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大学中退の僕がなぜユーザベースで新規事業のUS立ち上げをはじめたか

はじめまして、石野勇斗(@HayaChannel_SF)です。
現在自分は「未来のマーケティングを創造し、世界の進化を加速する
というビジョンを掲げるユーザベースグループ 新規事業「FORCAS」 のUS立ち上げを始めたところです。

つまり、最先端のB2Bマーケティングの未来を創っているってことです。

現在、サンフランシスコに在住しており、カンファレンスレポートや、USのマーケターの話をここに書いていけたらなと考えているので、B2Bマーケターの方や海外マーケに興味のある方は是非フォローいただけると幸いです。

ただ、こいつ誰だYoってなると思うので、以下自己紹介になります。読んでる時間がない人は、この記事をTwitterでRTして誰かに読んでもらってください。

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26年間、「好きな事だけ死ぬ気でやってきた」のですが、「じゃあやりたくないことはやらないの?」ってたまに聞かれます。

やらないです

でも、その為にはその自分がやりたくない事を好きでやってくれる人と一緒にいる事で解決してきました。

自分の人生において「人」というのは最重要項目です

人を愛して、人に助けられてきました

さて、自己紹介って難しいなと感じてきたので、幼少期から3つのパートに分けて、だらだらと人生何があったか書いていきたいと思います。自分にとっての、各パートでの重要人物が三人出てきます。この記事長いし、石野勇斗の人生なんて読んでられないという方のために、目次を付けておきます。

幼少期 パッチ・アダムス
変換期 スティーブ・ジョブズ
現在  石野真吾(実兄)

医者になりたかった幼少期

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4歳のときからアイスホッケーに夢中だった僕は、7歳のときに不全系川崎病のために長期入院。

同じく入院をしている友達と触れ合う中で、お医者さんでも治せない病気があることに疑問を感じつつ、そのときに出会ったのがパッチアダムスの映画でした。

7歳ながらそこで学んだのは、「愛と笑いは人を幸せにする。」

自分にもなんとなく出来る気がして、その次の年から、両親に泣いてお願いし、塾に行かせてもらい、医者を目指すことになります。

中学受験前は、毎日14時間という今では考えられないような鬼のガリ勉モードに入り、渋谷教育学園幕張中学校・高等学校に入学。

中学三年生になったある日、家に帰ると母がワクワクしたような目をしながらこう話しかけてきました。

「パッチが日本にくるって!」

パッチ・アダムスの来日講演の情報を見つけた母は、ボランティアスタッフの募集をしていることを教えてくれました。

もちろん、すぐに応募し、講演スタッフの一人としてパッチ・アダムスを日本へ迎えることができました。

今でも、一番記憶に残っているのは、成田空港での彼のビッグハグ。

「医者になってアメリカに会いに行く」

たどたどしい英語で、この言葉を彼に伝えた事だけは覚えています。

そこから、愛と笑いを求めすぎた結果、マジック、ジャグリング、カメラとどんどん人を笑顔にスキルを取得していった引き換えに、成績はぐんぐん下がっていくこととなります。。。

結果、現役、浪人医学部全落ち。

滑り止めで受けていた、東京理科大学基礎工学部に入学し、北海道長万部キャンパスにて一年間寮生活がはじまりました。

医学部に未練を残しつつも、全力で長万部生活を楽しみました。

・キャンパス祭実行委員長
・DJ
・ニセコスキー場住み込みバイト
・寮に備え付きの源泉かけ流し温泉

そんなめちゃくちゃ楽しい大学生活の中で、見つけたのめり込めるもの

ソフトウェアプログラミング

どの授業もなぜこんな勉強をするのか理由もわからず淡々とこなしていくなか、プログラミングだけは毎日画面を見ながらカタカタ。気付くとプログラミングしかしていない日々でした。

中学の頃から大好きなApple。というよりスティーブ・ジョブズ。そして、独学でコードを書き続けて行く中で、スティーブ・ジョブズは、自分の中で神様のような存在になっていきました。

そんな中で、キャンパスのラウンジスペースに見つけた、シリコンバレー留学2週間プログラムのポスター。

ここから、自分の目指すもの、そして、人生が大きくシフトしていきます。

シリコンバレー、そしてApple Japanへ

2週間のシリコンバレーインターンシッププログラムは、サンフランシスコ国際空港のすぐ近くにあるSan Brunoにあるホテルに2週間滞在し、シリコンバレーで活躍されている方々の講義を聞いたり、Plag and Playでの生ピッチを傍聴、スタンフォードやUC Berkeleyなどの名門校の学生と交流します。

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そんな中で、感じたことは、

・何でこんなに学生も社会人も目がキラキラしているんだろう
・多くの人が目的を持って勉強も仕事もやっている
・大学の選び方から根本的に違う    
・偏差値順ではない   
・何をやりたいか     
・なぜやりたいか     
・それを達成する為には、どの学部で、それにはどこが良いか     
・どの教授の授業を受けたいか
・そもそも、大学に学費と時間のコストを払ってそれ以上のリターンが得られるのか

そんな、2週間の間に、気持ちは既にシリコンバレーへ向いていました。帰国の飛行機の中で、今なにが出来るか考えた結果、とりあえず自分が見た世界と同じような状況で働いてみようという結論に。

帰国後すぐにApple JapanのSolutions ConsultantというポジションにApplyしていました。

運良く、当日中に明日説明会があるという連絡を受け、次の日説明会へ。

そのまま、上下デニムという目立ちそうな格好で説明会、グループ面接、そして、その次の日にそのまま最終面接を受けていました。

気づくと帰国後二ヶ月も経たぬうちに、大学に在籍しながらという条件で、働き始めていました。

入社後すぐに一人でお店を担当する事になり、そこから約2年間
やることはただ一つ

Appleへの愛を伝え愛してもらうこと

最強に楽しく、何が得意で何が苦手かを初めて知る事が出来た2年間でした

最高の上司、チーム、そして、お客様に囲まれ、助けられ、社内表彰も受け、何が今後やりたいんだっけともう一度考え直し始めました。

その時に、思い出した二年前シリコンバレーで学生に学んだこの言葉

そもそも、大学に学費と時間のコストを払ってリターンが得られるのか
今やっていることは、どんな理由で、何が得られるのか

上司、両親に何度も相談にのってもらい、Computer Scienceをシリコンバレーで1から学ぶ事を決意しました。

退社、自主退学、そしてサンフランシスコへ

渡米前に一度だけ受けたTOEFLは39点(120点満点)。つまり、全く英語はちんぷんかんぷん。正規入学するために、大学附属の語学コースへ通い始めました。とりあえず、見つけたフィリピン人家庭でホームステイをしつつ、英語なんていつ喋れるようになるんだろうと悩み続けて3ヶ月。ステイしていた家庭に、日本人のハウスメイトが街中で出会ったアメリカ人を連れてきました。

 Ian Mathews

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弾丸のようにバイオテックについて英語で語るIanの話は、90%程理解できませんでしたが、なぜか意気投合。
彼は、会ったばかりの自分に家の鍵を渡し、「来週出張で居ないから、好きに住んでみて」と一言。今考えると、意味が分からない話ですが、とりあえず、一週間Stayすることに決めました。

その一週間で、自分がこの3ヶ月で見たことのない、凄くローカルで、めちゃくちゃチルな、最高のサンフランシスコ生活に出会いました。

彼が出張から帰ってきて間もなく、この家に引っ越すことに決め、(知っている限りでは)白人以外で初、国立公園 Fort Masonに住み始めることになります。Fort Masonは、もともと第二次世界大戦の際の米軍基地で、GHQマッカーサーが住んでいた事でも有名です。

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その後、UC Berkeley卒ばかりのアメリカ人のルームメイトに囲まれ、TOEFLのスコアも一気に伸び、なんとか、半年でCCSFにCS学部入学することになります。入学後も、Computer Scienceの授業(だけ)では幸運にも一番を取り続けることができ、College卒業そして編入が見えて来たが、編入後の学費や生活費を知って驚愕。。。とてもじゃないけど、教育ローンで借金しても卒業後ペイできるかわからなくなり、悩みに悩みました。
ここでまた、「時間お金というコストと2−3年後のリターンについて」悩むことになります。

そんな中、日米大手2社から、Software Engineerとしてオファーを頂きました。

現時点で、自分に価値を見出してくれる人がいる。そして、その人達の為、何が出来るか。自分は、あと2年大学に行くよりも何が多く得られるのか。そんなことを考えつつも、何かが違う気がすると悩んでいたところ2017年8月一通のMessangerが入ります。

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FORCASのCCO 土屋からです。ちなみに、佐久間はFORCASのCEOです。

話の流れが分からないと思うので、五ヶ月遡ります。

<5 month ago>

ここで、最後の重要人物、実兄、石野真吾の登場です。

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どーーーん。はい。似ていません。

兄の話をすると長くなるので、ネットで見つけた自己紹介と記事をコピペしておきます。

慶應義塾大学薬学部卒業後、医療系コンサルティング会社へ入社。医療介護機関向け動画コンテンツの新規事業の立ち上げを行い、2013年にSansanへ入社。UserActivationTeamの立ち上げ、業務企画のマネージャーとしてテクノロジーを活用した業務改善や営業企画を行った後、Sansanのマーケティングの仕組み作りを行い、2017年6月より株式会社マルケトにて、セールス&マーケティング分野におけるテクノロジーの活用や新しいテクノロジースタック開拓を推進。

Sansan時代にMarketoからグローバルでMarketer of the Yearを受賞した授賞式(Marketing Nation Summit 2017)で兄の通訳をしていたのが、私、石野勇斗です。

二人でSummit会場の前を歩いていた時に、たまたま、喫煙所で出会ったのが、そう。FORCAS CCO 土屋翔です。

その際に、彼がその後一週間サンフランシスコに滞在することを聞き、一週間ひたすら、飲んで踊って話しまくりました。

<5 month later>

そんなこんなで、「土屋さんとはなにか一緒にしたい」という気持ちと、「アメリカに来た目的や今やりたい事と合うかどうか」という葛藤に駆られます。

そんな中、土屋(@oh_sho_time0215)、代表の佐久間(@trsakuma )、そして我らがスーパーエンジニアJason Yapが、西海岸まではるばる話に来て下さり、共に1週間24時間共同生活の西海岸縦断AirBnB出張が始まります。

まず、はじめましての初日、CEO含む三人はうちのソファーでStay。今でも、代表の佐久間は「死ぬほど寝心地の良いソファー」と言ってくれますが、自分には衝撃的な始まりでした。

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(左から佐久間、Yap、土屋)

この写真の直後に、Los Angelesへ移動。ベニスビーチのAirBnBでJason Yapと土屋が寝たあと、2-3時間ほど、代表の佐久間と語り合いました。

その中で、自分はFORCASに何が出来るか、自分は何が得られるか、バシバシideaが湧き出てくる状況。まるで、賢者タイム。いや、この人といると頭が冴えてくる気がしてきた。

自分の気持ちは100%FORCASに向いていました。

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そんなこんなで、Marketing, Businessの知識0の自分が、B2B Marketingの未来を創造するべく、がむしゃらに藻掻いている最中でございます。

サンフランシスコへ出張に来られる方、留学に来る勇者達、遊びに来る暇人のみなさんは、いつでも連絡頂ければ、サンフランシスコを最大限に誇張して、”The Best City”をご紹介させて頂きます。

僕たちが一番重視するものであり、悩むものであり、愛するべきものだと思います。

最後に、3つだけ言わせてください。

Don't be nervous to talk about yourself
Don't be scare to connect with people
Do trust yourself and what you have done

San Franciscoで、またお会いしましょう。


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