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"語りかけ"の声〜犬飼愛生詩集『stork mark』

犬飼愛生が初めて『アフリカ』に書いたのは2009年夏の第7号(詩「ヒトホルモン」とエッセイ「予定の妊娠」)だった。

前作の詩集『なにがそんなに悲しいの』から2年後のことだった。

『アフリカ』を始めた頃、詩を載せる雑誌はぼくの周囲にたくさんあったから(詩、短歌、俳句などは書き手自ら雑誌/冊子をつくって"手渡す"文化がまだ生きていると言えるだろう)、『アフリカ』は「詩以外」の雑誌にしたつもりだった。が、なぜか犬飼さんの詩だけはスッと『アフリカ』に入ってきた。

第8号(詩「おいしいボロネーゼ」)、第9号(詩「ノックとジャンプ」)、第10号(詩「夜のガーデン」とエッセイ「おっぱい日記」)、第11号(詩「指笛とひらがな」とエッセイ「おっぱい日記〈卒乳篇〉」)、第12号(詩「息子の発見」とエッセイ「「ゆるさ」の時代~ぜんぶを「感覚のちがい」にするのか」)…と立て続けに書き、その後は少し『アフリカ』を留守にしたこともあったが、そういう時でもたまに"近況報告"のように詩やエッセイを書いてくれていて、この数年はまた『アフリカ』の主要な書き手のひとりになっている。

昨年(2018年)の夏、『なにがそんなに悲しいの』に続く犬飼さんの第三詩集『stork mark(ストーク・マーク)』が、モノクローム・プロジェクトから出た。

ぼくは詩を読み飛ばす。詩だけでなくあらゆることばを読み飛ばす。『アフリカ』に載せるまではじっくりと付き合う(編集者として)が、雑誌が出てしまったらぼくも次の旅に出てしまうので、置いて来てしまっている。『stork mark』を開くと、置いて来た詩たちが嬉しそうに座っている。そうか、よかったなぁ、と声をかける。

『stork mark』が出る直前、ぼくは武蔵野市で「なりゆきの作法」という朗読&ひとり語りのイベントをやった。その日に合わせるようにして、犬飼さんはその新詩集を送ってきてくれたので、宣伝も兼ねて『stork mark』も会場に持って行った。

その日は、詩は殆ど読まなかった。途中で、「でも、朗読といえば詩」と話して、長谷川四郎の詩と犬飼愛生の詩をひとつずつ紹介した。長谷川さんの詩は『原住民の歌』から。犬飼さんの詩はもちろん『stork mark』から、何にしようかな… と少し迷いつつ、季節に合わせて「お父さんは高気圧」を。

スーパー戦隊を/すんぱー戦隊と歌う君の/不可思議な世界(「お父さんは高気圧」)

この詩集には、ことばをおぼえたての「息子」が頻繁に登場して、助演男優賞をあげたいくらいの大活躍をしている。彼のことばを聞く度に、詩が目をさましたような声をあげる。この詩集は、

ことばの獲得と発見を繰り返す 息子/を/発見している わたし(「息子の発見」)

による10年間の日々の報告、そして冒険記である。

ただし、詩集の中で、ひとつひとつの"報告"は、時系列順に並んでいるわけではない。子は成長したと思ったら赤ん坊になって母の乳を飲んでいる。

息子が助演しているのは、彼の母である「わたし」である。彼は生まれる前は母のお腹の中にいた。だから生まれてくる前、産婦人科に通っている「わたし」を助演もしている。「わたし」は子を産んでからも、しばらくは(何かを)産んでいたような様子である。

「ふつーのお母さん問題」に悩み、「母の愛」に戸惑い、「鬼からの手紙」に慰められ、そして成長する我が子が手にし、口にし、手放してゆくことばに乗せられて遠くまでゆこうとする。

──まぁこんな感じで、次号の『アフリカ』に向けて書こうとしている。犬飼さんのことは、詩だけでなくエッセイのことにも触れないと語りきれない。詩の中にあるエッセイ、エッセイの中にある詩、どれをとっても犬飼さんの場合は"歌"というよりも"語りかけ"の声を感じながらぼくは読んでいる。

(つづく)

犬飼愛生詩集『stork mark』は、アマゾンにもあるそうですが、ぜひこちらから。著者による紹介文や書影などいろいろ載っています。

『stork mark』の冒頭に収録されている「夜のガーデン」は、『ウェブ・アフリカ』vol.1(4/2018)でも読めます(無料・要"購読申込")。

「道草の家・ことのは山房の日めくりカレンダー」は、1日めくって、今日は1月30日、「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに毎日置いてあります。ぜひご覧ください。

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