僕は純文学の人でありたい。 つまり、僕の解釈を他者に委ねる余地のある人でありたいということだ。 100の人がショパンを聴けば、100のショパンがそこにある。 芸術とはそういうものだ。 僕には僕の内浦穂高があり 読み手の数だけ僕がある。 空より広く 詩は羽ばたく。
今日の朝に少女の詩を書いていたら 「時よ止まれ、お前は美しい」 という言葉が自然と脳内に響き渡った! 速ければ速いほどに美しいということを知ってはいたけれども瞬間的に体感してしまった。 やはり、我ながら少女の美しさは桜の美しさと同質であるという持論は正しかったようだ。
文学者にとってなにより大事な資質というのは、どれだけ好き勝手に生きていても何故か周りに人がいて、不思議と好かれる星にあるということだと思う。
僕は昔から、少女の気持ちを想うのが好きだ。 儚くて健気な純白の想いに身を焦がす瞬間こそが、この上なく物悲しく、そして耽美に感じるのだ。 だから今日も大いに酒を飲んで、今も僕の中に残る少女性に語りかける。 日本人の美しさは桜の美しさであり 桜の美しさは少女の美しさだ。
僕はどちらかというと右寄りの思想だし、天皇制については絶対的に肯定的なんだけど 今の「推し文化」を見ていると日本人の性癖は戦時中からなにも変わっていないなぁと思う。
https://note.com/fine_orchid0525/n/ned420ee0e05f こちらの記事でお話ししているように仕事から帰ってくると見事に電気が止まってました。 昨夜はお湯も出なくてどうしたものかと頭を抱えたまま眠りについたのですが、勇気を出して今から冷水シャワーを浴びようと思います この人生面白いぞ!!