精神科、閉鎖病棟にコロナが来た話

退院の2日前、いつになく緊張感に満ちた放送が病棟に響いた。

「病棟内にコロナウイルス陽性者が出ました。今後の対応は随時連絡いたします。ここは病院なので落ち着いて行動してください。」

これを聞いて落ち着いていられる人はなかなかいないのではないだろうか。
ましてや精神科病棟である。なるようにしかならないと理解するのも難しい人がたくさんいるのだ。

私は結構興奮していた。
自分はコロナが下火の時に入院したが、何の検査もなく受け入れてくれた。自分が大変な時に受け入れて貰えなかったらどれだけ大変だっただろうか。そういう条件下で助けられたのだ。病棟でのコロナ感染はあり得る事だと思っていた。少なからず覚悟はしていた。
だからわりと落ち着いて居られたし、家族には笑って電話した。「間に合わなかったわー。どうなるかわからないわー。」なんて連絡をした。
とりあえず病室では騒げないし、病室で落ち着いていられる人は面白くないので、ホールともう一つのスペースにいることにした。

病室を出ると若い男の子2人が病棟内を興奮しながらウロウロしていた。一人の男の子はどうなっちゃうんだろうくらいでいたが、二十歳の子は「ヤバい!俺、死んじゃうよ!」と泣いていた。「そのキャッチ力すごい。」と心の中で思いつつも、「娘の保育園でうつらなかったし、罹っても若いから死なないよ。」と励ました。言葉はたぶん届いていない。

やっぱりここは病院なのだ。みんな心のバランスを崩しているのだ。テレビで大騒ぎのコロナが身近にやってきたのだ。それほどでないことも本当に大きくなってしまう。不安障害とは本当に相性が悪い。

いつも私がいたもう一つのスペースに行くと、アルコール依存症のOさんが新聞を読んで落ち着いていた。私もスケルトンを取り出して解きながら、Oさんに「大変なことになっちゃいましたねー。」と話しかけた。笑いながら「ホントですねー。」と軽く話した。アルコール依存症の方は落ち着いている方々がほとんどだった。アルコールさえ飲まなければ普通の人で、もしかしたら普通の人よりも強いかもしれない。壊すまでアルコールに耐えられる身体と心があるのだ。

Oさんは落ち着いているけれど30分くらい同じ紙面を見ていた。少なからず動揺しているのだろうかと少し心配になった。

病棟内は窓を開けない方針の病棟で、換気もどうなっているか分からない。個室でうんこをぶちまけた人が居れば病棟内はうんこ臭くなる。本当にどういう仕組みか分からない。高齢の患者さんも多かったので、暖房は暑いくらいに効いていて、湿度は湿度計で測れない位に乾燥していた。いつも顔以外の保湿なんて気にしないのに、身体中が乾燥でピリピリしていた。

他の科であれば今の時期は加湿器をガンガン効かせているが、精神科病棟では本当に生きていくための最低限の設備しかない。加湿器は凶器になるし、アルコール消毒液は依存症の方が飲んでしまうかもしれないし、自殺願望があれば毒になるからトイレにも洗面所にも置いていない。本当にリスクは高いのかもしれないと思った。

もう一つのスペースに続々と人が集まり、先ほどの男の子2人とうつ病のIさんが集まってきた。Iさんは大分参っていた。病棟が封鎖になり、一歩も外に出られなくなることにひどく落ち込んでいた。私は医療保護入院で最初の3週間は病棟から一歩も出られなかったが、彼女は任意入院で病院の周りまで外出が自由で、外出中ならスマホを使うこともできた。それが当面できなくなるのと、見通しが立たないことを不安に思っていた。Oさん以外はみんな早口で言葉を交わしていたように思う。  

もう一つのスペースを追い出され、仕方なくホールにいると、近くにいたからという理由で一番乗りにPCR検査を受けた。もう一つのスペースが検査会場になったのだ。検査方法は鼻。もう3回目なので慣れたものだ。

感情障害、アルコール依存症の人の検査は順調に進んだ。状況の理解ができるからだ。二十歳の子だけが鼻からの検査にビビッてトイレに隠れたりしていたが、諦めて検査を受けていた。統合失調症の方と認知症の方は現実と症状の区別がついている人はすんなりと受けられたが、なかなか話が通じない人は面白いくらい検査を拒否していた。

薬を飲んだり入院検査を受けたりご飯を食べたりできるのに、何故かPCR検査だけはうまくいかない。「私は関係ないから受けない」「私は大丈夫だから受けない」と分かっているのかいないのか、本当に話が通じないことだけはよくわかる状態だった。

PCR検査にびびっていた二十歳の子が「俺も受けたんだからおじいちゃんも受けないのはずるい!」ともの凄く利己的な説得をしていたのが面白かった。認知症のおじいちゃんをそう簡単に説得できるわけないだろう。彼の行動のパターンを変えていくのが治療なのであろうが、なかなか難しいだろう。

夜になって病棟内は少し落ち着いた。ソーシャルディスタンスを意識してか、病室から出てこない人が増えた。私はいつも通り、もう一つのスペースにいたし、うつ病のIさんと若い男の子2人も集まってみんなの落ち込みを聞いていた。話半分で聞くために、病棟の新聞を読みながら聞いていた。昼間に落ち着いていたOさんが30分位見ていた紙面に着くと、間違え探しの本の宣伝が載っていた。例題で載っていた間違え探しを誰かやった跡がある。

「Oさん!やりやがったな!」

Oさんはいつも以上にいつも通りだった。ちょっとだけ心配して損した気持ちになった。


次の日にPCR検査の結果が出るとのことだったが、検査が混んでいていつになるか分からないという事態になった。

病棟内はかなり混乱した。症状が軽めの方も外に出られるのはいつか分からずイライラし始めたし、私の退院はどうなるのか、看護師さんにはとりあえず諦めるように言われたので、外に出られるまで救援物資をどうやって手に入れるかを考えていた。

午後になって、PCR検査の結果を待たずに次の日に退院する事になった。看護師さんもバタバタしていて詳細が全く分からないので家族に連絡したら、家族の方が色々状況を説明されていて、そこで初めて情報を得た。

結果が分からない状態で家族と合流するのはどうなのか、車で迎えに来てもらうので車でうつさないようにするのはどうしたらいいのか、本当に退院していいのか、色々考えた。

でも病院は看護する人数は一人でも少ない方がいいし、医師からの放送で、

「隔離の患者さんで濃厚接触者はいません。万が一感染者が出ても、ここは病院です。55歳以下の患者さんには普段の風邪と同じ治療をするので安心してください。」

と、全く安心できない放送が流れたので、退院して何とか家族と合流しないのが一番ベターだと思った。

みんなが不安な中、一人だけ外に出られるのは申し訳ないし、心が乱れるのが一番申し訳ないので、同室の人とOさん、Iさん、若い男の子の二十歳の子じゃない方の3人にだけ退院が決まった事を伝えた。

とりあえずみんな歓迎してくれたが、本当に申し訳ないのですぐに話を反らした。退院前はみんなソワソワして落ち着かないが、私はとにかくどうなるか分からないので、ソワソワもせず、みんなでいつも通りテレビのクイズを見ながら楽しく過ごした。お互い楽しむしかないので本当に楽しく過ごした。

次の日は時間までゆっくり過ごし、同室の方とグータッチをして病棟を出た。最後に医師との面談があり、PCR検査が陰性だったことを伝えられた。

安心して退院し、翌日に病院のHPを見ると1人にだけ陽性とのことだった。感染したのがその人経由なのか無症状でどこかでもらったのか分からない位に思っていた。

更に1週間後にHPをチェックすると、患者さんも従事者も数十人単位で感染していて、完全にクラスターになっていた。退院を決めて良かったし、私もオミクロンの症状はない。ギリギリセーフだった。でも病棟の人たちのことがとても心配で、気になって気になって仕方ない。医療従事者の方には感謝しかないし、後遺症がないように祈るばかりです。


今は落ち着いたとの旨が病院のHPに載っていたのでコロナ忘備録の一つとして。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?