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「現実」に生きるのってつらくない?


「現実」

その言葉に最近ひどくおびえる日々を送っていた。
その一言を聞くだけで、ずしーんと、ゾウが4頭くらい、自分の上に乗ってきたかのような重みに押しつぶされそうになる。

「現実」は私の場合、ひどくつらいことを指す場合が多い。

日本社会に生まれて、それなりに何不自由ない人生を送ってきてはいるのだけれど。。。やっぱりつらいことがたくさんある。

29歳の「現実」
気づいたら驚くほどに減っている貯金残高とか
かっこいい思った人がいても、薬指を見て悲しくなることが増えたとか
周りが結婚して、子どもが生まれて、どんどん友だちとも会えなくなってしまうこととか
会社で働くのが嫌でフリーで働きたいと思っても自分には何ができるのかすらわからない迷路の中とか
新しいことをしたいと思っても体力とか、心の余裕に限界を感じたりするときとか

「現実」が私は怖くて、つらい。

別に何かとんでもないくらい人生追い詰められてるとか
明日殺されるかもしれないとか

ありがたいことに、そんな恐怖ではまったくないのだけれど
けれどそれはじりじりと、じわじわと私を確実にむしばんでいっている。
そんなかんじ。

そのじりじり、じわじわくるかんじに
苦しい!!!ってなって
ほんとにどうしようもなく眠れない夜がきたり
どうしようもなく悲しくなって泣きたくても泣けない。

みたいなことが私には最近頻繁に起こる。

そういうとき
そんな心のうちを素直に打ち明けて、いつでも共感し合える人がいればいいのだろうけど、そりゃ29年も生きてたら、周りの人たちもそれぞれに大人になっていて、いろんな事情があって、簡単にすべてを打ち明けることができなくなったよねって
最近思っている今日この頃である。

そんな毎日を送っていると
ほんとに盗んだバイクで走りだしたくもなるのだけれど
そんなことしたら確実に捕まるし
どこか自分のことを誰も知らない土地へ行きたいと思うのだけれど
渡航費は昨今の円安も影響して非常に割高になっているし

そうやってまた自分自身で「現実」にがんじがらめにしていることに気がつくと、無性に腹が立ってくる。

そんなとき、この間会った先輩がこんなことを私に話してくれた。

「現実に生きるのがつらくなってきたんだよね。だってどうしようもなくない?」

その先輩は私の前職の先輩で、彼女は在職中に適応障害になって、私より先に会社を退職していた。

「前仕事してたとき、ほんとにいろんなこと我慢してたし、その前だってずっと頑張って頑張ってきてたのに、結果私適応障害になっちゃったんだよ。」

彼女がそうであることなど感じされられないくらい明るく私に話してくれた。

「休んでるときにいろいろ考えたんだけど、結局現実のことばっかり考えてたらすごく嫌になってきて、だから、自分の好きなこととか、自分が将来やりたいことのために時間を使おうって思ったんだ。だってもったいないもん。現実って結局どこまでいってもつらくて苦しいからさ。」

そう言って彼女は自分が今叶えようと頑張っている彼女の夢実現に向けての構想や計画をたくさん話してくれた。

それははたから聞いているととっても実現不可能に見えるのだけれど
でも彼女は着実に1歩1歩前に進んでいた。

「先輩すごいですね!大変だと思うし、私同じ状況だったらそんな風に行動できないです。。」

ほんとに素直に尊敬の念を伝えたら

「現実で生きるよりましじゃない?」

って言われて、その言葉がぐさって、ほんとにぐさー---って何かがえぐりとられるくらい深く私の心に突き刺さってしまった。本当にその通りである。

そんなことが最近あって
とりあえず、先輩みたいにすぐすぐに行動に移せるようなフットワークではないので、一旦「現実」を「現実ちゃん」と呼んでみることにしたことが私にとってとても大きな変化だった。

何かぐるぐると自分が考え始めたら
「あっ、現実ちゃんだ」
また出てきたよ。一旦忘れよ。

そんなかんじで、客観的に自分自身を遠目から見てみる。これだけでとりあえず悩んで日が暮れるみたいなことがだいぶ減った。

あともう一つ。
その「現実ちゃん」が君臨したときに、ある意味退治するための手段として
「好きなことリスト」を作った。

こんなかんじ。


最近は「現実ちゃん」に遭遇したら
このリストの中から、自分の気分にあてはまるどれかに取り組むようにしている。

このリストに書いてあることって自分にとってはあたり前のリフレッシュ方法だったのだけれど、リストにしておくことで、「現実」がつらくて何もできないみたいな事態をだいぶ回避できている。私自身は、つらいとき、「何がしたい」という問いより「したいことをリストから選んで」という問いの方が答えやすいタイプなことに気づいた。

そしてこの行動をさらに客観的にみると
「現実」で悩んでいる時間を「好きなこと」をする時間に転換しているということがわかる。
そう思えるだけで、だいぶ私は楽になることができた。

「現実ちゃん」
ほんとにその存在は怖くて、これからも不安だけれど
少しずつうまく距離をとっていけるといいなと思う。













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