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迷いながら育てる。きっと、それでいい。

「勉強しなさい」と子どもに言いたくない。

その台詞が私のなかでトラウマであることも原因ではあるが、そもそも何かを人に強要することが極端に苦手だ。もちろん礼儀とか、挨拶とか、人となりに関わる最低限のルールは教えている。しかし、それ以外のことに関してああしろこうしろと指示を出す気にはどうしてもなれない。

私は実は、怒るとかなり怖い。よその子も口を揃えてそう言う。命に関わること、人の心を傷つけることに関しては力いっぱい怒る。あと一歩で車に引かれるところだった。そんな場面のときにのんびりと穏やかな口調で言い聞かせるなんて、私には出来ない。怒るのは疲れるし好きではないけど、子育てをしていて怒らずにいられる人なんてこの世にいないと思っている。本気で向き合えば向き合うほど、こちらの気持ちも熱くなる。

死んで欲しくない。人をむやみやたらに傷つけて欲しくない。

それだけは私の中で譲れないことだから、そのセンサーに引っかかることをしたときには我が子だろうが他所の子だろうが容赦なく怒る。それでも連日大勢の子どもたちが我が家に「ただいま~」と遊びに来るから、子どもは怒られる=嫌いとはならないらしい。


でも、勉強に関しては全く別の話だ。勉強に限らず、何かしらの成果が目に見えるもの。スポーツでも、絵画でも、習字でも。それらの成果を上げるために一生懸命声をかけたり、お尻を叩いたりすることが出来ない。

やりたければ言われなくても一生懸命やるものだという考えが根っこにある。私が言われなくてもこうして毎日文章を書いていることと同じことだ。本当に成果を出したいならば、周りがあれこれ言わずとも勝手に頑張る。息子にとってのバスケがまさにそれだ。

でもそれだと、やりたくないことはやらないという事態にも繋がりかねない。それはそれで将来困ったことになるのではないかと時々心配になることがある。

長男は、宿題は毎日ちゃんとやる。それは彼のなかでやらなければならないことに位置付けられているからだ。しかし、自主学習はやらない。それは「やった方がいいですよ」と言われているだけで、提出を義務付けられていないからだ。

夏休み期間、本当に宿題以外何もやらない彼に、一度聞いてみた。

「ねぇ、自主学習やらなくて大丈夫なの?」

周りはみんな塾にも通っている。塾の宿題の他にも家庭内で決められた勉強をこなしている子の方が圧倒的に多いことに、若干の焦りも感じていた私。でもそんな私に息子はあっさりと言ってのけた。

「やってるじゃん、バスケ。」

・・・・・・・・・。

「いやバスケ頑張っているのは知ってるよ?でもそういうことじゃなくてさ…。」

「何で?だって、勉強って将来の自分のためにするんでしょ?俺はバスケ選手になるんだから、一番勉強して一番練習しなきゃいけないのはバスケでしょ?


バスケ選手になる。

そう言い切った息子。「なりたい」でも「なれたらいいなぁ」でもない。「なる」と言い切った長男。その揺らぐことのない自信は、一体どこからくるのだろう。

私は息子を産んだけれど、こういうところは私とは正反対だ。私はいつも物事の最悪を想定してことを進める。出来なかった場合、失敗してしまった場合をこれでもかというほど考える。石橋を叩き過ぎて壊してしまうタイプと言えば分かりやすいだろうか。要するに、臆病なのだ。


息子は昔からやりたいと言ったら出来るまでやり続けるタイプだった。逆上がりが出来ないのが悔しいと泣きながら豆を潰して練習していたのが、確か3歳の頃。そう、3歳ですでにそれである。

「まだ小さいんだから、最初から上手く出来なくてもいいんだよ。また今度練習に来よう。」

そう言った私に、息子は泣きながら叫んだ。

「できるんだよ!ぼくはできるんだ!!」

そうして陽が暮れ始めた頃、本当に長男は逆上がりが出来るようになった。手は潰れた豆が破けて血が滲んでいた。痛かったはずだ。それなのに、そんなことはどうでもいいのだと言わんばかりの満面の笑顔だった。


自分を信じられる人間は強いと思う。自分の可能性。自分のやりたいこと。思い描いた未来。それを当たり前みたいに信じ切れる人間は、あまり多くないように思う。

今現在、バスケをするうえで息子は体格的に恵まれているわけではない。むしろとても小さい。でもそんなことは関係ないのだと彼は言う。

「チビだからスピードと技で勝負するんだ。チビにしか出来ないことがあるんだ。


息子の未来はまだ何も分からない。でも、今はなりたいものに真っすぐ突き進む彼を精一杯応援してあげたいと思う。そして何より私自身が、息子の夢を信じてあげたいな、と思う。

狭き門は、別に閉ざされているわけじゃない。狭くてもちゃんと開いているんだ。

そこに一直線に突き進む息子に、どんなときでも迷わずに「きっとできるよ」と伝えてあげたい。やる前から無謀だなんて決めつけたくない。無理だなんて言いたくない。


勉強をする必要は、きっとあるのだろう。でもそれに気付くタイミングは人それぞれだ。うるさく騒ぎ立てたところで何一つ頭に入らないし身につかない。興味に勝る着火剤なんてこの世にない。

「勉強しなさい」と伝えないことが正しいのかどうかは、きっとこれからも悩み続けるだろう。言いたくなくても将来のために親が言ってあげるべきだという考えもまた、安易に否定出来るものではない。

それでも私は、息子が全身全霊をかけて頑張っているものを応援したいし、彼の可能性を信じたい。楽しくて仕方がないのだ。あの爆発しそうなエネルギーを、全力で自分の意志で一つのものに打ち込んでいる姿を見ているのが。


子育てには分かりやすい正解がない。だからきっとみんな迷う。みんな悩む。でもそれでいいのだと思う。向き合っているからこそ悩むし、大切だからこそぶつかるのだ。


息子は今夜も体育館で一生懸命練習している。頑張れ、と心のなかで思う。我が家はこれでいい。きっと、これがいい。


余談ではあるが、先日漢字テストがあったらしい。「創造」に「つくる」と振り仮名を振っていた。

うん。大体合ってる。

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