオーケストラと共演していて、ルグランはひとりで来日していた。

ミシェル・ルグランは、作曲や編曲だけでなくオーケストラを指揮しピアノを弾きいわゆるクラシックもロックもジャズもやるという感じ。それもルグラン流のちょっと特徴のあるジャズ(やロックやクラシック)で。

でもじつはぼくは、ごくまれに聴ける彼の歌が、歌声が好きだ。上手いとか下手とか、強いとか弱いとか、そういうのではない、あぁ、この人は本当に“歌”が好きなんだ、と聴くたびに嬉しくなる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?