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通天閣[エッセー]

 人生で初めて通天閣に行った。空いているだろうとして調べせず向かうと90分待ちで、引き返すか悩んだが、せっかく来たからと、建物の外まで溢あふれた人の最後尾に着いた。列の前方を眺めると、半数程度が外国人で、残りは親子連れか春休みの大学生である。外国人が話す様々な言語が聞こえてくる。彼らは長期休暇中なのだろうか。
 通天閣はタワーであり、高いところから景色を眺めるだけである。なぜ塔に誰もが群がるのか分からない。列は進んで建物の中に入ると熱い。昼間も寒いという予報だったので私は厚着をしていた。上着を脱いで手に持った。よく見れば列前方の人たちも同じように、上着を腕に抱えている。
 列が進むと部屋に出た。空調が効いていた。滑り台に乗るチケットを買う人の列と、通天閣に登るだけの人の列で分かれている。学生や家族が楽しそうに滑り台の列に並んでいる。なぜ貴様らは滑り落ちるだけでそんなに嬉しそうにしているんだ。
 エレベーターで昇るとお土産店があるフロアに来た。そのフロアでもまだ列ができている。これでは列に並ぶためにチケットを買ったのと同じである。私は気が遠くなりそうだった。天が回りそうだった。前の親子連れは陰気な子供が2人、世話好きそうな母に連れられて、スマホを見下ろして黙り込んでいる。私もこの子供らみたいな感じだろう。そう思うと悲しかった。後ろは外国人のグループで五人かもっとたくさんいる。白人とアジア人で、楽しそうに話している。私は気が狂いそうで、この狭苦しい空間から走って逃げたい。外を見るとさっきまでいた商店街が見えた。案外高く、私はより身体が寒くなる。
 カメラがあるから写真を撮らないかと職員に聞かれて撮った。撮影の時私はマスクを外したが、一緒に来た女はマスクをつけたままだった。列が進むと受付があった。そこで写真を見せられて、千五百円だがいるかと職員が言うが、私たちは買わなかった。私は商売上手と、詐欺はほとんど近しいものだと思う。高い服屋に行けば単なる布が何十万もする。そんなに価値があるわけがないだろう。服は着衣する以外の機能がない。しかしその服に何十万を払う人がいる。資本主義が生み出したお金の取り合いが、単なる布に高い価値を付けた訳である。資本主義はいわゆる大阪人に取り入って、通天閣の経営を成り立たせていると思えば、不思議な循環がここにあると私は、後ろの外国人グループが嬉しそうに写真を買っている様子を見て考えた。
 再びエレベーターに乗るとついに最上階である。ここでやっと列から逃れて、通天閣から大阪を見れる。感動はなかった。なぜここに自分がいるのか分からなかった。暑い中列に並び、気の遠くなる思いをしながらエレベーターを待ってここに来た。ここには何もないと思うと、自分が何をしているのかわからない。
 帰りもエレベーターを待った。前では学生たちが嬉しそうに談笑している。エレベーターでチケット売り場まで降りると、解放されたという嬉しさがあった。通路を進んで出口のあたりに顔はめパネルがあり、そこに大学生の男子3人組がいた。写真撮ってもらう人探そうと話している。私は立ち止まった。すると大学生のうちの一人が、私に、
「写真撮ってください」
 と頼んできた。私は嬉しかった。ヘイ、オーケーと返事をすると、大学生が、
「外国の方ですか?日本語分かりますか?」
 と聞いた。私と一緒に来た外国人は先に建物から出ていた。私はその外国人と話す時、たまに英語で話した。その癖で出た「ヘイ、オーケー」である。
「少し日本語分かりますよ」
 と返事をすると、大学生はフォト、と言ってスマホを私に預けてパネルに向かう。
 三人が顔はめパネルから顔のみ出す様子は微笑ましいものである。私はハイ、チーズといって、三人を写真に収めた。スマホの持ち主が私によって、「サンキュー」と礼を言った。私はスマホを彼に返して、通天閣から出た。
 私と来た外国人が塔の外で待っていた。私はその外国人に、大学生たちを写真で撮った、いい気分だと、拙い英語で伝えた。

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