幸せとは、

 月一更新が悪い癖ですっかり月末更新。
「いい文章が浮かびそう」なんてシチュエーションは決まって何かと何かの間の間に訪れたりして、たとえばNESTに向かう途中の空が綺麗だとか、そんな時。
 有り難くも忙しい日々の中で、「大人になる」「幸せ」「自由」ということの意味を最近になってよく考えるようになった。


 幸せとはなんだ。これは哲学的取り組みのひとつだ。


 星が降る夜と眩しい朝が繰り返すようなものじゃなく、大切な人に降りかかった雨に傘をさせることだ、とback numberは定義した。
 これは非常に面白い現代ならではの定義の仕方というか、角度、であると思う。


 back numberが否定した前者「星が降る夜と眩しい朝が繰り返すようなもの」というのは、つまり現象であり、状況である。どういうことかと言うと、そこに「自分」の存在する必要がない。自分がいようがいなかろうが、星が降る夜も眩しい朝も、変わらず訪れるのだ。

 悲観論者が言う、「あたしが死んでも何も変わらない」である。状況だけ考えればそれはとても輝かしく美しい情景なのだが、裏を返せばそれはなんとも非常で冷徹な、温度のない世界なのだ。


 そうではなく、「大切な人に降りかかった雨に傘をさせること」が幸せなのだという。

 着眼点がまるで違う。虹が足りなかったり、オーロラが足りなかったりということを言うのではなく、根本的な幸せの捉え方が違うのだ。


 ここにある違いは、状況の描写ではなく動作の描写をしているという点である。どこにいるかは関係がなく、とにかく「大切な人に降りかかった雨に傘をさせること」。

 現実に当てはめてみると、いろいろなものが見えてくる。

 余裕はあるか。

 傘はあるか。

 その人の傘と、あなたの傘はあるか。


 「あなたの」幸せには、あなたの傘が欠かせないんだ。


 まず、自分の肩を濡らす雨から、自分を守って。


 世界はあなたから始まるのだから。

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