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未来はわからない、ということ

私はもともと、「自分の未来がどうなるかわからないこと」が楽しみだと、どこかのんきに思えてしまう性質を持ち合わせている。特別な自信も根拠もないのにそう思ってしまうので、これはもう本当に性質としか言えないだろう。

最近、改めて「(未来のことは)わからない」という言葉にいい意味で引っ掛かることが3回ほど続いたので、この言葉に感じていたことを書き留めておこうと思う。別に何の変哲もない言葉だけど、これだけ続けて反応してしまうということは今の自分にとっては意味のあるキーワードなんだろうな…と思うので。

1回目は、この曲の歌詞だった。

Lantern Paradeの「木の葉散る」という曲を知ったのは2020年の12月だった。北里彰久さんが配信ライブ(本当は有観客でするはずだったライブを、コロナの感染拡大状況を踏まえて急遽配信でやることになったもの)でカバーしていたのを聴いて、いい曲だなあとしみじみと聴き入ってしまった。北里さんの素晴らしい歌声にとてもよく合う、温かい響きと切ないメロディーの優しい曲だった。

この曲を久しぶりに聴いたのは2021年の12月だった。ランタンパレードさんのライブに北里さんが出演するという情報を見て、そう言えば…と思い出したのだ。それで改めて聴いてみたら、この曲のこの歌詞が妙に刺さった。

前向きな言葉を紡いだけど
それはただ ついてただけなのか
何が起こるかわからないし
何も起こらないかもしれないし
信じれば叶えてくれる都合いい神様なんているわけないだろ

未来の不確実性をそのまま「ただわからないもの」として歌ってくれることの誠実さにぐっとくるというか、本当にそうだよね…と勝手に共感してふっと救われるような気がしたのだ。高らかに希望を歌っているわけではないのに、どこか希望を感じたくなる余白があるのはどうしてなんだろう。そんなふうに感じるのも私の性質によるものなのだろうか…と、この時はまだぼんやりと思っていた。

◆◆◆

そして、2回目はこの曲の歌詞だった。

今年の1月にリリースされたばかりのASOBOiSMさんの新曲、「明日はくる (feat. 関口シンゴ)」。ASOBOiSMさんは2020年にも私の好きなギタリストでプロデューサーの関口シンゴさんとコラボしていて、そこをきっかけに他の曲も聴いたりして好きになったアーティストさんだ。

「明日はくる」は優しいギターの繰り返しのフレーズが心地よく耳に残る、トラックも歌詞もとても素敵な曲で(この曲についてのインタビュー記事も素敵なので貼っておきます)、その歌詞に出てくる「わからない」にも、私は明るさのようなものを感じた。

良いことかも
悪いことかも
わかんないけど
明日は来る とりあえず

この歌詞を聴いていいなあと思った時、やっぱり「未来がどうなるかわからないこと」自体に希望があるんだよな、と改めてしっかり言葉にして思ったのだ。先のことはわからない、という事実はそれ以上でもそれ以下でもないけど、だからこそ遠くに感じる希望がある気がしている。

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そして3回目は、星野源さんの著書「いのちの車窓から」の文庫版あとがきだった。

2017年に発売された単行本版のあとがきで、源さんは「未来はどうなるかわかりませんが、」で始まる一文を書いていた。そして、つい先日発売された文庫版のあとがきでは、その「未来はわからない」という言葉を軸に改めて源さんの今思うことが書かれていて、ああ、同じ言葉に同じようなことを感じているんだなあと思った。

本文からの引用は控えようと思うので説明が難しいのだけど、未来は分からないと語る源さんが連ねる言葉の向こうには、やはり希望と呼びたくなるものが光っていたのだ。

この「いのちの車窓から」の文庫版あとがきでは他にも、音楽と景色の記憶についての話や、少し先にちょっとした楽しみがあることの大切さなどが綴られていて、それはこのコロナ禍の2年の間に個人的にも身にしみて感じていたこととぴったり重なるものだった。不思議なような気もするけど、きっとこれはどんな時代でも普遍的なことで、今は特に日常でそれを痛感しやすい時代ということなんだろう。

◆◆◆

未来はわからない、ということ。たとえ「今」の状況に希望が見いだせないとしても、あるいは「今」が希望に満ちあふれているとしても、生きていれば必ず、予測できない未来が待っている。「今」も「未来」も恒久的な1つの状態ではなくて、常に変わり続けるものだ。

このコロナ禍もまた誰も予測していなかった未来の1つで、今はまだいろんなことがままならない状態が続いているけど、この先信じられないほどいい状態が続くフェーズが待っているはずだ、と思っていたい。

未来がわからないことに不安がないとは言わないけれど、やっぱりわからないことにこそ希望や楽しみを感じていたいと今でも思う。そう思えることの当たり前ではない幸せも忘れないようにしたい。

ということで、少し先のちょっとした楽しみを継ぎ足しながら、2022年もなるべく楽しくやっていければいいなと思う。

「楽しみはいつも未来の中にあるのだ」、と澄みきった明るい気持ちで書いたのは、2018年1月の年が明けて最初に書いた記事の文末だった。2022年最初のこの記事でも、最後にあえて同じことを言いたい。先のことはわからないけど、いつだって楽しみは未来の中にちゃんとあるのだ。

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