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畑で採れる野菜のように

日常を旅してるらしい雑誌『アフリカ』をめぐる"セッション"を、再び(徐々に)始めている。

この雑誌はなんともいい加減で、「だいたい信用できます」と書いてあったり、はじめの頃は「推価(推定価格)」がついていたりした。

いい加減なことをウリにしている節すらあり、ヤッカイだ。

今日は、ちょうど20冊目だった2013年7月の『アフリカ』に載っているエッセイを少しご紹介したい。ご覧の、トビラ号。

巻頭に載っている、片山絢也「風の声を聴く人たち」という短文のこと(※『ウェブ・アフリカ』vol.1では無料で読めます)。

“統合失調症”にかんするエッセイで、さいごは、なぜか農家の話になる。

テレビで、ある夫婦でやっている農家が特集されていました。そこは、週に2回は自分のところでとれた野菜を使ったレストランもやっています。野菜だけを使った料理で、味に物足りないところがあるかと心してきた人も、その自然で大胆な味に満足して帰っていきます。また、周囲の農家の人たちと共同で、それぞれの野菜を持ち寄り、野菜の直売所を開いたりもします。そのときにも、集まった野菜を使った料理が振るまわれます。中心となっている農家の夫婦は、楽しそうに料理を作ったり配膳をしたりしています。野菜を持ち寄ったその人もその料理を食べますし、誰がお客で誰が販売している人なのかわからなくなっています。野菜を登場人物にしたお芝居も開いて、子供もお母さんも喜んでそれを見ています。それらの野菜は、時間を適量かけて、作られています。自然のもので、生命力のあるものです。だからきっと、人が集まって温かい気持ちになったり、逆にほっとできるから悲しい気持ちになったりしているように見えました。

彼はこの眺めを、『アフリカ』に重ね合わせて書いている。

自分ちの畑で採れた野菜と、まわりの畑で採れた野菜を集めて、セットにして売ってる。それも、すぐそばにつくった直売所のようなところで。──そんなイメージがぼくの頭の中にも浮かぶ。

実りのある小さな畑が集まり、助け合って暮らしている。このスケールをぼくは大切にしてきた。

最初は、ほとんど誰にも知らせず、ひっそりと始めた(左の蝶)。

10冊目をつくる時が来たら、1冊目と同じ色の表紙に、1冊目とは違う新しい蝶の切り絵を飾ろう、というのは1冊目をつくった頃に考えたことだった。

ひらひらと舞って、20冊目でようやくドアにたどり着いた。ドアを、ぼくは開くことができているだろうか。まだ、ドアのまわりをうろうろ(いや、ひらひら)しているような気がしている。

『アフリカ』の畑は、また実りの季節を迎えようとしている。

(つづく)

「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"、1日めくって、4月24日。今日は、久しぶりに! "道草ハンター"の話。

※「道草ハンター」の話は『アフリカ』第15号(2012年7月)『ウェブ・アフリカ』vol.1で読めます。

※"日めくりカレンダー"は、毎日だいたい朝に更新しています。

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