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あやかりたい

レジ打ちをするようになって半年以上経ったが、いつも思うことがある。
まともな財布を持っている人があまりにも少ない。どうしてだろう?
まあ高級品の売り場ではないから当然なのかも知れないが、身なりはきちんとしておられるのに、お財布は目を背けたくなる様な物をお持ちの方が多い。
薬の袋にお金を入れている方も多い。破れそうで見ていてヒヤヒヤする。

かくいう自分も、嘗ては無頓着だった。
結婚当初、頭陀袋のような財布を持っている私をみた夫が見かねて、
「そんな財布では金たまらへんから、買ったろう」
とプレゼントしてくれたくらいだった。
その財布の使い勝手が良くて、それ以来ほしいタイプが決まった。がま口が付いていること、掌より少し大きめなこと、二つ折りにできること。
汚くなってくると夫が買ってくれることまで決まっている。

先日レジでちょっと素敵な出会いがあった。
一人の上品な老婦人がベレー帽をお求めになり、被っていくので値札を外して欲しい、と仰った。
店の売り場にはそんなに高級な商品の取り扱いはない。まあフェルトの無地のベレー帽だから、外見はそうそう安っぽくは見えない。
ご婦人は、デニムのジレを渋い色のワンピースに合わせていた。髪は真っ白だったけどきれいにまとめられている。おそらく手製の、青いビーズのロングネックレスが服装と髪の色によくマッチしていた。お買い求めのベレー帽は所謂『柿色』で、良いアクセントになりそうだった。
小柄だけど背筋がしゃんと伸びていた。そんなに高級なものを身に着けている感じではないけど、おしゃれなおばあさんだなあと思って見ていた。

ウチのスーパーは、60歳以上の方なら毎月15・16日の二日間、ほとんどの商品が一割引きになるパスポートを発行している。証明になる公的書類をお見せ頂ければ、私のいるレジでも作成できる。
この方が来られたのは丁度この割引日に当たっていた。パスポートをお持ちか尋ねると持っていないと仰るので、作成した方が得ですよ、とお勧めした。そうねえ、それじゃこれ、と保険証をお出しになったのだが生年月日を見て驚いた。

昭和4年とあった。93歳である。舅より3つ上だ。

私が驚いているのがわかったのか、お客様は笑って、
「すごいおばあさんでしょう?」
と仰った。
「いや、とてもそうはお見受けしませんでした。失礼致しました」
と謝ると、フフフと笑って、
「おかげさまでね、どこも悪いところがなくて、元気なのよ」
と爽やかに仰った。耳も普通に聴こえているようで、特に大きな声を出さなくても普通に会話できる。パスポートには本人の自筆の署名が必要なのだが、特に目を近づけることもなく、さらさらと書かれた。
「いいこと教えてくれて、ありがとうね。おいくらになるのかしら?」
と取り出された財布は、グレーの上品なCOACHだった。

ベレー帽はとてもよくお似合いだった。値段以上に見える。
「今お召しの服によく合ってますね」
と言ったら、
「そうでしょ?この色、良いわよね」
と帽子に手をやって微笑まれる。
「はい、すごくおしゃれで素敵です」
お世辞の言えない私の、本音であった。
「おばあさんの健康話に付き合わせてごめんなさいね」
「いえ、あやかりたいと思いました。ありがとうございました」
店の人間としての、ご来店のお礼の気持ちからだけ出た言葉ではなかった。
「また来ますね。ありがとう」
「お待ち申し上げております」
軽やかに手を振って、ご婦人は私のいるレジを後にした。勿論杖などついていない。
なんだか、ずっと背中を見送っていたい気がした。

店に来るご高齢の方は大抵、
「もっと大きい声で言ってくれないと聴こえないの!」
「こんな細かい字は読めない!」
「足が悪いから、商品を持ってきて!」
と様々な要求をなさるか、或いは
「私はもう○○歳」
と自慢?されるか、二手に分かれる。
同じくらいの歳の両親を持つものとして、きっとウチの親も似たような感じなんだろうな、と思うと諦めもつく。
老いることに前向きになるのは、私の年齢であっても既に難しい。もっと歳を重ねれば尚更そうなるだろう。だからと言って、傍目に痛いような頑張りを見せることは却って周囲を疲れさせ、自分に愛想をつかす元になる。

あのご婦人は値段を気にせず気に入ったものを身に着け、自分に何が似合うかをよく知っている。自分の主張を強くせず、遠慮しすぎるでもなく、会話を軽く楽しんでいる。でも相手への配慮を忘れない。なんて素敵な歳の取り方なんだろう。

あんな風に歳を取りたいものだ。私、今からでも間に合うかなあ。
あのご婦人に再びお目にかかれるのを、心待ちにしている。