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障害と個性



どうも 春野です。自閉症です。大学生です

今回は大学での授業メモ編
授業で出てきた1フレーズを発展させて
自閉症である自分の意見を記事として組み立てていく企画です


授業って著作権とか触れないよね?大丈夫だよね?
(ちょっと怖くなってきた)


まあ馬鹿なフリして書いていこうと思います。


テーマは「障害は個性なのか」と言うことです




1 障害は個性?自閉症者の答え



僕の答えは「どっちでもよくね?」です。(ふざけてません)

だって結論なんて多分出ないじゃん?

まあでも、その質問に答えるとしたら、

障害自体に個性はないけど、
障害を持ちながら生きる人生は確かに個性的だと言える。と僕は思っています。


そもそも障害は個性だと言う人は、それをどんな意味で言ってるのか多種多様なはずです。

兄弟児で苦しんだにも関わらず、それでも障害は個性だという結論を出してくれた人。

障害者とあまり関わってこなかった故に、ネットの情報だけで障害者の理想を押し付けてくる人。

障害当事者で、そう思うことでしか気を保てなかった人。

彼らに対して、1つの結論で片付ける事は多分出来ない。
結論づけられたとして、社会全体が変わるわけでもない。
障害者やその家族を襲う不本意な苦しみは、きっとこの先も消えることはありません。

・自閉症者には、色にこだわりがあり、ご飯と牛乳の組み合わせでしか食べられない子供がいます。これだと、最悪栄養が偏り病気になる可能性も。

・衝動性が強い子は、目を離すと窓から飛び降りてしまう子供がいます。
死にたいとか死にたくないとか関係なしに、衝動で飛び降りてしまう子がいます。
こういう子だと、死に至る可能性もあります。

・視覚障害者の交通事故のリスクは?

・強度行動障害の子が家族に怪我をさせたら?最悪事故で死に至らしめる結果になったら。


障害という概念自体に大きな個性や意味はありません。
それ以外に、当事者や家族、関係者の人生には目を傾けなければならない
悲惨な事実が障害という言葉には隠れている。


なので、障害は個性だと結論づけるのは、きっと意味はないかと思います。
(間違っているとは言っていないからあしからず)


その人ではなく、障害自体に価値を見出してしまうのは、少し危険かもしれない。




ラスト 障害はより良い人生を生きるための……


障害自体に意味はないからと言って、もちろん悲観視してる訳ではないですよ僕は。

僕は16歳の時に自閉症と診断されました。

その後の人生で思うようになったのは

障害は、より良い人生を見つけるためのヒントなのではないかということ。

僕は診断されたからと言って、苦しみが消えた訳ではありません。
でも、それを知れたことにより、

自分の人生で何が必要で、
何が不必要なのか


取捨選択できるようになって、気が楽になりました。

普通でない道を生きることは、とても怖いことです。
混雑した道を歩き、前の人について行った方が、人生は楽で失敗は少ない。
残念ながら障害者は、その道から外れてしまう。

でも裏返せば、少数派である障害者の道は混雑していない分、より生き方が鮮明となってくるはずです


僕はこれから、障害に意味を見出すことはありません。

自分の歩く人生に、価値や意味を見出しながら生きていきます


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