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木歌 CD Album[Φ](phi)について。2017

はじめに

疑い----→と、網膜のscreenに映るものと外にいる人の大切さ

女性性の否定から肯定へ~子宮との繋がり。

十宮(とおみや)の所在地開拓より住んでおります。

politicianのcian。的な生き様こそ。

1.「意図」と言うものは、そもそも最も人間らしいものであるのかも知れない。『ヴィジョン・クエスト』と言うものがあるが、「人間的意図の外に出る」体験を深める行なのではないか?と気づく。しかし、どうしても擬人化した世界観に絡め取られる-つまり、人間は人間を超越することは不可能。

spiritual(-spiral)artistとのほのぼの茶話会の結果---

私の家庭は食事の作法にとても厳しい家庭でした。テーブル・マナーも幼い頃から教わり、その後とても役立っています(^^)。個人的に、食事についての精神性に学びを深めて来ました。一重に、喜び、美味しく食事をする事。そこに精神性の根幹があります。

3.『有知の知と言う名の-無知』…もしも”ignorant"と言う英語の深いニュアンスを紐解くならば、こう言った状態を日本語で表すのは難しい。と心得る。「白痴」でもないし、「粗忽」でもない。「無骨」でもない。。。

18.その時、この「弱者と強者」と言う「対立軸」自体に「壊れた天秤の軸」しか宿っていない。と言う事実が浮き彫りになる。天秤がどちらかに傾いているならば、「軸は壊れている」と認知する方がいいだろう。従ってそこには。「軸も規律もありゃしない」と言う事になる。

21.ただし、そこで「諦める」のは早い。それでは、「壊れた天秤として」働かなくなってしまう自分に一気にメタモルフォーゼしてしまう。信じる”べきは?”と言う問いではなく、信じ”たい”のは?と言う事に全てが集約されるのだ。染まっていない理想郷の有様こそ、本質的人生の理想の実現を促す。

23.もっと言えば、「他」と「自」と言う概念的追求もまた、強迫性障害レベルの病的追求と似ている。もっと、「大宇宙的-なんとなく」状態になってしまえば、日々、軽やかに。心の赴くままに。気分んをあげたまま。恣意性のかけらもなく。自分も誰かも甘やかせる=ノージャッジ=悟り。となるのだ。

3.結果の獲得を殊更避ける様な「理性性」により、本来あった「独自性」や、「デザイン傾向」が損なわれる人たちもいるのだ。あるデザイン思考の開発に携わる人は講演でこう賜っていた-『思い切って、発想を子供の頃の様に自由に出す。と言うことをする時、とても恐怖心が伴います』

2.それは、人間としての良さでもある。結果、『自然界は言う。鷹は鴉にはなれないし、烏にはならなくていい」。と言う結論に至ったのだろう。人為的な悪意や善意の所在とは「成長を意識化し、意図としてすり替える」これにのみ、依るものであると言える。

4.何故ならば、大自然との共生の中で、『自らこそが大自然』と、負の・刷り込みをしてしまった結果がそこにありありと顕れている。和合しようのないほど厳しい自然世界を生きた人々の中には、しっかりと。自然と人間の境界があったものである。と考えて差し支えない。

19,その時、問題なのが、「そもそも、天秤とは何だったのか?」と言う、愕然とする事実ではないだろうか?歴史的に紐解いて見てもそれほど深い意味のなさそうな存在である。と言うことが分かってくる。あってもなくてもいい。「なんとなく」「こっちが良さそうだ」それこそが指標と言うものだ。

20.恩恵と奉仕・またはtrial&errorの応酬。これもまた「天秤」の軸と論点がはっきりとズレている例である。では、指標と言うもの自体も危ぶまれてこないものだろうか???…ただ一つ。言えるのは「壊れた天秤の上で」陳列される全てに、「信じるべきものはない」

We are livin' livein in eighteeee'th!!!

Spirituarismと、 Animizmの根源にある関係性-creatorとcreature.この愛ある図式。