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素質と、経験 〜私はリーダーは向いてない〜

誰でも、得手不得手というものがあります。
得手というのは、「さほど苦労せずともうまくやれるもの」。
不得手というのは、「それをやり遂げるために人よりかなり努力を要するもの」。
今回は、私が長年の間にたくさん失敗しながら、ようやく得手不得手を確信できた話。
「経験をかさねても、素質にまさるものはないのかもな…」と悟った話です。


私は小さい頃からなぜか、リーダーに推されやすい人でした。
自分としては、人の前に出たり、みんなをリードしていくのはすごくしたくないのに。
どちらかというとボチボチ成績がよかった小中学校時代が、それでした。

学習成績がよいのと、集団を率いる力があるのとは比例しません。
どちらもできるというのは、ものすごく優秀な人。そんなヒトばかりとは限らない。
そこそこの勉強ができても、コミュ力はポンコツなのが、私でした。

学級委員とか部長とか、そういうのに推されてしまうことが多く。
おそらく他の子がやりたくないから票をいれられてしまったことも多々あり。
断れる状況になく、しぶしぶ引き受けたりしました。

引き受けたからには責任を持ち、まじめにがんばり。
しかし、まじめにやるほど、「もっとゆるくていい」「柔軟にやればいいのに」などまわりから煙たがられ。
「なら自分たちがやればいいじゃない」と内心思いながら、頑張り抜いていました。
小中学生なので、わりとみんな勝手です(笑)。
押し付けておいて、文句は言うという…(笑)。

中学時代にも色々やらされた結果、「私はリーダーに向いてない、素質がない。2番手3番手が一番素質を活かせる」とはっきりわかりました。
リーダーをやっても、キッチリしすぎて、細かすぎてやはり不満をもたれて集団がまとまらないのです。
2番手3番手のリーダーを補佐するポジションなら、とても評価され、喜ばれ。リーダーだと(選ばれてなったのに)けむたがれる。
おそらく、私は信長や秀吉より、官兵衛向きなのです。

高校は自主性の高い生徒が多かったため、私がリーダーをやらされることがなくなりました。そればかりか、リーダーの足を引っ張る生徒も一人もおらず、みんなが協力的な環境でした。おそらく、その学校は進学校なので、生徒のほとんどが、一度はなんらかのリーダーを経験していたからではと思います。
(リーダーの大変さを知っているから文句はいわない、補佐する。意見するときはキチンと対案まで提示する。)
その環境に身をおいてはじめて、「小中はまわりがみんな自主性がない生徒だから辛かったのだ」と理解しました。
しかし、社会のコミュニティは、私の小中時代のように、色んな人がいるのが普通です。

そんな悲喜こもごもな経験を積み、ようやく私は「今後はリーダーは断ろう。自分もまわりも辛いから」と決めました。

ただし、リーダーを泣く泣く何度もやった経験は、その後たびたび私を助けました。
大学でジャンケンに負けリーダーをやらざるを得なかったとき。これまでの失敗からまなび、周りの意見をあつめながらリーダーとして運営できたし。
社会人になり、後輩を束ねる立場に立たざるをえないときも、緩めにまとめてうまく率いることができました。

「経験からいくぶん不得手がマシになった」と言えます。

しかし、それでもやはり、「経験をいくら積んでも、素質を変えることはできない」と思います。
素質を変える努力と経験は尊いですが、時に不必要にヒトを消耗させます。
「できるけど、ものすごくしんどい」となる役割は、避けられるなら避けたほうが、消耗が減るから。
頑張れるならいいけど、無理は禁物。

もしほかにやれる人がいるなら、可能な限り、私は2番手3番手を引き受けさせてもらっています。それが私の素質を120%、集団に還元できる位置だとわかったから。

過去にリーダーをしてやらかした話をすると、大抵は2番手3番手でいることにOKをもらえます。
そして、「まかせてよかった」と言ってもらえます。

若いうちは、断ることがものすごく怖いかもしれないですが。
死にはしません。全然大丈夫。誰かが代わりにします。

自分の素質を、たくさん失敗や挫折を経験しながら、早めに把握できたら、あとの人生は強いと思います。

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