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テーマを持つということーー「モネ 連作の情景」をみて

中学を卒業するとき、「これだけは絶対忘れるなよ」と3つのことを話してくれた先生がいた。

一つ、労働組合のある会社に入ること。
二つ、謝って済むことならとりあえず頭を下げておくこと。
三つ、定点観測の視点を持つこと。

9年間の義務教育に終わりを告げるにしては、あまりにも現実に即した教えだったなあと思う。
一つ目と二つ目は大学を出て就職活動をし、会社勤めをする中でとても役に立ったが、15歳にはあまり響かないものだった。

しかし、三つ目についてはなんとなく頭の中に引っかかっていた。

定点観測の視点を持つこと。
「同じ場所から、もしくは同じものを意識してずっとみていると、変化していることがわかる。一つのものの変化がわかれば、自然と世の中の変化がわかるようになってくる。どんな些細なことでもいいから、自分の視点で定点観測をするのが大事なんだ」と。

中学を卒業して高校生になっても、今思えば生活の風景が大きく変わったわけではなかった。
特に自転車通学ができる距離の高校しか受けていなかったので、定点観測も何も、毎日同じ風景しか見ていない。そんなことで世の中の変化がわかるものだろうか。

しかし、大学生になり、地元を離れて一人暮らしをするようになると、たまに帰ってくる度に町の変化の大きさに驚いた。
帰ってくるたびに、近所の風景が変わるのである。
家の近くの駐車場はちょっとしたアパートになり、団地は建て替え工事が始まった。十何年暮らしていた風景が一気に変わったことは、もちろん世の中と連動した動きである。そこに住みたい人がいないのに家を建てることは、ないとは言わないがあまりない。

先生は、教師だったから世の中を見る目としてそのように教えてくれたのだと思う。

同じ風景や対象を見続けることでしか、見えないものがある。
別の言葉で表すなら「テーマを持つ」とも言えるのかなと、大阪中之島美術館で開催されている展覧会「モネ 連作の情景」をみて思った。

モネといえば、印象派の巨匠である。
モネの絵を見たことがある人は多いと思う。
印象派の展覧会は人気で、そこにはだいたいモネの作品が並んでいる。

睡蓮や積み藁、日傘を持つ婦人、煌めく水面の描写など、同じモチーフや風景を繰り返し作品にしている。
それぞれの作品を展覧会で単体で見ることはよくあるが、一つの展覧会で睡蓮の絵や、積み藁の絵がそれぞれ複数並ぶことはあまりない。

今回、東京で始まり大阪に巡回してきた「モネ 連作の情景」では、そのタイトルの通り、同じ場所や同じ対象を選んで描いた複数の作品を並べてみることができる。
一点一点の作品に見応えがあるのはもちろん、並べることであの絵とこの絵はどう違うのだろうとじっくり比べることができる(混雑していなければ、だが)。

印象派とは何かと乱暴にいうならば、形式ばった表現ではなく、見たものを感じたままに画面に再構成することだと思う。
そして、揺れ動く一瞬捉えた「印象」をカンヴァスにとどめようとするものから、後期印象派のように「自分にはこう見える」と言う表現に変わり、複数の視点からの見え方を平面に再構成するキュビスムへと繋がっていく。

印象派というのはその後の美術史につながる大きな運動であり、また人気のあるジャンルではある。
しかしなんというか、複雑さの少ない芸術表現に思えてしまう。
というか、私は実際そのような「印象」を持っていた。

しかし、である。
今回のモネ展をみて、その考えを改めた。

例えば上野公園の不忍池を見て、モネのように睡蓮をみることができるだろうか。
農地を見て、川を見て、モネのような印象を得ることはできるだろうか。

おそらく、今の私にはできない。
なぜなら、前後を知らず、その時しか見ていないのだから。

初めてみたからこそ得られる「印象」も重要かもしれない。
しかし、テーマを持ち、時間を友人にしてじっくりとその対象と向き合わなければ、得ることのできない「印象」があるはずだ。そうでなければ、あのように多様な睡蓮を描くことはできないと思う。

今回の展覧会で、作品として面白かったのは、睡蓮の連作を描き始めるちょっと前に書いた、初期の睡蓮だ。描かれていたのはぼやけた光の反射ではなく、くっきりと形を持った睡蓮だった。
モネも、睡蓮に向き合うところから始め、時間を味方にできた後、ようやくさまざまな印象を持てるようになったのかな、と感じた。

振り返って、中学校の先生が定点観測をしろ、と言っていたのはこういう意味もあったのかな、と思った。
実際に見えるわかりやすい変化だけでなく、何かに時間を使って向き合うことで、自分で感触をもった印象を得ることができるようになること。
テーマを持って生きていきなさいよ、と言いたかったのかもしれない。

展覧会「モネ 連作の情景」は大阪中之島美術館(大阪市北区)で、2024年5月6日まで開催している。
人気の画家「モネ」の作品だけが並ぶ展覧会だけあって、相当に混んでいる。思うようにみることはできないかもしれない。
日によっては、会場に入るまでに並ぶ可能性もある。

しかし、とてもいい展覧会だった。ご興味のある方はぜひ。

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