見出し画像

娘のための世界史6 ヨーロッパ史2

娘のための世界史6 ヨーロッパ史2 中世史

勝手な「中世」の定義

 ここでは「中世」の始まりを、ゲルマン人がおおかたの移動を終えて西欧各地に定着した後の時代と定義します。まあ5~6世紀以降です。ゲルマン人の族長は「王」を名乗り、武力をもって占領した土地の「王」となり、支配地から収奪します。そんな国があちこちに乱立します。西ゴート王国(南仏からイベリア)、東ゴート王国(イタリア)、ヴァンダル王国(イベリアから北アフリカ)、ブルグント王国(中仏)、ランゴバルト王国(北イタリア)、さらにブリテン島のヘプターキー(七王国)などです。

 「王」は現代英語でkingですね。ドイツ語だとKönig(ケーニヒ)、オランダ語koning(コーニング)、ノルウェー語kongen(コンゲン)などゲルマン諸語では、ゲルマン祖語のkuningazから派生し、その意味は同根の現代英語のkin「血族、親族」です。この時代の「王」とは、「一族郎党の長者」ぐらいにとらえればいいでしょう。

 のちには「王」号には、キリスト教会の承認や他国との力関係などからさまざまな権威付けがなされていくのですが、今はまだ王自らの「実力」次第でした。それは支配地の支配権も同様です。

 さて、これらの国々の王は、とくに大陸側ではわりあい早い時期からキリスト教に改宗していましたから、その社会は「祈る人」聖職者、「戦う人」ゲルマン人、「耕す人」土着の農奴、という身分構成に分けられていました。もちろん圧倒的に「耕す人」が多く、支配者のゲルマン人は2パーセントとかそこいらへんしかいませんでした。


暗黒の中世=ブラック・ミッドエイジ

 ところで、かつて平成不況が始まった頃、その不景気ぶりをリポートしようという企画で、タクシー近代化センターの前で研修を終えた人をつかまえて話を聞いたことがあります。

 その人は不動産関係の元社長で、”帯封のKさん”の二つ名で知られた遊び人でもあったそうです。競艇場にいつも帯封が付いたままの百万円の束を持っていっていたからです。だから、いっときは羽振りがよかったのでしょう。
 Kさんによると、「従業員たちから生活が苦しくなったと訴えられて、人情で金を融通してやったりしたんですが、結局、消えちゃった。持ち逃げですよ。それやこれやでもう会社を畳もうと思って…」
 そして、こう続けた。「社長とはピンハネ業だと心得てはいたんですがね」

 「社長とはピンハネ業」この言葉が印象に残っています。

 あるとき、うすらぼんやりと中世ヨーロッパのシステムのことを考えていて、ああ、そうかと思いました。領主とは社長のことで、その荘園が会社、農奴は社員だ。すると、領主はピンハネ業ということになる、な~るほど。と、自己満悦に浸ってしまいました。

 そうなんです。中世の農村社会とはブラック企業のごとし、だったかも。

 まあ実際、ローマが直接支配していたころは、ある程度、制度も整った大規模農場だったりしたところもあるようですが、ゲルマンの蛮族がやってきてからは、農奴ひとりひとりと王との直接雇用的な契約関係で、村落共同体としての発展は停滞していました。当然、農法の技術革新もありません。暗黒の中世とは、こういうところを指して言うんですね。


 みなさんがヨーロッパの中世を初めて知るきっかけになったのは何でしょうか。私の場合、手塚治虫の『リボンの騎士』という漫画・アニメになります。幼稚園頃ですかね。もちろん、これがヨーロッパの中世を舞台にしているなんて知る由もありませんでしたけれど。

 漫画の設定は、ヨーロッパの小国の王女が、女では跡継ぎになれないからと男として育てられ、そこに天の神の使い(天使)がいたずらで魔法をかけて一層、男っぽくしてしまい…というものでした。ただし、これは中世は中世でもかなり後期のもの。少なくとも10世紀以降、おそらくさらに下って14~15世紀と考えてもいいでしょう。

 オランダの歴史家ヨハン・ホイジンガーに『中世の秋』という著作があります。私は学生時代、「春中世」と「秋中世」という概念をでっちあげて、論考として提出した覚えがあります。何担当のどの先生に出したか、どんな内容だったかはほとんど覚えていません。

 ただ、言いたかったことは、ホイジンガーが言った「秋」は終わりを意味させていました。もうすぐ中世は終わるよ、近世または近代に入るよという「秋」の使い方でした。

 私はたしか10世紀前後で中世を前後に分けました。それはたしか、「三圃農業」による収穫量の増産による主従関係の変化に注目したものだったような気がします。

 今は、当たらずとも遠からずというか、やっぱり10世紀辺りで中世を二分するのは間違っていないような気がします。ですから、リボンの騎士は「秋」の時代です。この時代については、次の執筆になると思います。もし、私が勤勉ならば、近日中に公開、乞う、ご期待!!

「春中世」

 で、前半部分の「春中世」です。春は芽生え、新生、始まりというモチーフをまとっていますが、まあ、ただの前半だと思ってください。

 ありていに言って、繰り返しになりますが、ゲルマン人のジャイアン(←ドラえもん)が腕力に物を言わせてえばっている世界です。ただし、えばれるのはリーダーとしての実績があること--たとえば、民々を豊かにした。それが略奪であっても--は言うまでもないですね。

 次に「世襲」を考えましょう。ジャイアンの2代目、3代目はどうなるでしょうか。息子だから、孫だから、自動的に「王」を継承できるのでしょうか。


 できるんです。なんせ、さっきkinと申し上げた通り、「血本主義」の社会ですから。ただし、セーフネットも用意されていました。

 それが慣習法で、ゲルマン人の場合、「サリカ法典」が有名です。乱暴に言うと、分割相続です。偉大な親であっても、子に分割相続される。すると、権力は小さくなる。そこに、新しい新鮮な新権力ワナビーのつけ入る隙ができる。それが、イノベーションにつながる。という仕組みではないかな。

 ちょっと、ワインを一本空けて書いているので支離滅裂になったけど、一応、このまま上げますね。

 末子相続という文化があります。長男ではなく末っ子が親の「家督」を相続するという文化・慣習です。子供が多い場合-とくに多妻制では-、長男と末っ子は親子ぐらい年が離れていますから、親が死んで長子に家督を譲っても、すぐにその長子も末期高齢者となってしまいます。それを回避できる知恵ですね。

 おっと、ヨーロッパの中世に戻らなくちゃ。

以下、続く。てか、続けるつもり。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?