見出し画像

涙をポロポロ流しながら読んだ。

昨日の「からだの声を聞く」からの続き。

今日はまぶたの痙攣は気持ち少ないような気がして楽だが、気持ちは楽じゃなかった。

こういう時、ぼくは口内炎がたくさんできる? と思うがまだできていない。そのかわり、というのはヘンかもしれないが、吃音の調子がすごく悪い。思うようにはまったく声が出させていない。息子と話をするのにも詰まって、黙ってしまう(吃音サンが表に出てくるわけで、吃音サンからすれば「調子が良い」ということになろうか?)。

気持ちも落ちている。いま、パソコンの前に来て、これを書き出すまで、しばらく俯いて耐えているような時間があった(いつもはそんなことない、毎日のことだから、ササッと書いておわりだ)。

今年、ぼくが一番心動かされたのは、『アルテリ』という熊本の雑誌で読んだ坂口恭平さんの「目の前にあるもののことをしばらく見ていると、」という文章だった。

その時のことを、6/11に、「ぼくは今不安を感じていて、それですぐに作業が止まってしまう」と題して書いている。

見返すと、こんなふうに書いている。

そうやって読み始めたのだが、書き出しから2ページ目の最後のあたりで、涙がポロポロ止まらなくなり、しばらく泣きながら読んだ。
それがどのあたりだったのか… 自分があとでこれを見た時に、見ないかもしれないが見るかもしれない、その時にわかるように、この文章のタイトルにその付近から一行引き出して書いておいた。

あぁ、「ぼくは今不安を感じていて、それですぐに作業が止まってしまう」というのは、坂口さんのその文章の中にあるんだ? と、いまのいままで忘れていた。その時の自分と、あまりにも"かぶる"ので、そんな気がしない。

忘れていたことを、発見すると、少し明るい気持ちになりますね。

その時、ひとりで自宅の、自室(道草の家の2階)にいて、その雑誌の、その箇所を声に出して読んでいた。読みながら、嘘ではない、いつの間にか涙がポロポロ出て止まらなくなった。泣きながら読んだ。そんな読書は、数年に一度あるかないか、ではないか。とにかくひとりで泣いていた。

いま、その時と似たような状態にある、──ような気がする。ぼくはこれから、いつ、どこで泣くんだろう。

(つづく)

日常を旅する雑誌『アフリカ』最新号(2019年7月号)、相変わらず発売中。在庫が少なくなってきたので、お早めに。

「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"は、1日めくって、12月17日。今日は「ゼロ番で好き」な話。

※"日めくりカレンダー"は、毎日だいたい朝(日本時間の)に更新しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?