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【短編小説 丘の上に吹いた風 2】森の門番

2.森の門番

一向に進展のない事件の担当になって以来、署にいても上司から何か報告はないのかとしょっちゅう聞かれることにうんざりして、大島は後任の会田を連れて丘の上のベンチで仕事をするようになっていた。そこが事件現場だったこともあり誰にも文句も言われないということもあったが、大島はいつの頃からか丘の上が気に入ってもいた。
「報告書、また訂正ですね。三枚の羽は消えたってことでいいですかね?」
「消えたというより紛失だな」
いざDNA鑑定という段になって、専門機関に預けていた白い羽が忽然こつぜんと消えた。だからといって消えたなどと報告書に書けるはずもなく、大島はこの事件に関わってから何度目か分からないため息をまた一つつき、頭上の梅の枝をあおいだ。
なり始めたばかりの梅の実は青く、時々吹く風に小鈴のように揺れている。
「何一つ決め手が見つからんどころか、証拠が消え始めるとはな」
「外部の専門機関で紛失、としときますね。こっちの不手際だと思われたら、たまったもんじゃないですから」
膝の上で器用にノートパソコンのキーボードを叩く会田から力ない笑いがこぼれた。
事件当初から迷宮入りになることは薄々気づいていた。どこをどうとっても犯人がいるような事件とは思えなかったことだけが理由ではないが、大島は犯人を捜す気もすっかり失せていた。ここにきて、ただでさえ数少ない証拠となり得るものまでが消えるという状況にも関わらず、大島は胸がすっと晴れていくのを感じた。
「大島さん、そこ見てください。トカゲがいます」
くたびれた革靴を放り、池の景色をぼうっと眺め始めた大島の肩を会田がつついた。
「トカゲというよりヤモリだな」
こんな真昼間まっぴるまに珍しいもんだと、ベンチの裏からちょこんと顔を出したヤモリに目をやると、ヤモリは視線に気づいたのかひゅっと頭を引っ込めて、しばらくするとまた頭を出し、じっと大島達を伺っている。
「トカゲとヤモリ、どうやって見分けてるんですか?」
「見分けるもなんも、全然違うだろ。まあ、しいて言えば、肌の質感だろうな。つやつやしとればだいたいトカゲ。粉っぽけりゃヤモリだ」
「あ! あれはトカゲですよね?」
会田の指差す先で、鮮やかな青の尻尾がススキの根元の小石の脇でちょろりと動いた。
「そうだな。あれはトカゲだ。つやっとしとるだろ?」
「はい。それにしても綺麗な青ですね」
「俺の婆さんが言っとったが、トカゲは森の門番だそうだ」
「えー、ほんとですか?」
「ガキの時分によく山に入って遊んだもんだが、なにしろ森の入り口に決まってトカゲがいてな。ちょうどあれと同じ青いしっぽのやつでな。だから妙に説得力があってなぁ」
「僕達見られてるってことですか?」
「そうかもしれんなぁ」
「なんかちょっと怖いんですけど」
「今思えばな、婆さんは気安く入って森を怒らせちゃいかんって言いたかったんだろうな。田舎の年寄ってのはそういうもんだ」
「大島さーん」
しわがれた声で遠くから呼ばれ振り返ると、地主の水守みずもりが作業着姿の男を二人引き連れ、丘に続くゆるい坂道を上がってくるのが見えた。乾いた浅黒い肌には深いしわがいくつも刻まれ、長年の畑仕事で色褪せた水守の黒目はずっと先を見ているようでも、ずっと昔を映しているようでもあった。
「水守さん、今日はどうされました?」
「池の周りの柵、業者に見積もってもらわんとならんで」
「そうですか。我々お邪魔じゃないですかね?」
「いやいや、かまやしません」
水守はさっと麦藁帽を持ち上げて大島と会田に頭を下げ、男二人と池へと続くなだらかな道を下っていった。
「柵、やっぱり作っちゃうんですかね」
「だろうな」
「どうにかならないもんなんですかね」
「水守さんも思うところがあるんだろう。それに行政も納得せん。ほれ、もう一匹、偵察に来たぞ」
枯れ残りの葉の合間を縫って伸び始めたススキの茂みから、尻尾の青いトカゲより二回り大きな黒々としたトカゲがするりと這い出てきた。
トカゲは作業着姿の男達を品定めでもするかのようにしきりに首をかしげ、そのたびに日差しをはじき返し、頭がてらてらと光った。
「門番説、本当かもしれませんね」
「言ったろ?」
大島は久しぶりにはっはと笑った。


「トカゲって森の門番だったんだね」
池から駆け上る風が、青いしっぽをするりとなでた。
「だからいつもいたんだね」
風は梅の木陰までくると、枝の隙間をくぐり抜け、小梅の様子をうかがった。

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潜っても 潜っても 青い海(種田山頭火風)