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【短編小説集vol,2】鎌倉千一夜〜隧道のはるか先

7 妾隧道

 暗い蓮沼に篝火が映る。沼は幅30m長さ50mほどで山に囲まれているため漆黒の鏡面のようだ。先導する男の手のその灯はあたり一帯を照らすことの無いようひざ下の位置に置かれ、蓮沼に沿った小道の先のみが見えるように照らしゆっくり進む。その明かりを頼りに人を乗せた馬が続く。馬上の人は頭から布を掛けているため誰であるのかは伺えないが、織を見ればその布が上質であることは明らかだ。沼に注ぎ込んでいるごく細い小川沿いにその小道は続き、やがてこじんまりとした門に行き当たる。軋むことなく手入れされた木戸を開けると、先導が手灯を消し馬上の者を中へと誘導する。ここからは一つ一つに灯が置かれた飛び石が続いているのだ。むした苔に並べられた平石はしっとりと水を施され、灯にその艶が際立つ。奥の灯はほのかだが歩を重ねるごとに鮮明さを増してくる。
 庵は衣張山を背負う形で位置し整然とした生垣に守られ佇む。篝火に照らされた玄関の木目は年月によっていぶし銀に磨かれ、庇に葺かれた銅板は塩気の混じる風雨で緑青色に変色している。先導が低頭で戸を引くと続いてゆっくりとした歩みで上等な布を払いとりながらその者は戸への階段を上がる。近づくにつれ篝火の明かりに横顔が浮かび上がる。征夷大将軍、源頼朝だ。
 庵にはすでに暖が入り香が炊かれている。履き物を脱ぎかまちを上がり、奥の間が見えないように垂下げられた蔀(しとみ)を分け中に入る。燭台の小さな炎が木壁に一人のシルエットを映していたが、もう一つシルエットが現れやがて重なった。
 鶴岡八幡宮に接する大倉幕府頼朝の座からは間近に山が見えた。夏には雪を冠した姿を模して涼を感じようと、頼朝が頂に白い布を張らせたことからこの山は衣張山(きぬばりやま)と銘じられた。山といっても標高120mそこそこの低山だが、頼朝にとっては特別なランドマークだ。というのもその麓には密やかなる別宅があったのだ。頼朝は馬蹄形の土地である鎌倉の東、葛西谷(かさいがやつ)の東勝寺へと続く道に新たに右に分岐した道を開き、急な坂の先に隧道を掘らせた。東勝寺に行く態で隧道を抜け、密かに麓の庵へ行けるようにしたのである。現在も生活の道路として使われているこの隧道、抜けるたびにそんな言い伝えがリアルなイメージを喚起する。ちなみに東勝寺跡手前を隧道方面と逆の左に曲がったところには1950年から厳律な修道院がある。

8 竹林のクオーク

「人生100年って言われるけどな、今俺は56歳なので半分を過ぎたところではあるが会社のOBたちの平均寿命を見ても70~80なわけだから、せいぜいあと余生は20〜30年だ。」
 大久保先輩は茶碗に残った抹茶を啜るように飲み切ると急に重い話題を始めた。いつも何かに感化されるとそんな風に人を刺激するような話を始める。きっとこの報国寺の竹林に何かを感じたに違いない。鎌倉のクライアントに年始の挨拶に来たついでに「正月らしく抹茶飲んで帰ろう」ってことでこの竹林内の茶店に男二人で来たのだ。
「ここまで社会人を34年やってきたけど、余生はそれより少ないということだ。わかるか? 働き終わったら残りの人生は働いてた日数より少ないってことだぞ。しかもそのうちの5年ほどは病気との闘いになることを考えると残り人生15〜25年足らずだ、そんな年月なんてうかうかしてたらあっという間に終わっちゃうだろ」
「そんな風に考えたら自ら人生を短くしている気がしませんか? もっと楽しく考えましょうよ」
「楽しくってなんだ? そんな浮かれた気持ちでいたら生きてる間に肝心なことをやり逃しちまうぞ。まずな、お前は時間のあるときに人生の目的を考えてみな。愛した人とともに生き抜くことか? 社会のためになることをやることか? 欲するものを全て得ることができることか? 何か違う気がするだろ。人生ってのは奇跡なんだよ。何億年かかってできた宇宙の中では砂の粒にもならない大きさの地球上に生を受けてわずか100年ほどだけ過ごすんだからな。宇宙からしてみたら俺たちが普段気にもしてないバクテリアの一生と何も変わらない。どうだ、取るに足らない感じがしてくるだろ」
「極端だな先輩は。人間はバクテリアみたいな単細胞とは違うんですから」
「そんなの細胞数の差でしかないわ。しかも細胞を作るのは多くの素粒子だろ、ちょっとそれらが多めに集まっただけのことだ。大事なのは素粒子が見事な秩序で寄り集まってこの体を作り上げてるってことだ。いわばその製品である体が存在する100年間に何を味わうかってことが人生の目的なんだわ。人から指図されて動いて忙しいまま余生のカウントダウンが始まってしまうなんて許せん気がしてくるだろ?」
「確かに許せないです。ちょっと待ってください、そもそも先輩には入社してからずっと指図されっぱなしじゃないですか」
「お前が自発的に動かんからだろ!」
「まあ、そういわれると言い返せないですけどねぇ…。そうだなぁ、僕ならいろんなものを見て回りたいかな。世界というより地球を隅々まで観光してみたいですね」
「それは有りだな。自然にせよ人工物にせよ網膜が取り込んだものを像として脳に送り込んでるわけだから、生きてるうちはそうやって体に備わった機能を存分に味わうべきだ。人生の目的は食べることでも寝ることでも愛することでもない、そんな身体を維持する生理的欲求じゃないんだ、ましてや所有して満ち足りた気になる俗的欲求でもない。もっと何気ない事じゃないのかって思うんだ。たとえば朝目覚めてその日をどう過ごそうかって思ったときにとるような直感的行動が案外それに近いのかもしれない。ある人は本を開いているかもしれない、ある人は野山に分け入っているかも知れない、またある人は掃除洗濯など身の回りを整えているかもしれない」
「みんな好き勝手やったらあっという間に無秩序な世界になりませんか?」
「要は欲するものを所有しようとすることから秩序が崩れていくんだわ。確かお前去年車買っただろ、これからは地球にやさしいEVだとか言って、家に充電器つけたり大変そうだったよな。みんな所有欲だ」「エンジンの音がなくて音楽聴いてのドライブは最高ですよ」「ほら、お前が欲するからそれを作る奴が出てくる。作る奴がどんどん出てきて競争を始める」
「物が無かったら便利な世の中になっていかないですよね? ましてや原始生活のまま100年なんて生きれっこないですよね?」
「まあ俺くらいになると欲しないんだよ何も。良寛さんも言ってただろ“炊くほどは風がもてくる落ち葉かな‘って。知足だよ。足るを知ることだ」
「なんでこんな清々しい竹林でそんな人生訓聞かなきゃいけないんですか!」
「馬鹿だなあ。中国の七賢人も逍遥したように竹林は黙考の環境としてはうってつけなんだ。頭上を覆う葉の切れ目に空を伺えるくらいの林の中で座禅の半眼のごとくゆるくまぶたを閉じつつも、”見ようとする意識”を続けると、瞼の裏がスクリーンのようにざらつく景色を映すことに気が付く。目を開けてるのと瞼の裏とは違うぞ。試しにやってみな」「う~む、確かに頭で思ったことが、見てるわけじゃないけど見えてるような気がするし、想像している状態とも違うような気がするなぁ」「なあ。それが瞑想だ。竹のさらさらっとした葉音もいい感じだろう? 今のお前は夢見てるんでも、熟睡してるんでも、覚醒してるんでもない、体から意識を切り離して地球とかそんな狭い範囲じゃないもっと宇宙的なところまで行っちゃってるんだわ」
「行っちゃってるのは先輩なんじゃないですか? なんか相当オカルトっぽいですよ」
「茶化すな。俺はまじめな話をしてるんだ。お前が感じたのはインド思想におけるアートマンだ。個々人を構成する摂理のことだ。さらにそのアートマンをすべて包含するいわばこの世の摂理の根源がブラフマンだ。人はそれを神と呼んでいる。そこまでは人知のなしてきた結論だが、ではそういったものたちというか成り立ちを生んだ存在があるはず。つまり神以前は何だったのかってことだ。今後後世がそれを探求しつきとめていくはずだ。果てしなく答えは出ないだろうがな」
 微風に揺れる小さな葉たち、青空を背景に見せる枝たちのフラクタルなシルエット、奥へ行くほどに密集しながら薄緑から濃い緑へ向かうグラデーション、竹林に溢れる生命感がみなぎり、そこには見えないはずの素粒子の存在が見えてくるような気がする。素粒子が原子、分子へと繋がり、DNA連鎖による個種が誕生する。
「聞いたところによると時代はものを奪い合い所有してきた“地の時代“から、連携し繋がり合う“風の時代“に入ったそうじゃないか。荒野に線を引き自身の土地、我らの国と主張し、侵略し、争い、失い合い、そして気がつくんだ。“奇跡の集まるこの地球は、自分のものではない、誰かのものでもない、一緒に使うもの、維持し壊してはいけないもの、後世へつなぐものだと。ここから200年の間徐々にその意識が高まり絶頂に達し、次の水の時代へと向かうんだってさ。もはやひ孫のその先の話だな」
大久保先輩に宇宙論を言わしめた竹寺報国寺の茶席は異次元へのブラックホールへつながっているのだろうか…?

9野良亀

 江ノ島南端の岩屋洞窟は富士山麓鳴沢氷穴から地下でつながり、その気道が富士山のパワーを島へと運ぶとの言い伝えだ。距離にして90kmほどの長大な気のパイプラインミステリー。たしかにロマンはある。江戸の頃も江ノ島詣は盛んだった。相模湾の幸とパワースポット体験のレジャーはいつの時代でも魅力的なのだ。
 さて、鎌倉街中にも小さなパイプラインミステリーがある。その洞は鶴岡八幡宮源氏池から滑川へと続いてると言われている。ただしそこに通うのは気ではなく大きな亀。産卵の季節に1kmほど離れた滑川東勝寺橋周辺の道路に突如現れ産卵場所へ向かうのだが…。
       ***
危うく轢きかけたが、今年も来たんだなお前。
そんなノロノロと道路の真ん中を這ってたら
よそ見するドライバーにはひとたまりもないぞ。
せっかく卵産みに来てるんだから気をつけろよ。
大体お前は去年来たやつと同じ亀なのか?
バスケットボールくらいまで大きくなれる奴なんてそんなにいるもんじゃないだろうしな。
生垣の根元に卵産んで落ち葉なんかをかけたつもりかもしれないが、風ですっかり飛ばされて大事な卵が丸見えじゃないか。
ここら辺は野良猫だけじゃなくカラスやアライグマやタイワンリスや青大将やマムシまでいる野生の王国なんだわ。
お前は甲羅に隠れても、卵は無防備だわな。
それにしてもお前はどこからやってくるんだ?
源氏池に同じような大きさの亀がいるけどそいつなのか?
だとしたら池からこの辺まで水路はないから、まさか道を歩いてきてるのか? 
じゃなきゃひょっとしてどこかに地下トンネルでもつながってるのか?百歩譲って普通に滑川に暮らしてるんだとしたら、5m近いあの東勝寺橋の脇の階段をどうやって上がるんだ? 他に川から上がれる場所はないよな。あそこを上がるのは鯉の滝登りよりきついんじゃないか?
昔はこんな護岸なんてなく川から山までなだらかな傾斜地だったからどこへでも行けたんだって? 
確かにそうだよな、30年前にはこんな護岸はなっかたもんな。
人間たちが川辺に住みたいからって勝手にコンクリートで固めて
よそから土を持ってきて土地を作っちまったんだもんな。
悪かったな、よければあの卵の上にもうちょっと土でもかけておこうか? 
気を付けて温めな。

10釈迦堂タイムスリップ

 浄妙寺そばのちいさな沖縄料理屋から三線の音に続いて数名の拍手が聞こえてくる。
「もうそんなに褒められちゃ、もういっぱい飲んじゃおうかな」
「マアさん、もうそんくらいにしておいたほうがいいんじゃないか?」「いいや、もういっぱい頂戴」
 常連の正男は泡盛を飲みながら手習いの三線をここで披露するのが定年後の楽しみになっていた。レパートリーは少ないが、お客さんのリクエストは大体決まっているので都度応えることができた。島唄、涙そうそう、てぃんさぐの花、安里屋ユンタ…、歌を披露したあとはグラスを口に運んだ後、弦を爪弾くだけで店内空間はすっかり沖縄にいるかのようになるなので、店長も正男の来店は歓迎だった。
「マアさん今日はいつもより多いよぉ。飲み過ぎは良くないさぁ」
「なあに、何十年も飲んでるんだから限界は知ってるよぉ。こんなに美味いスク豆腐出されたら何杯も行っちゃうじゃないか」
「それは俺のせいかよ。もうひとつとっておきのやつ出したら確実に朝まで飲んじゃうだろうな」
「とっておきのってなんだよ?」
正男は”十九の春”の前奏を繰り返し店長を問い詰める。
「その壊れたジュークボックスみたいなのはやめてくれよ。お客さんの迷惑だろ」
「じゃあ教えろ!」
「しょうがねえなぁ…、これだよ」
 正男はすでに店内のテレビに何の文字が映ってるかも読めないくらい酔いがまわっていが、これだけはシルエットだけでわかった。イラブーだ。正式名称はエラブウミヘビ。真っ黒なウミヘビをとぐろを巻いたまま乾燥させてある。宮廷が滋養強壮のため食した高級品だ。
「おお〜っ、来たねぇイラブちゃん! まさか鎌倉でありつけるとは思ってなかった。早く食わせろよ!」
「そう思って、1匹汁にしておいたさぁ」
 店長が鍋の蓋を開けると見た目からは全然想像つかない芳しい香りが店中に広がった。正男は最初によそわれた椀を店内2つのテーブル客に見せて回ると、
「うわ〜、やめてやめて」
「あなた、精がつくらしいから食べてみたら」
「何かブランド品の財布みたいな皮ねぇ」
まちまちの反応を正男は楽しんでから一口すすると、
「ん〜美味い、泡盛もう一杯!」
その後はイラブー汁祭りの如き盛り上がりで、のれんを仕舞ってからも三線と歌声は夜更けまで続いた。

「ん?」
 正男はすっかり寝てしまっていた。店を出たのは覚えているが、目を覚ましたところは自宅でも路上でもなく全くの見覚えのない土地のようだ。酔いのせいであまり目も開かないが、なんとかこじ開けた薄目にもすでに夜は明けようとしていることがわかる。体の節々が痛く動かせないので、しばらくはこうしていようと思った。
「限界を超えちゃったなぁ。イラブーのせいだ。あんな見てくれで、あんな香りで、あんな旨さで、誰だって止まんねえよぉ。まったくもう。…しかしなんだよこの匂いは。あまくて、ちょっとニッキみたいな…。さっきまで沖縄にいたのに、なんだか今度は外国にいるみてえだ」
朦朧とする中でなんとかこの状況を抜け出すことを考えようとしたが、頭も働かない。開かない目をどうにかもう少し開き頭が動く範囲で少しだけ横を見てみる。そこには明けはじめの夜空を不思議な形で切り取る何かがある。
「あの尖りは何だ?2つの三角が空に伸びてやがる。あんなもんあったか?」
正男はもう少し頑張って目を開いてみると、それが屋根であることがわかった。しかし正男の知る限りこんな円錐形の屋根が2つ続いてる景色は見たことがない。
「たしか、イタリアの田舎にこんなのがあったな。ベロベロみたいな名前だったが、そんなところに居るわけもねえし…」
ニッキの香りに新たにキャラメルのような香りも重なり始める。
「こんな景色にこの香り、どう考えても外国じゃないのか」
考えようとするほどに頭痛が起こり酔いともに意識は遠のいていった。「んなわけねえだろ。一晩でイタリアに行っちまうなんて」
「いや、間違いねえ。俺はアルベロベッロに行ったんだ。間違いない、あの屋根の形。そりゃ調べたよ、あの屋根は何だったっけって。そしたらイタリアだって。俺だって不思議だよ。俺はそこでアップルタルトを食ったんだ。ニッキが効いてて、表面がキャラメルでカリッとなってて美味いんだ」
「で、目を覚ましたら家の布団で寝てたと…」
「母ちゃんは怒ってたがな」
「そりゃそうだろうよ。朝帰りしてそんなわけのわからん事言うんじゃ」
「嘘も大概にしろとな。まあ最初に目覚めたのは鎌倉警察らしくて、母ちゃんが迎えに来て布団に寝かせてくれたんだな」
「どうやって警察に行ったんだ?」
「それは覚えてないねぇ」
 店長との会話も今日は途絶えがちで、奥のテーブルの女の子の二人客から話が聞こえてくる。
「あそこのケーキ、すごく美味しいよね。今の季節は桃なんだけど、やっぱ年中やってる定番のアップルタルトが最高」
二人のオヤジはその言葉に強烈に反応した。
「そうそう、シナモンが効いてて大人の味」
正男が店長に向かって首を傾げる。
「マアさん、シナモンってニッキのことだよ」
正男は大きくうなずく。
「でもさぁ、あの空間もいいよね。なんか外国にいるみたいな…、あの感じどの国なのかなあ?」
「何いってんのぉ、あれはアルベロベッロじゃない、イタリアの!」
そこまで聞くと正男は堪らなくカウンターからくるりと振り返り、
「そのケーキ屋さんってどこにあるの?」
二人の女の子は突然のことで身構えつつも
「大町の奥の方です」
「メインの道から小道を入っていったところにある、隠れ家みたいなお店なんです」
正男はスマホで地図を出して場所を指ささせた。店長も興味津々に調理場から出てきて画面を覗く。指さされたところを見てオヤジふたりは小さくうなずきながら、
「マアさん、あんたよくあんな酔っぱらいで釈迦堂くぐったね」
「確かに、全身あちこち痛くてさ。あのフェンスをどうにか乗り越えたんだな」
女の子は鎌倉の子なのかよく知っており、
「え、釈迦堂の切通ってずっと昔に通れなくなったんでしょ?」
「私がちっちゃい頃は通れてたよ。確かにこのお店からあの切通を抜ければあのケーキ屋さんまで早いよね」
店長は半ば呆れ語で
「マアさん、今日は飲んじゃだめだよ」
そう言いながら調理場に戻っていく。
「今思い出した、横になってあのニッキの匂い嗅いでたら顔の横を大きな黒いヘビが這っていって気を失ったんだった」

11ヨガマット夢想旅

 つぐみはヨガマットを持って材木座の浜に出た。8月でも早朝にはまだ海水浴客はおらず、居るのは遊泳時間外狙いのサーファーと犬の散歩のひとたちくらい。いつものようにマットに立つと遥か望む大島に向かいマントラを唱え、続いてゆったりと太陽礼拝から立位、座位とこなしていく。深い睡眠から目覚め浜へ向かう間に覚醒の状態になり、今アーサナ(ヨガのポーズ)を行うことで瞑想の状態に入った。夢を見ない深い睡眠はウパニシャッドでは至高の状態とされるのだが、瞑想はそれを上回る状態で、意識を働かせたまま心や潜在記憶を働かせないようにするのでアートマン(真の自我)に対峙できるのだ。一通りのアーサナを終えると、マットで座禅を組むのがつぐみのルーティンだ。右の足を左の腿の上にのせ、さらに左の足を右の腿の上にのせる。両手は親指の尖端が軽く触れるように組む。目を完全に閉じ切らずに薄めの半眼状態にし呼吸を整える。瞑想は絶頂へと向かっていく。

「何これ?写真じゃない!」
 一通り朝のヨガを済ませマットを取り払うと、来た時には気が付かなかったが、普通サイズの写真が砂に半分埋まって顔を出していた。何が写っているか分かりづらいほど傷んでいるが家族が並んだ記念撮影のようだ。背景は田舎の小さな駅、看板はよく見えないが山下駅と読める。「どこの山下駅だろ?」
また浜に捨てるのもバチが当たりそうだからタオルや水を入れてきたカゴに突っ込んでおいた。
 家で写真を見直すとビーチで太陽のもとでは反射して見えていなかったものが見えてきた。駅に隣接した暖簾を垂らした食堂。山の上の鉄塔。これらはどこの山下駅か絞り込むには十分な情報になった。つぐみはデスクトップPCでグーグルを開くと、”山下駅”でヒットした画像を見ていく。
「持って帰ってきちゃったんだからとにかくこれを持ち主に戻さなきゃいけないと思うんだけど、宮城、東京、兵庫、奈良、大阪…、まったくいくつあるのよ。それにしてもこの写真に写っている車は今じゃあ見かけない感じだなあ。色あせてるだけじゃなくて撮られた時代も古いんだとしたら駅舎も作り変えられている可能性が高いわね」
つぐみはこの捜索は簡単じゃないことを感じ、机のわきのベッドにゴロンと横になってため息をつく。
「写真の撮影地を突き止めるなんて簡単じゃないわね。あれ、待てよ…自分がgoogleの画像検索をしたということは、同じように調べる人がいないとも限らないわ!」
そう思ったつぐみは写真をなるべくきれいにスマホで撮ると、自身のSNSに片っ端からアップしてみた。
「ビーチでこんな写真を拾いました。お心当たりのある方は返信お待ちしてます!」
さっそくピンタレストにコメントが入った。
「こんなプライべートな写真を勝手にアップするなんて!」
確かにそうだった。突発的な考えのまま動いてしまったことを悔やんだ。
しばらくするとツイッターに「この駅はうちの隣町の山下駅ですがこの人は知りません。駅も相当前の建物です」という返事が来た。
人探しと思われたんだわ。それでもいいわ。間違ってないもの。でも隣町ってどこなのよ。
つぐみがそのコメントに返信すると「町名は教えられないけど、宮城県には山下駅は一つしかないと思う」と返ってきた。
やった、これで間違いない。
つぐみは駅宛に郵便で送ればいいと思ったが、こうなってくるとちょっとここへ行ってみたくなってきた。
常磐線かあ、まとまった時間ができたら行ってみようかな。
つぐみは写真をベッドサイドテーブルに置くとそのままうとうとした。

***

 菜の花畑を1両編成の車両が走る。照りのある茶色い車体で、各窓枠は太めに白でペイントしてあるので、どことなく北欧っぽい雰囲気の車両だ。小さな流れにかかる橋に差し掛かるとき、車両の大きさに似合わない大きな汽笛が鳴った。車両はノロノロと進み、やがて菜の花の中に消えていった。さっと吹いてきた風が菜の花をまるで春先の波のようにゆったりとなびかせ、ウェーブとなって景色に動的要素を与える。ひばりであろう、よく通る鳴き声が同じく景色に快美な効果を添える。その景色は実際のものなのか、映像なのか判断がつかない。確かにその風が私のほほをなでることはなかったし、菜の花の香りを風が運ぶこともない。きっと映像を見ているのだ。それにしてはモニターやスクリーンの宿命であるフレームがない。私は混乱し自分の手を目の前に持ってこようと思うが、それがなせない。そうしているうちに黄色一面の菜の花畑が、次第にその色を失っていき、やがて黒一面へと暗転した。がしばらくするとその黒は真っ黒ではなく、少しグレー寄りであることに気づき、さらに注意を向けると、小さな白い粒がそこに充満していることがわかる。それはいつかネットで見たジェイムズウェッブ宇宙望遠鏡のとらえた映像のようであるが、白い粒は星ではなく逆に肉眼ではおよそ見ることのできない素粒子であることが分かってきた。それを見ているというのはどういうことだろう?私はすでに死んでしまってどこか違う次元にいってしまったの?それは悲しい、とても悲しい、まだ死にたくない…

        ***

 閉じ切っていなかった遮光カーテンのすき間から強い朝日が刺し込み、つぐみのショートパンツから出た引き締まった無駄のないふとももを照らすと、その熱で目を覚ました。あれ、死んでなんかいない…。寝ぼけながらも今のが夢だったことに安堵する。

「つぐみ先生、そのポーズはキツくてなかなかできません!」
「あずさちゃん、そろそろポーズじゃなくてアーサナって言いましょうよ。ヨガってストレッチじゃないのよ。大地からプラーナを感じ素粒子を感じ宇宙を感じそして摂理を知るの。感じたプラーナを体の上へと通すのは素粒子の通電みたいなものよ。どう通電するか試行錯誤の末あのアクロバティックな動きになったわけ。形より先に感じることから始めてみて」
「わかりましたぁ…あ痛たたた…」
 毎朝こうして材木座ビーチのマット上で、宇宙においては一種異物といえる ”海” という創造物に向き合っている。大気に包まれたビオトープと言える地球の必須アイテムが海だ。寄せては返す波のメトロノーム、潮汐のルーティンワーク…。こうしてここでプラーナを感じてきたが今朝はいつもとは異質だ。あの夢は目の前の海が次元的に超越した真の姿を見せたものだった気がしてきた。海の上を人が歩くことはできないが素粒子は通電していて地球をぐるっと繋いでいるのだと。

「あの写真、落とし物なんかじゃなくて災害で流されたのがここまで漂着したものなんじゃないかな。いえ、それは物理的な現象なだけであって、何かの意思が素粒子のネットワークで私にメッセージを送ったものに違いない。ウパニシャッドだと夢は意識が内側に向かっている状態なのよね。考えたこともない景色を夢に見るってことは、あの写真には私の心を動かす何かがあるってことなんだわ。やっぱりなるべく早いうちにあそこに行ってみるしかないわね」

12別れの歌

別れの歌ほど聴くがいい
今は薔薇色と気づくから

別れの歌ほど聴くがいい
奈落の底にも友がいるから

別れの歌ほど歌うがいい
まわりが次第に見えてくるから

別れの歌ほど歌うがいい
この世の未練が消えるから

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