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受験生時代の思い出

ふだんnoteをHPみたいに使っているので、あまり自分の感情を書いたりしないのですが、

たまにはこういう使い方もいいかなぁって思ったので書いてみます

深夜に書いてるので誤字とかあると思いますが、優しく教えてね

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ふと、自分の体のことを考えました

私は今、毎日10種類のお薬を飲んでいて、頓服用のお薬も3、4種類くらいある気がします

詳しい数は変動しますが、ここ数年はたくさんの薬を飲んで生活しています

私の体はボロボロで、現代医学がなければ寿命を迎えてるんじゃないかなあと思いました

じゃあ現代医学がない平行世界のわたしが生きるには、今までの人生のどこをどう変えれば良いのでしょうか

1番に思いついたのは、受験期の食生活です

あの食生活のおかげで私の胃腸は崩壊した

たくさんのお薬を飲んでいる今でさえ、うどんやお粥しか食べない期を定期的に作ってお腹を休めているほどだから、
平行世界の私は毎日味なしお粥しか食べれないんじゃないか

そうならないために!

受験期の私よ!

・スタバ
・タリーズ
・セブンのカフェラテ

やめなさい!

それらはあなたの体をむしばむのよ!

よく考えて?スタバのフラペチーノ、クリームや原料の分からないソースのかかったあのフラペチーノ、体に良いわけがないでしょう?

ティーラテもだめ、カフェラテを毎日飲むのもだめ、
どれもたくさんカフェインが入ってる。胃に良くない。

勉強中も常温の水とか、白湯とか、そういうからだにやさしいものを摂らないと、あなたはボロボロになっちゃうのよ。

そうやって考えて、受験期の私に伝えようと思った

思った、けど、

伝える前に、「白湯しか飲まない受験期」を考えた

むりでしょ

「あぁちょっと疲れてきたな、散歩しよ」っていつものセブンに行って、
大好きなカフェラテを買う

それを飲みながらまた予備校の自習室に戻って、座って、分厚いテキストを開く

勉強しながら「喉がかわいた」「甘いのがほしい」「カフェインがとりたい」っていう気持ちが出てくるたびにカフェラテをひとくち飲んでた

私は放課後のマックも、原宿のプリも、おしゃれなカフェも、ぜんぶ諦めて勉強してた

友達のインスタを見て、私は「いいね」って思ってた

けど、いちばんやりたいことを叶えるためならそういう欲も捨てられた

あまり未練もなく

けど、傍から見たら可哀想だね

可哀想で、健気で、ひたむきで、そんな子の「甘いのがほしい」「カフェインがとりたい」をとりあげるなんてできないよ

そのくらいの欲望は叶えてあげてもいいじゃないか

体が壊れる感覚とか、それで置いてかれる悔しさとか、そういうのを知らないからそんな欲望が出てきてたんだと思う

だから「それは間違えだよ。」って教えて、とりあげるのも間違いじゃないと思う

けどできないよ

今の私は、当時の私が見ていた煌めきを知っている

とってもキラキラしている宝石

それを手に入れるために、毎日、何をしたらいいか考えて、必死だった

必死になれるくらい、本当にきれいに、キラキラしていたんだ

最近の私は、その宝石を手に入れて、それが身近になってしまって、その輝を忘れていた

ただの石に見えていた

けど違うよね、これは宝石だったよね

当たり前に持ってるけど、本当は当たり前なんかじゃなくて、いっぱい努力してやっと届いた煌めきなんだよね

そのことを思い出したら、当時の私に「白湯を飲め!」なんて言えなくなりました

今、ボロボロの体と闘っているのはたしかにしんどい

けど、ちゃんと宝石は持ってる。ちゃんと握ってる。

平行世界の過去の私も、きっと煌めきには何とか手が届いてたと思うし、
その後死んでしまっても、その手に宝石を握っていられるなら満足なんじゃないかな

以上から、「過去の失敗談」として後輩に伝えようかと思ったその話は、白紙に戻します

失敗談じゃなかったから

ということで、本日は解散

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こうして私はいま、過去の私の選択を肯定した

多角的に、客観的に、その時の私を見つめた結果、私を肯定したと思ってる

けど、見る人から見たら「過去のあなたは間違っている。それをあなたは認めたくないだけだ。」って思われちゃうんだろうなあ

私は正しいのかな。間違ってるのかな。

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