見出し画像

280日後に会いましょう。


 それは突然やってきた。
 不確かで頼りなく、しかしこれまでの、そしてこれからのわたしを揺るがすようなとてつもなく大きな存在。
 12月の朝、わたしは人生で初めて目にする二本の線を前にして、冷静さを欠いていた。

 こういう時、まずは何をすればいいんだっけ、なんて考えるよりも先に、バタバタと足音を鳴らして夫の元に駆け寄る。
 まるで印籠のように、ずい、と妊娠検査薬を夫に突き出す。

 わたしたちの元に新しい生命がやってきた。

 まだ冬が始まったばかりの、雲ひとつない気持ちのいい晴れた朝だった。

 この記事を書き始めたのは、妊娠週数で言えばちょうど16週の5ヶ月を迎える頃。
 とにかく不安定だった妊娠初期を越えて、ようやく安定期と言われる時期に差し掛かった。

 けれど、記事を書きながら様々な体調不良に見舞われ、書き終える頃には、そこからさらに1ヶ月半が経っていた。

 わたしにとってこの記事を書くことは、とても体力のいることで、一つの記事にここまで時間をかけてしまうのは初めてだった。
 でも、ゆっくりと自分やお腹の子ども、そして周囲のことを考える時間は、わたしにとって必要な時間だったのかもしれない。

 少しずつだけれど、これまでの日々を振り返ってみようと思う。

 妊娠したかもしれない、と言うわたしに、夫の反応はと言うと、少し目を丸くしながら「おぉ……!」と喜びつつも、持ち前のポーカーフェイスを発揮し、いつもと大して変わらない様子だった。

 妻から夫への妊娠報告というと、泣いて喜ぶ幸せそうな旦那さんの姿をイメージしていたので、少し拍子抜けだった。
 もっとサプライズ的な演出にするべきだっただろうか、とほんの少しだけよぎったけれど、まあ、そういうのは夫のキャラではないか、こんなものか、と自分を納得させた。

 しかし、少しして思いついたように夫は「近所の神社に行こう」と言い出した。
「無事に生まれてくれるように、お願いしに行こう」と。
 突然の提案に驚きつつも、わたしは快諾し、化粧もしないまま、二人で歩いて近くの神社に向かった。

 わたしたちの家の前には、それはもう立派なイチョウ並木が広がっていて、この時期はこの景色を見ることがわたしの密かな楽しみのひとつだった。

 ちょうど視界を埋め尽くすほどたくさんのイチョウの葉が黄金色に輝いて、わたしの数歩前を歩く夫の着ているニットセーターも同じ色で、なんだかあたたかい気持ちになったのを覚えている。

 神社に着いて、どうか無事に生まれてくれますように、とお願いをした。
 まだ、検査薬で陽性が出ただけなのだけれど。
 自分の腹部をじっと覗き込んでみるものの、あまり実感は湧かない。

 家に帰る途中、夫は道端のポールをスキップしながらジャンプをして飛び越えていて、それはまるで小さな子どものような姿だった。
 こんな夫はあまり見たことがない。内心驚きつつも、瞬間、あ、これはかなり喜んでいるんだな、と感じた。

「危ないよ、転ぶよ」と声をかけると、上機嫌な声で「名前は何にしようか」と返ってくる。
 気が早すぎるよ、という言葉が喉元まで出かかったけれど、そっと飲み込む。彼の喜びに一滴でも水を差したくなかった。

 夫は泣いたり、大きなリアクションで喜んだりはしないけれど、彼なりにとても嬉しそうだったので、わたしは「そうだなあ、苗字とのバランスもあるよねえ」と返した。

 軽やかな帰り道だった。

 それが土曜日のことだったので、週明けにすぐに病院に行くことにした。

 ここで少しだけ妊娠週数について触れようと思う(ご存知の方は読み飛ばしても大丈夫です)。

 恥ずかしながらわたしは、自分の身に起こるまで妊娠週数の数え方すら知らなかった。
 妊娠週数(16週とかいうやつ)は、一番最後に月経が来た日を0日として数える。

 つまり、わたしが検査薬を使って妊娠を知った時すでに、大体5週(2ヶ月目)ということになる。
 妊娠期間が大体10ヶ月、十月十日であることは一般的にもよく知られているけれど、体感的には妊娠を自覚してから「あと10ヶ月くらいかあ」ではなく、「あと8ヶ月くらいかあ」ということになる(とても雑な説明だけれど)。

 ただ、これには「月経周期」という見落としてはならない罠があるのだけれど、それについては後で触れようと思う。

 妊娠検査薬の精度は正しく使えば、99%以上。
 しかし、それだけでは「正しく妊娠できているか」どうかは分からない。
 それを、早い段階で確認することはお腹の赤ちゃんだけでなく、自分の身体を守ることにも繋がる。

 ところで、「正しく妊娠できているか」を確認するには、やはり子宮内にきちんと赤ちゃんがいるかどうかを病院のエコー検査で確認する必要がある。
 とは言っても、子宮に突然胎児が現れるわけではない。
 はじめに、「胎嚢(たいのう)」と呼ばれる、胎児を包む袋のようなものが確認され、その中に「胎芽(たいが)」という赤ちゃんがいて、さらに心拍が確認できて、ようやくホッとできる。

 心拍が確認できるのは早くて5週。一般的に6週〜7週頃には確認できるとされている。
 現時点で5週のわたしが検査をしても、心拍までは確認できないこともあるのだけれど、それでも「胎嚢」が確認できれば、と思い、早めに病院で検査をしてもらうことにしたのだった。

 わたしは中学生の頃から、酷い月経痛や月経不順で悩まされることが多かったので、産婦人科には若い頃から通っていた。
 これまでは身体のトラブルというマイナスなことで受診することが多かっただけに、はじめてポジティブな内容で受診することに嬉しさを噛み締めていた。

 そんなわたしに、内診台のカーテンの向こうで先生は曇った声をあげた。

「うーん……、何も見えないですね」

 先生の言葉通り、目の前のモニターに映し出されたわたしの子宮は、どこまでいっても真っ暗で、まるで夜の海のように静かだった。

 見えない?どうして?心拍の確認まではいかずとも、胎嚢だけは見ることができると思っていたのに。
 まさか何も見えないとは、露ほどにも思っていなかったのだ。
 期待していた言葉とあまりにかけ離れていたため、一瞬だけ時間が止まったような気がした。

「検査薬で陽性が出てるからね。妊娠反応はあったのだと思うんだけど……ちょっと来るのが早かったのかな。うーん、すぐに流産してしまったか、異所性妊娠をしている可能性もある」

 先生は、優しい口調で、されど冷静にあくまで淡々と告げる。
 妊娠初期の流産の確率は、あらかじめ調べていたので知っていたつもりだ。異所性妊娠(子宮以外の場所で妊娠すること)の可能性についても。
 それでもみるみるうちに暗くなるわたしを見て、先生は「でも」と言葉を付け足す。

「もしかしたら、排卵日がずれていたのかもしれないね。月経周期が長めの人なら、おかしいことではないよ」

 それから、1週間から10日後に、もう一度来てくれる?と言った。

 先生は変わらず、悲しみや戸惑いの色を一切見せず、なんでもないことのようにわたしを見る。
 それは不安でいっぱいのわたしにとっては、むしろありがたく、「排卵日がずれていただけかも」という言葉が、一筋の希望のように思えた。

 それからの10日間は本当に……、本当に長かった。

 インターネットやSNSでひたすらに「胎嚢 見えない」というワードを検索しては一喜一憂した。
 文明の発達のおかげで、わたし以外にもたくさんの人が同じように悩んでいることを知れたのは心の支えになったけれど、それでも情報が溢れすぎているのはかえって精神衛生に良くない影響をもたらしているような気もした。

 知ることは大切だけれど、知りすぎても余計に不安が増す。

 この頃、同時につわりのような症状も出始めていた。
 それが重なり、心の調子も急降下。つわりがあるということは、やっぱり妊娠しているのかもしれないと思う一方で、突然体調の良い日が訪れるとそれはそれで不安になる。

 こんな風にあれこれと考えても仕方のないことは分かっていた。わたしは、10日間という期間をただ待つことしかできないのだから。

「赤ちゃん、いなくなっちゃったのかな」

 そう思うと悲しくて、まだ全然一緒に過ごしていない小さな命のことを、そしてその命と過ごすはずだった未来が奪われてしまったような気がして、快晴だった空に一気に暗雲が立ち込めたような心地だった。
 それは夫も同じで「俺だって悲しい。落ち込んでいる」と見るからに落胆し、暗くなっていた。

 こういう時、大丈夫さと明るく笑ってくれることも心強いのだろうけれど、この時のわたしにとっては「わたしと同じくらい悲しんでくれている」ことが何より嬉しくて、それだけで心がすこし軽くなったのを覚えている。

 妊娠出産は、夫婦のものとはいえ、身体に変化が訪れるのは女性だけ。
 だからこそ、同じような気持ちでいてくれているのだと感じられることはわたしにとって唯一の救いだった。
 それだけ、夫も楽しみにしてくれていたということだから。

 夫は、「俺は、お腹に赤ちゃんがいるって信じてるよ」と言ったあと、一拍おいて「信じてるって言っちゃだめかな」と不安げな表情を浮かべた。
 信じるという言葉が、わたしのプレッシャーになってしまわないか、案じているのだろう。

 わたしは、わたしがこんな状態だから、その分夫には信じてあげてほしいって思っているし、わたしだって信じたい、信じてるよ、と絞り出すように言った。

「こんにちは!」

 10日後に戦々恐々とした様子で顔を見せたわたしに、先生は明るく声をかけてくれた。

「あれからどうかな?出血は?ない?じゃあ期待できるかもね!」

 テキパキと準備を進める先生に、わたしはそれでも不安で仕方がなかった。
 内診台に座り、いよいよと言う時、わたしはモニターを見ることができず、思わずぎゅっと目を瞑ってしまった。
 自分の目で確認するのが怖かった。あの暗闇は、もう見たくない。

 だから、それを知ったのはまたしても明るい先生の声だった。

「うん、赤ちゃんいるね。胎嚢見えますよ。……あ!小さいけど、心拍も確認できます。見える?これ」

 その瞬間、パッと目を開ける。
 ザラザラした映像の中に、小さな輪っかが見える。光のようだった。

「ここにね、黒くて丸いのがあるでしょう。これが胎嚢。それで、その中の指輪みたいに見える……そう、これ、この指輪のダイヤみたいなのが、赤ちゃんだよ。まだ小さいけどね、動いてるのわかる?」

 その小さな粒は、よく見るとチカチカと動いている。
 わたしの心音よりもずっと早いそれは、まだまだ生物としては不完全だけれど、確かに生きてここに存在しているのだと感じた。
 内診台の上だけれど、ああ、これは、永遠に見ていられるなあと思った。

「もうちょっと見ていたいけどね。今日はここまでです」

 わたしの心を読むかのような先生の言葉と共に、診察は終わった。
 それからエコー写真をもらって、少しだけ説明を受けて、また2週間後に診てもらうことになった。

 病院から出て車に乗り込む。
 わたしは、はじめてもらったエコー写真をしばらくずっと見つめていた。

 赤ちゃんの大きさは、1.9ミリだそうだ。思わず自分の爪の先を見た。
 約2ミリ。ちょうど、この伸びた爪の先の白い部分くらいだろう。

 思わずため息が出て、眉間にシワが寄り、それから笑みが溢れた。
 なんて……なんて小さいのだろう。たったの1.9ミリなのに、それなのに心拍があってちゃんと生きている。
 これを生命の神秘と言わずして、なんと言えばいいのか。

 すぐさま、夫に喜びの一報を入れた。
 この日の嬉しさはきっと一生忘れないだろう。

 初めの診察で胎嚢が見えなかったのは、先生の言う通り、やはり排卵日がずれていたからだ。

 はじめに一般的な妊娠週数の数え方を書いたけれど、あれは月経周期が28日(つまり、大体1ヶ月ごとに規則的に月経が来る人)の数え方だった。

 わたしは月経周期が不順なため、自分でも何日周期なのか分かっていなかったのだ。
 だから、はじめの診察では妊娠5週ではなくまだ4週だったのだ。
 胎嚢が見えないのは、不自然なことではなかった。

 それから、6週、7週……と、16週の安定期まで、じっくりと時間をかけて日々が進んでいった。
 この一日一日の時間の流れが本当に亀のように遅かったのを覚えている。

 なぜかと言うと、6週から12週あたりまで、しっかりとつわりがあって、わたしは見事なまでに打ちのめされていたのだ。
 つわりが本格化した1月と2月に関しては、習慣であった日記を一切つけていないほど辛かったらしい。
 振り返っても、実はあまり記憶がない。

 とは言っても、わたしは自分の母親のつわりが一般的に見ても辛い方で、そんな話を聞いていたため、自分はまだまだマシな方だという自覚があった。
 一日中船酔いをし続けている吐き気と不快感、熱っぽさはあれど、実際に吐いてはいなかったのだ。

 だからこそ、両親には「あなたは軽い方だよ」とあしらわれ、それが辛かったのもある。
 けれど、彼らには一切悪気はなく、とても心配してくれていたし、むしろわたしの不安を吹き飛ばしてくれようとしていたのだということが、今になってみると分かる。

「わたしの辛さはわたしにしか分からない」と伝えると、二度とそういった言葉をかけてくることはなかった。

 夫はと言うと、「俺はつわりについて勉強する!」と言って、YouTubeでたくさんの妊婦さんがあげている動画を見ていた。
 妊娠初期のつわりに耐える妊婦さんの一日の流れを映したもので、そこにはわたしよりずっと辛そうな女性たちがぐったりとしていた。

 その動画がよほどショッキングだったのか、夫は「俺は考えを改めるよ……」と謎の宣言をして、つわり対策を一緒に考え、実行してくれた。

 夫のサポート精神は彼の元々持つ思いやりからくるものだけれど、それでも男性にはなかなか理解しづらい身体のことだ。
 つわりや妊娠の辛さを分かりやすく動画にしてくれた妊婦さんたちには、感謝をしてもしきれない。

 妊娠初期の辛さはもちろんつわりがほとんどを占めるけれど、精神的なものも大きかった。

 それは、「〇〇週の壁」という言葉があるように、妊娠初期は流産の確率が高いということ。

 心拍が確認できると、流産の確率はぐっと下がるが、それでも安定期(中期)と呼ばれる16週に入るまでなかなか油断ができない日々が続く(安定期に入っても何が起こるか分からないのが妊娠出産だけれど)。

「9週の壁」「12週の壁」「16週の壁」……と、妊娠週数ごとに流産率が下がっていく。
 その祈りのような日を越えるたびに、そっと胸を撫で下ろす。わたしは早く一日が過ぎてほしいと何度も願った。

 それを母に言うと「そんなこと言ったら、生まれるまで壁だらけだよ」と言われて、確かにそれもそうだと納得した。さすが経産婦。

 力強い言葉に、少しだけ不安が吹き飛んだのを覚えている。

 16週を迎えて、一般的に安定期と呼ばれる期間に入った。
 ちょうど春が来て、わたしはこれまでの日々が嘘のように晴れやかな気持ちに包まれていた。

 妊娠初期に苦しめられてきたつわりもだいぶ落ち着いたし、お腹の中の赤ちゃんも胎盤やへその緒を通してしっかり繋がって安定してきているらしい。

 妊娠初期を乗り越えた。
 いや、乗り越えただなんて、そんなにかっこいいものじゃないか。
 ただただ、辛く不安な日々をやり過ごしたのだ。

 わたしは、これまで妊婦さんは妊娠という未知の体験を10ヶ月も乗り越えたのだから、とても強いのだろうと思っていた。

 でも実際はそうではないのかもしれない。
 皆誰しもが不安と喜びの狭間に身を置いている。
 強くなって乗り越えるのではなく、わたしのように弱いままでひたすらにやり過ごしていたのかもしれない。
 でも、それでもいいのだと思えた。

 それでもわたしは確かに、お腹の中の小さな命と一緒に日々を過ごしてきた。
 それこそが何よりも、これからの妊娠生活を支える自信となっていったのだ。

 だけれども、安定期に入ってもなお、わたしは赤ちゃんの大きさが他より小さいんじゃないか、動きが鈍いんじゃないか、と未だに心配しているし、エコーで見れた横顔が本当に綺麗で「この子はどっちに似ているかな」「絶対に可愛い子が生まれる」などと幾度となく写真を見返しては嬉しくなっている。

 それに、何度も使っているこの「安定期」という言葉は、正確には医学用語ではない。
 いつ何が起こるか分からない妊娠に、安定期なんてものはないのだ。

 きっと生まれるまではまた不安になったり、嬉しくなったり、一喜一憂するのだろう。

 予定日まで残り130日を切った。
 この妊娠生活も折り返し地点を越えたのだ。
 正直、ようやくここまで来たか、というのが本音だ。

 きっと過ぎてしまえばあっという間の時間なのだけれど、それでもわたしにとってはとても長い時間だった。

 でも、お腹の子の人生が100年続くとして、それが始まる前のたったの10ヶ月。
 そう思うとやはりほんの短い期間のようにも思える。
 その期間はわたしとこの子は正真正銘一心同体で、身体の中に確かに新しい命が生きているのだ。
 それはとても不思議で尊いことなのだろう。

 つわりが落ち着いてきたと思ったら、今度はこれまで体験したことのないような激しい腰痛に襲われ、妊娠初期以上に寝たきりの生活になってしまった(正直つわりより辛い)。

 わたしの身体は一日ごとにポンコツで不自由になっている。
 できないことが着実に増えていく毎日。

 家事も仕事も、ただ眠ることや起きることすら以前のようにいかなくなってしまったことに、悲しみや悔しさ、情けなさも感じる。

 でも、一日ごとにお腹の赤ちゃんは急成長をしているし、新しい発見の毎日であることもまた事実だった。
 赤ちゃんがしっかりと成長してくれれば、それ以上望むことはない。
 この言葉が綺麗事でもなんでもなく、本気でそう思うのだから面白い。

 いや、でもさすがにこの腰痛はもう勘弁してほしいけれど。

 ポコンとわたしのお腹を蹴るこの小さな愛しい生物のことを考えるだけで、不思議と笑みが溢れてしまう。
 今は何をしているのだろう。蹴っているのかな、伸びをしているのかな、くしゃみをしているのかな。
 小さな動き一つで、わたしをここまで幸せな気持ちにできるのは、きっと世界でこの子だけなのだと思う。

 これから待ち受ける最後の最大の試練のその時まで、きみと一緒に過ごすこの世界を、この変化を、ひとつひとつ大事に感じて生きていきたいと、母はそう思っているのだ。


とても励みになります。たくさんたくさん文章を書き続けます。