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【短編小説 丘の上に吹いた風 5】友の行方

5.友の行方

ホスピスの長く張り出した軒の上は、陽太の新しいお気に入りの場所になっていた。
生垣と栗の木の間にモグラが作った塚、すももの木に引っかかるセミの抜け殻、大きな実を一つだけつけた小さなレモンの木、どれもこれも軒下のデッキから見ていた頃には気づかなかったものだった。
陽太と美月はあれから何度も地蔵菩薩を訪ねたが、地蔵堂はいつ見ても空のままだった。
なかなか帰ってこない地蔵菩薩に不安になり始めた美月の気を紛らわせようと、陽太は何かないかと庭を見渡した。ついさっき紫陽花あじさいの枝に産みつけられたカマキリの卵を見つけた時も美月はそれほど嬉しそうには見えず、陽太はあきらめて庭仕事に精を出す三田と薗を眺めることにした。
三田は池の縁石のどこに苔をわせようかと、乗せては外しを繰り返していた。菜園では薗が伸び始めたトマトのつるを支柱にくくりつけ、その隣の畝ではつい数日前まで双葉だったキュウリから本葉ほんばが出始めていた。
「お薗さん、苔はどのへんにあったら様になるだろうねえ?」
「自然に・・・・・・」
「そうだった! どうもいけないね、うまくやろうとし過ぎてしまって」
「先生、今日はもう終わりにしませんか? 日も暮れ始めてますし」
どこからか吹いた風が、片付けを始めた薗の麦わら帽子のリボンをなびかせた。
薗はわずかに微笑み、吹き去った風を目で追った。
手元に目を戻したほんの一瞬、薗の顔がわずかに陰った。
「僕達のことだと思ったのかな?」
美月も気づいていたのか、うんとうなずいたきり黙りこくった。
風になれば、風が吹くたびに自分達を思い出してみな寂しくないだろうと思った。だからそう日記にも書き残した。
最初は勇んで皆の笑顔の数を数えた。すぐに悲しそうな顔のほうが多いことに気づいた。笑顔もないわけではなかったが、無理に作った様に見えることも少なくなかった。自信はどんどんしぼんでいった。
「くすぐってみようか。そしたら笑うかな?」
「私達、もう手使えない」
「そうだった!」
おどけてみたが、美月はうつむいたままだった。
陽太は次の手を思いつかず空を見上げた。暮れ始めた西の空に星が一つまたたいていた。
「僕、風になったらせい君となる君にまた会えるって思ってたんだ」
「私も。星君と成君、風にはならなかったのかな」
「どこ行ったんだろうね。成君もう泣いてないといいけど」
陽太は、星が先に退院して寂しくなり、夜な夜なベッドですすり泣いていた同室の成を思い出していた。
「明日また探してみよう」
美月の横顔の向こうで太陽が沈み始めた。
オレンジ色になった美月は少し元気を取り戻したように見えた。
陽太もまた力が湧いてきた。

風は物干し竿の真っ白なシーツをぼんと大きく膨らませた。
「シーツ冷たくなっちゃうよ」
なかなか気づかぬ薗に、反対側からも膨らませた。
気づいた薗はシーツを降ろし、くるっと丸め、風ごとすっかりかごに入れた。
風は慌てて飛び出して、風見鶏にぶつかった。
風見鶏はぶんと回り、我関せずとそっぽを向いた。
三田はデッキに腰かけて、額の汗を袖で拭った。
風は三田の湿った髭を、ふーっと吹いて乾かして、梅の木陰ねどこに戻っていった。


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潜っても 潜っても 青い海(種田山頭火風)