上下のある関係は”友達”じゃない?【友達関係】

おはようございます。

今年に入ってから、ベッドで寝た日よりコタツで寝落ちした日の方が圧倒的に多い(恐らく7割がた後者)はるねずみです。

晩御飯を食べる時間は夫と合わせているので大体毎日一緒で19時前後、どんなに遅くても21時までには食べています。

でもその後の過ごし方はバラバラで、やる気がある日はその後ジムに行ったりもしますが、それは本当にたま~~にで、大体はやる気がなくてダラダラと、『あつまれ!どうぶつの森』に夢中になって時間を浪費してしまいます。(ついこの間までは『スイカゲーム』だったのですが、先月末にとうとう、発売から数年ずっと我慢していた『どうぶつの森』を解禁したのです。)

switchに限らず『どうぶつの森』のソフトを遊んだことがある人ならわかると思いますが、このゲームは特に目的(全クリアなどの概念)がない、”島での自由気ままなスローライフを楽しもう♪”というゲームなんですよね。

島の魚や虫をつかまえて図鑑を集めるもよし、果物や島で採れる資材を売ってお金を稼ぐもよし、稼いだお金で洋服や家具を買って自分の分身や部屋をおしゃれに飾るもよし、島の住民(どうぶつたち)とのコミュニケーションを楽しむもよし・・・!

色々な楽しみ方があるので、男女問わず子どもから大人まで、それぞれハマる部分があって愛されて、これだけシリーズが続いているんだと思います。

ちなみに私は先ほど書いた全部を楽しんでいます!笑

どうぶつたちにはそれぞれ性格があり、それによって話す内容も変わるのですが、たぶん全部で10タイプあるかないかだと思います。

別々のキャラクターでも性格タイプが同じだと話す内容もほとんど同じだし、特別なイベントがないかぎり、普段はところどころキーワードが差し変わるだけ。性格と同じように会話パターンも性格ごとに10~20くらいで、ランダムに出現する感じです。

だから私のように毎日毎日どうぶつの森にログインして、毎日毎日どうぶつに話しかけていると、「あ、この話ね・・・(この後返事の選択肢が3つ出てくるからアレを選ぼう)」みたいに、出だしのセリフでその後の展開の察しがつくようになってくるんですね。

「え・・・それ、飽きないの?」
「なんでわざわざ話しかけるの?」

と思われるかもしれないのですが、わかっていても楽しいというのももちろんありますし、あとは正直、コミュニケーションの中で家具や洋服などのアイテムをゲットできるラッキーもあって、それ狙いでもあります。笑

どうぶつから頼みごとを引き受けて、それを遂行することで”お礼の品”をもらえることも多いので。コミュニケーションを楽しみながら、島での自分の生活をより充実させられる、というメリットがあるので、会話の内容がわかっていても毎日何度も話しかけるという訳です。



・・・って、すみません。どうぶつの森の話がしたくてこの記事を書き始めたわけではなかったのですが🤣ついついw



そうそう。

冒頭の「コタツで寝落ち」で思うのは、やっぱり「規則正しい生活」というのは「安定した心理状態」と密接な関係があるんだなぁということです。

心が乱れていると色んなバランスが崩れます。

眠れなかったりもそうですし、部屋が散らかったり身だしなみが適当になったり、食生活も偏ったり・・・自分の身の回りのことをきちんとできなくなります。

疲れすぎると、周りに対してというよりもまず、自分を大切にすること、自分自身の世話がおろそかになっていくんだと思うんです。

だからこそ、心が疲れたときには「よく眠る」「ちゃんと食べる」「断捨離する」とか、自分の世話をしっかりするように、生活を見直すところから始めるようアドバイスされることが多いんですね。

私の夫はというと・・・

どんなに疲れていても、毎日晩御飯を食べてひと休みすると、ゲームやスマホいじりを中断して、お風呂に入って(しかもお湯をためて入浴も)パジャマに着替えて、お水を飲んだり翌日のお弁当の準備をしたりして、0時前には必ずベッドに入り、6時間以上の睡眠をとります。(スマートウォッチで睡眠時間の記録をチェックしています。)

そんな規則正しく暮らす人を間近で見ていると、「すごいなぁ」と思ってしまいます。

もしかしたら、これを読んでも「いやいや、そんなの誰だってやってるでしょ」「当たり前のこと」「むしろそれがすごいってどんだけだらしない生活してるのさ…」と、呆れられたりドン引きされてしまうかもしれません。



そうです。

私は結婚前も結婚後の今も、だらしない生活をしている時期の方が多いです。(転職して間もないとか、ワクワクしていたり心に余裕があるときはわりとちゃんとできていたりもするけど…と、言い訳しておきます)

お風呂に入るのは特にめんどくさいです。(汚い!!)

お化粧を落とすのさえめんどくさくて、そのために腰を上げるまで何時間もかかったりします。

女性はお風呂好きな人が多いと思いますが、私がお風呂が楽しみだと思うのは、たとえばシャンプーやボディーソープを新しくしたときです。どんな香りかな~、どんな使用感かな~と、新しいものを使ったときのワクワクを想像すると「試してみたい!」という意欲が行動を後押ししてくれるんです。

私の「やる気スイッチ」が「新しいもの」「好奇心を刺激するもの」なので、新発売や期間限定、自分が知らないものや、好きなもの(いちごの香り~なモノとか)には常にアンテナを張っています。

その逆で、「いつもの」「飽きた」「マンネリ」は私のやる気を底辺レベルまで下げるので、そういうものに囲まれていると、だんだん心がサビづいてきて、色々どうでもよくなってくるんですよね・・・

同じものを長年愛用している人や、「○○はやっぱり△△社のこれでしょ!」という、自分なりのこだわりがある人や、新しいものに心惑わされずに安定したもの選びができる人のことは尊敬します。新しいものを求め続けても限界がありますし、失敗も多いですからね・・・



・・・って、何が言いたいんだったっけ。



あ、そうです。

自分がだらしない生活をしているな、と気づいたときは、だいたい疲れが限界に達しつつあるときなんですね。

今でこそ、夫との生活空間をめちゃくちゃ散らかす!!ということまではないにしても、夫と知り合う前、母の家に居候していた時なんかは、仕事も恋愛も友達も何もかもがうまくいっていなく、誰にも相談できなくて、自分が使っていた部屋は散らかり放題で、足の踏み場もない状態でした。

心がぐちゃぐちゃだと身の回りもぐちゃぐちゃ、自分も不潔でぐちゃぐちゃ。

心は一日二日ですぐ片づけられないからこそ、自分のこと、身の回りのことをちょっとずつでも綺麗に整えていければ・・・ですね。



で、ですね。やっとこさ本題です。

昨日noteに殴り書き(殴り打ち?)した記事の件について。つまり飲み会のことや、それに至るまでの友達付き合いについて、夫に昨日朝、ぶわ~~~~っとめちゃくちゃ詳しく、話して聴いてもらいました。

久々に、嗚咽しながら泣くくらい小さいものから大きいものまで全部吐き出したら、少しスッキリできました。

話してみて改めて気づいたこと。それが、タイトルに書いた「上下関係」についてです。

私はたぶん、自己肯定感がめちゃくちゃ低いです。

約1年前からジムに通うようになって、だいぶ自信はついてきました。

運動を継続すること、それによって目に見える変化(体重やボディライン)があることで、「やればできる!」「これだけ頑張れてる!」と、自分を認める”根拠”を自分で作り出せるようになったからですね。

それでも、対ヒトにたいしては本当に本当に、相変わらず自信が持てません。

何の努力もしないありのままの私が、相手に受け入れられて、好かれるわけがない。だから、印象の良さをキープして仲良くい続けてもらうには、努力を続けなければならない。

そういう思考が根底にあるんです。

自意識過剰だとも思いつつ、常に自分の表情や声の感じ、言葉遣いやしぐさなどを、相手からどう見られているか、どんな印象を与えているかに、まず気を遣います。

相手と話していて無表情や、力の無い返事、「へ~」「で?」「は?」「あっそ」のような、「あなたに興味ありませんよ」という意味に捉えられかねないような態度は絶対にしません。

貧乏ゆすりは見ていて焦ったり不安な気持ちになるものだと思うし、ペン回しとかテーブルを指でカタカタする(?)とか、話しているときにスマホをいじり続けて顔を上げない、相手の目を見ない、とか・・・

自分がされて嫌な気持ちになるようなしぐさも極力控えます。(状況によっては、何かを調べるためにやむを得ずスマホを触ることもありますが)

そういう「失礼のない態度」は友達だけでなく誰に対しても大前提であることはもちろん、その上で、「いかに相手を気分良くさせるか」に頭をフル回転させます。

「この人は私にこの話をして、私に何をどう言ってほしいんだろう」と想像しながら、自分の話したいことは二の次で、相手の話を聞くことや、求められていそうなリアクションを取ることに専念します。

相手の話を否定することはできるだけ避け、どうしても譲れないところだけはおそるおそる主張します。何かを決めるときも常に相手ファーストで、「それはやだ!私はこれがいい!」みたいに否定+自己主張はほとんどしません。

よく言えば「相手に合わせる」、悪く言えば「相手任せ」「言いなり」「自分がない」状態ですね。

受け身すぎるのも問題・・・

でも、私の場合、私の気持ちや意見・主張が、相手のそれを否定してまで押し通すような価値があると思えないんです。むしろそれをすることによるリスクの方が圧倒的に気になってしまいます。

わがまま、自己中心的、我が強い、変わっている、協調性がない、嫌い。

そう思われるのが怖くて、そのリスクを取るくらいなら「私」はそこになくて良い、と判断します。

(とはいえ、書いてて思ったのが、相手任せにすること自体もわがままで自己中心的な考え方とも言えるのかもしれないですよね…文句言ったりしないにしても、相手に決めさせる心の普段や責任を押し付けてるんですから…)



たぶんそういう振舞い、「我ここにあらず」みたいな、自分で自分をないがしろにするような態度を取ることで、相手からも私は大切に思われなくなっていくんだと思います。

自分を大切にしていない人←適当に扱ってもいい人

きっと相手にも無意識にそう思わせてしまうんでしょうね。

その結果、私はこれまでの友達付き合いのほとんどにおいて、目に見えない”上下関係”ができていました。言うまでもなく、「下」が私です。

何をされても文句は言えず、「腹が立った」「悲しかった」「やめてほしい」と気持ちを伝えることもできず飲み込んで我慢する。それが続いていくと相手と距離を置きたくなって、限界が来たらフェードアウトする。

相手が私から離れていく可能性も大いにありますが、いつもだいたいこういう感じで、その場限りの付き合いでした。

無理に合わせようとしすぎて自分を消耗して、長く持たないんですね。



だからこそ、”長期的に付き合い続けること”が必要な場面がものすごく苦手です。仕事(職場)なんてまさにそうですよね。

人の入れ替わりがそこまで多くなかったり、所属人数がそこまで多くない職場だと、決まったメンバーで長~くうまくやっていかなければなりません。

職歴がどうとかでなく心理的に「下」の立場に立って、ひたすら相手の顔色を気にしながらへりくだり、自分を押し殺し続ける期間=その職場での勤続年数。一番長く続けられた職場ですら3年持ちませんでした。

そして今の職場では、9か月経ちました。

そろそろ限界なのかもしれません。少なくとも私が今のまま、人との付き合い方を変えないかぎりは。



今の職場で特に仲よくしている方とは、仕事終わりにご飯やカフェにも行ったことがあり、LINEでも頻繁にやりとり(相手から送られてきたときに返事)をしています。休憩時間が被ったときにはおしゃべりしたりご飯を一緒に食べたりも。付き合いはじめのころに一度だけ、家にも招待してもらい、遊びに行ったりもしました。

「友達」と言ってもらいました。

「仕事仲間」「同僚」と「友達」の線引きって、どこにあるんでしょうね?

利害があるかないか、でしょうか。

友達として認めてもらえたことを嬉しく思う反面、いつどんな状況で「友達」から外されるのかを想像してしまい、「友達」認定された後の方がよりビクビクしてしまうようになりました。

相手の気に障ることを言ったりやったりしていないか、嫌われたんじゃないか、無理して付き合ってくれているんじゃないか・・・

不安になればなるほど相手にたいする”へりくだり”が加速。自分のことはどんどん後回しです。

・・・なのに、最近の私は、自分を優先してしまっていました。

つまり、「今は話したくないな」「一人でいたいな」という自分の気持ちを大事にして、あえて相手を避けるような行動を取っていたんです。

(もちろん挨拶したり顔を見たら少し話す程度はしていたけど…それだけ。自分からLINEするということは元々なく、距離を置くようにしてからも当然していませんでした。)

私なんかがそんな態度を取るなんて、嫌われてもおかしくない行動だと、わかっていました。

もしこれが中学や高校だったとしたら、たった一回のその行動でも、友達全員から仲間はずれにされ、ぼっちとなり、それだけならまだマシですが、最悪いじめや嫌がらせの対象へ、そして退学・・・という状況にだってなりえたかもしれません。

幸い、今の職場はコールセンターで人数も多いため、仲の良い人と離れても、そこまで「ぼっち」が目立つわけでもないですし、嫌がらせされるようなこともなく、平穏に過ごせる環境です。



ただ、そうした私の「自分本位」な行動が招いた結果が、先日の飲み会だったんですね。

周りの人、ましてや普段仲良くしている「友達」をかえりみず、自分優先で動き、配慮が全然足りていなかった。

建前上とはいえ、一応は”私を主役とした会”だったのだから、もっと私自身が率先して動いたり、参加してくれた人たちにお礼したり話しかけて回るとか、そういう立ち回りをするべきだったのかもしれない、と反省しました。

(ただそれも、「別に普通にみんなが集まるから来ただけで、あなたと話したくて来たわけじゃない」「なんか勘違いしちゃってるイタい人」と思われそうな気もして、正解がわからない…)

そういう場面ですら「受け身」で、自分を守る態度で、何もかも相手任せだった自分に一番原因はあると思うのですが・・・

自分が今までにしてきたことのツケが一気に回ってきて、それがああいった形で公に晒されるという「罰」が当たったのだと思うと、自業自得かもしれません。



こういう一連の流れを話した結果、夫から「上下関係」を指摘されました。

私はもっと、「友達」にたいして自分の気持ちを言うべきだ、と。

飲み会での件についても、普段あれだけ仲良くしていたのに自分だけテーブルを別にされ孤立させられて、「悲しかった」「寂しかった」と伝えていいんだと。

確かに、まだみんなが集まっていない居酒屋の予約席で、ほとんどの席が空いている状態の中、一緒に会場に到着していた「友達」の方々から、私だけ別のテーブル(隣ではあるけれど)に一人で座っておくよう指示されたのには違和感を覚えました。

「あれ・・・?せっかく一緒のタイミングで入店して、しかもいつもなら絶対一緒のテーブルに座る流れなのに、なんでなんだろう」と。

(自分から避けていたくせに、と思われるかもですが、不思議に思ってしまいました。)

飲み会での座席

↑の図で、

赤:私
緑:お家に招待までしてくれて頻繁にLINEもする一回り年上の「友達」
黄色右:緑の人と同じくらいよく話す「友達」で、一度だけ二人でご飯を食べに行ったことがある
黄色左:「同僚」の中でもあまり話したことがない関係性の方
白:空席
灰色:先に来ていた同僚の方々(仲良しメンバー)

店に入るなり、「○○(私)はそこ座ってほしいかな~」と、赤の座席を指示されました。恐らく、今回の会の主役であることから真ん中寄りの席、かつ一応緑の方とテーブルは違えど隣ということで、指定してくれたのだと察しました。

ただ、もしその想像通りだとすれば、他の席はまだまだ空いていたのだから、緑・黄色の三人も私と同じテーブルに座って、私が真ん中よりの端の席に座れば、それでよかったようにも思えてしまいました。

あえてテーブルを別にする理由・・・?

実際、飲み会の中で緑・黄色の方とはほとんど絡みはありませんでした。


最近の私の様子から、あえて遠慮して距離を置いてくれていたという可能性もありますが、あまり目を合わせてもらえない感じや、こちらから話しかけてもすぐに会話を切り上げられてしまい、別のところに行ってしまうといった態度からは、「避けられている」「嫌われたのかもしれない」と想像せずにいられませんでした。

きっとお互い、相手がどういうつもりなのか、わかっていないからこういうことが起きるんですね。


だからこそ、本来上下関係のない「友達」であるなら、夫の言うように、「あのとき、実はこう思ってたんだ」「こういう気持ちだったんだ」と、素直に打ち明けていいはずなんだと思います。

それをすることで壊れる関係性なら、それは友達ではないのかもしれません。むしろ、それによって誤解が解けて互いに歩み寄り、いっそう分かり合えるようになったり、ちょうどいい距離感を見つけるきっかけになるんだと思います。

でも、私は自分の「友達」関係において、そこまで信じられていないんですね。

自分の気持ちを打ち明ける、なんてしようものなら、その瞬間に壊れる脆いものだと捉えていました。

以前にも、まったく別件で「あぁ、もう終わった(嫌われた)」と諦めかけた出来事がありました。

私が相手(先ほどの緑の方)からのLINEを”一週間未読無視”したときのことです。

何の悪意もなく、ただ、疲れて抜け殻のようになっていて、休日スマホに触れずに2,3日経過したところ、そのまま返事をするタイミングを逃してしまった・・・というだけでのことでした。

でもその罪悪感から、職場で顔を合わせても(恐らくたまたまタイミングが悪かっただけ)挨拶することもされることもなく、話をしない日が続いて・・・

結局一週間後に相手から話しかけてくれたのですが、私が悩んでいたこととは全く関係のない理由で呼び止められ、けろっとした顔で話をしてくれたんです。

そのとき、私が上記のことで「もう嫌われたんだと思ってました(号泣&爆笑)」と打ち明けると、「そんなことで壊れるような関係じゃないでしょw」と笑い飛ばしてもらえた、という一件があって。

・・・だからこそ、最近の私の言動も、もしかしたら理解してもらえているかも、と、勝手に期待を持ってしまっていたんです。

距離を置いているのは、嫌いだからじゃなくて一時的なもので、今ちょっと一人になりたい気分で、それを優先しているだけ。○○(私)たまにはそういうときがあってもいいよね、みたいに・・・

そんなことで壊れる関係性ではないし、また時間が経って私から歩み寄れば元通りになれるんだと。

(ちょっとだけ距離を置きます宣言をLINEか何かでしておけばよかったのかな・・・?と、今気づきましたが、う~~~ん。)


今回の飲み会でのことは、全部わたしの被害妄想かもしれません。

ただ、さっきのこと以外にも箇条書きにすれば、私の被害妄想が捗るネタがずら~~~っと並びます。。。汗



夫からは、「もう(関わるのやめて)いいんじゃない?」とも言ってもらいました。

正直私も、関係性がうまくいっていた時期でさえ、話や距離感を合わせすぎることで心がすり減る感じがしていたぶん、むしろ今が離れるのにちょうどいい潮時にも思えます。

友達との距離感って難しいですね。

それに、上下関係のまったくない対等な友達関係で、お互いに言いたいことや気持ちを伝え合えるっていうのは、漫画やドラマではよくあるけど、私には絵空事のように思えてしまいます。

「そんなことをしたらどうなっちゃうんだろう・・・」

悪い想像をしてしまう関係性の方が多かったです。友達も家族も恋愛も、全部。



友達が何よりも大切!宝物!我ら友情永久不滅!友達のいない人生なんて!

そんな風に思える人生を歩むには、どんなふうに生きてくればよかったのか、これからどう生きればいいのか。友達はいた方が良いのかいなくても良いものなのか。はたまた、「友達」の定義ってそもそもなんなのか。常に一緒にいて価値観を合わせればそれは友達なのか・・・?



周りの刺激を受けて、コロコロぐらぐら揺れ動く不安定な自分の心。毎日、いや下手したら一時間ごとに起伏する感情の波をなんとか一定に抑えようとコントロールしながら生きてます。(コーヒー飲んだりゲームしたり本読んだりラジバンダリ)

それでもなかなか言うこときかないのが心なんですよね。

ときには解放することも大切で・・・つらいときは、もうできれば常に解放していたいくらいです。

私にとって「友達」が、そんな私を”縛り付けるもの”になってしまうなら、無い方が良いと思います。それは私にとっても相手のためにも。

言いたいことが言えず一方的に我慢して、過ごす時間も話す内容もすべて相手に合わせ、自由に身動きがとれず、気持ちまで抑えつけなければならない呪縛が「友達」・・・?


「上下関係のない友達」を経験したことがない私目線で、「友達」にたいする偏見や凝り固まった考えを晒す、嫌な感じの記事になっちゃいましたね。

不愉快な気持ちにさせてしまっていたら、ごめんなさい。


友達や家族。素直な自分で自由に楽にふるまっても、簡単に壊れない強い関係性。めちゃめちゃ憧れです。自分には手が届かないと思うからこそ、諦めの気持ちからアンチ的な思考に陥ってしまいます。

自分は自分でいいと認められるようになって、それを表現する勇気を持って、相手を信じる強さも手に入れたいです。

とりあえずジム通いや体動かすことを継続して、肉体鍛えながら心も強くしていって、身の回り整えることから始めていく、ですかね・・・!!

(`・ω・´)シャキーン



てなわけで!!

今日は朝からジム行って一回り以上年下のトレーナーさんにビシバシ!トレーニングサポートしてもらってきます!(快活な方で大きな笑い声でいつも元気チャージしてもらえるんですよ・・・助かる)

最後まで読んでいただきありがとうございました!!

また次回の記事でお会いしましょう(*´▽`*)

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