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霞が晴れることはなくても 七緒栞菜

学生時代をあまり思い出せないのが悩みだった。
学校へ行き渋っていたという記憶だけが頭の中でずっと霞んでいた。

情けないくらいほとんど毎日腹痛がして、それでも毎日どうにか切って貼ったような笑顔で通い切った。そんな記憶。そんなものだから、あまり思い出そうともしていなかったのかもしれない。

8年ぶりくらいに中学時代の生徒会の友人たちと会った。みんなは、月日を経ても、変わっていながらも変わっていなくて、これからも会い続けたい人になっていた。出会いなおした気分だ。

私の中でぼんやりとなかったことにされてきたけれど、確かにあった学生時代の明るい過去が、昨日、ぐっと今に引き寄せられたように感じた。

楽しかった学生時代が、私にもちゃんとあった。

学校に行きたくなかったという記憶だけがずっと頭を渦巻いていて、もっと大切な何かをぽっかり忘れていたのだと思った。

「生徒会に入ってよかった?」
「本当に、よかった。」

昨日うまくまとめられなかった話を、もう一度考えて言葉にして書き留めておきたいと思う。

生徒会をやった今と、やらなかった今では、おそらく確実に違うものになっている。生徒会でやったことが直接的に今に役立っているかと言われれば、そんなものはわからない。でも、生徒会の経験は私の形成に何らかの影響を与えてきたはずだ。

文筆家の土門蘭さんが「本を読むことは色水に布を浸すことに似ている気がする。」といった趣旨の投稿をされていた。色水に浸す前とあとでは一見差は見られないが、実はほんのり色づいている。風合いが残る。何かを読んで面白かったことは覚えているけれど、内容は忘れてしまっていることがある。でもその「読んだ」という経験は、その人の中にうっすらと何かを残す。

まさに、そんなイメージだ。

良いことであれ悪いことであれ、経験というのはそういうものなのだと思う。色づけられて、塗り重ねられて、気づかぬうちに染みついている。

私はネガティブだから、うっすらと塗り重ねられてきたはずのさまざまな色の中の、ぼんやりと暗い色にばかり目を向けてしまっていたのかもしれない。ちゃんと目を向ければそこには確かに明るい色もあったのに。

生徒会の経験は、私に明るい色を残してくれている。昨日こうして出会いなおせたことも、昔のことを思い出してみんなで笑い合えることも含めて、すべてが大切にしたい色としてこれからも残っていく。そんな風に思えた。本当に、昨日の夜は清々しかった。

この先、霞が晴れることはなかったとしても、その向こうに晴れ間というか、明るい場所が確かにあったことを信じられるようになっただけで、救われるような思いがした。

卒業してからあまり目を向けられずにいた過去に目を向けなおして、確かにあった大切にしたい記憶を思い出させてくれたみんなに本当に感謝したい。昨日、直接伝えたけれど、本当にありがとう。これからも、よろしく。だよ。


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