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親が死んだらどうなるのか~姿の見えない代弁者~

親が亡くなったその日、残されたものはどうなるのか。

今日は、母が亡くなった後に励まされた言葉について書きます。

お葬式が終わっても、夫が隣に居てくれているのに心がポッカリしていて、例によって「私の本当の気持ちは、分かりっこない」と心のどこかで思っていたと思います。
だから、ネットで「母親 亡くなる」「母親 いない世界」「母親 会いたい」とか検索して、気休めに同じ経験をした人を見つけていました。世の中には、たくさん母親を亡くした人がいて、その人たちも傷ついたり、哀しんだり、泣いたりしながらも、ちゃんと生きているんだな、と思うと当たり前っちゃ当たり前なんですが、それだけで励まされました。

ヤ○ー知恵袋って、質問者が「母親を亡くした人」なことが多いです。回答者も、もれなく同じなことが多くて、質問者が自分の気持ちを代弁してくれているような気がしました。
「ねぇ、どうしたらいい?」とネット上の人に聞いてもらう時代なんですね。こんな時代に生まれてよかったな。ひっそりと落ち込んでいたかったので。

そのネット上の声の中にすごく響く言葉がありました。
(記憶の中なので若干違うところもあると思います)
「親という字は、木に立って見ると書きます。だから、私のことも遠くから見守ってくれていると思うことにしました。」
と、確か13か14歳くらいの子で自分よりずっと年下の回答者で、この「親という字の由来」もどこかで聞いたことがあるはずなのに、「どこかで見てる」という言葉がうれしかったです。

「本来、人間は子孫を残すために生きるのだから、あなたという子を産み、育て上げたお母様は十分役割を果たしました。」
この言葉も「そうか、母は役割を果たしたんだ。」としっくりきました。だから「私もこの子たちを育て上げよう、見守っていてね。」と素直に思えました。

顔も知らない、会ったこともない人の言葉にこんなに励まされるなんて思ってもみなかったことです。

身近な人はもちろん精神的に支えになりました。
「こんなときに何もできなくてごめんね。」と電話をくれた幼馴染も、ただ何も言わず抱きしめてくれた会社の同期も。本当にうれしかったし、支えてもらいました。正直、身近な友達には、言葉じゃなくて抱きしめてもらえる方がずっといいと思いました。「頑張ったね」っていう言葉もかけてもらったけど、色々励ましの言葉を並べられるより抱きしめてもらえた方が安心しました。

「母親を亡くした」という事実を受け止めるには同じ経験をした人の言葉が欲しかった。結局、母親に甘えれる人に嫉妬してしまう自分がまだいます。まだ「娘」になれる場所、帰れる場所がある人がうらやましいです。正直に話すと、周りの優しい人たちや、支えてくれる人に失礼な気がして、ためらってしまう。だからこそ、同じ立場の人の声は、素直に心に響きます。

私の言葉も誰かの心を軽くする日が来るといいな。

#おかあさんとワタシ  



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