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過去に目を向ける事は時間の無駄なのか

「人生は一度きり、時間は有限なのだから、過去に囚われるのは時間の無駄だ。それよりも未来について考えた方がいい」

こういう論調をたまに見る。

わたしはこの考え方が嫌いだ。

わたしはネガティブだし、よく過去の失敗であーだこーだ悩むことが多い。先のことを考えれば恐怖で足元がすくむ。それでも前を向こうと、過去からヒントをもらうために過去について考えているから、そんな自分を否定された気になる。

だからこの言葉について少し反論を書いてみようと思う。見当違いなことだったら恥ずかしいけれど、同じように過去を見つめながらでも前に進みたい人の力になればいいと思う。

確かに人生は一度きりだし時間は有限かもしれない。先のこと、目の前のことを考えた方がいいのかもしれない。けれど「無駄」が「不要」とは限らない。

過去に目を向けている間、前に進めないのはほんとうかも知れないけど、たとえば植物は育つためにはまず根を這わす。そんなふうに、過去を見つめ直し、精算し、失敗から学ぶことで、よりしっかりと成長できるとは考えられないか。

もちろん、過去の失敗を恐れずに未来へ踏み出す勇気が必要なこともある。けれどその葛藤を「無駄」だと切り捨てるのは、なんだかちょっと違う気がする。あまりにも人間味がない。

もし無駄だと切り捨てて過去を省みず目を背けたとしても、過去の亡霊は何度でも目の前に現れる。その度に力を増して。だからわたしは、未来のために過去の精算が必要だと思う。

過去の精算というのは、同じ失敗をしないように対策をとる、解釈を変えて過去を肯定するなど、やり方は人それぞれあると思うけど、そこに「自分なりの答え」を探すということなのだと思う。

確かに過去に囚われてばかりいると苦しい。でも過去に囚われることは甘美でもある。その安寧に浸っている人を鼓舞するための言葉かもしれないけれど、それは「北風と太陽」で言うところの北風のようなものだ。

人はいつまでもぬるま湯には浸かっていられない。そのぬるま湯は冷めてしまうかもしれないし、風邪をひくこともある。けれどそういうデメリットは、浸かり続けないと実感として得られない。人は経験からしか学べないのだから。

わたしは散々過去に悩まされ、未だに苦しいこともある。過去に浸ることの安寧も甘美さもよく知っている。けれど、もう過去に囚われるのは嫌だとうんざりするほど囚われてはじめて「未来に目を向けたい」と思い始められた。

自然と未来について考えようと思えているならいい。でもそれが焦りや不安からであったり、無理に思い込もうとしてるなら、一旦力を抜いて、過去に目を向けようとする流れに身を任せるのもアリかもしれない。

その都度過去を省みていると、確かに進むのは遅いかもしれないけど、上ばかり見ていても、躓いてしまうから。

やっぱりきちんと未来を生きたいなら、足元を固めるために、過去を見つめ直す時間も人生には必要だよ。

最終的に前を向くのなら、ネガティブは無駄じゃない。


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