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一人であることが怖くなくなった話

誰かに関心を持ってもらうことが生き残る秘訣だった

自分という人間が、誰からも見向きもされず、忘れられたり、無視されたり、のけ者にされることは、自分の恐怖だった。そんな恐れを持ったのはいつの頃だったのだろう。きっと最初はその注目して欲しい誰かは親であり、それは生き残るために必要な獲得すべき関心だったのだろうと思う。

成長と共に、私たちが関心を向けて欲しい相手は親だけではなくなっていく。友人だったり、関心のある人だったり、時にはもう誰でもいいから、自分に優しい言葉をくれないかとさえ思ったりする。それが実現しないから、拗ねてみたり、悲劇のヒロイン気取りで絶望することもある。ちょっとでも、誰かの息づかいを感じたくて、SNSやメッセージで、自分の存在をアピールしたり、忘れ去られていないかを確認したり、異性からの優しい言葉で喜一憂したり。

認めてもらいたい欲求

私たちの多くは、いいね!や賛同が、自分の価値を上げてくれるような気がしたり、架空の自分を作ったり、逆に落ち込んだり、疑心暗鬼になったり、誰かの真似をしてみたりする。みんな、忙しそうに見えるけれど、自分を認めてもらうことに必死だ。ご多分に漏れず、私も必死だった。その時はそんなつもりではなかったし、言い訳ならたくさんできるけれど、要は、一人じゃないと確認したかったし、自分を認めてもらいたかった。

誘い合って、ごはんに行ったり、お茶したり。自分たちが正しいかのように勝手な判断とそれに付随する愚痴を言うのだ。スッキリしたように思えても、しあわせでは決してなかった。自分の中には新たな判断や批評がうずまくし、世界は奇跡的に変容したりしなかった。

孤独への恐怖

外で一人でいる時は、肩身が狭い気がした。心許ない気持ちを味わって、誰かに傷つけられないように、わざと固い顔をして多少のことには動じないように振る舞って見せたりもした。誰にも私が一人で不安に思っているなんて知られたくなかったのだ。

自分がいないところで、自分のことを批判されたり、非難されているのかもしれないという妄想も私を苦しめた。みんなの態度がちょっとおかしいだけでも心拍数が乱れる感じがした。私は一人になる勇気もないし、みんなといてもどこか安心できなかった。

所属していても感じる違和感

かといって、何かの組織やグループに入っていても、ここが自分のためのスペースだと安心できるところはほとんどなかった。ここだと思っても、後でやっぱり違ったと感じたりするのだ。心を開いて、自分らしく居てもいい場所はどこにもなかった。だからこそ、程度の差はあれど、受け入れられる人間に自分を寄せて、うまく振る舞った。「世間はこういうものだ」と理解することに努めて、「こうすることで受け入れてもらえる」というポイントを探した。所属している自分以外の人たちは、とても楽しそうに見えた。私も楽しそうに振る舞った。何とかここにいる私とは違うのだろうと思った。

逆に、所属がベストと思っていた時期は、集わない人や孤立する人、合わせられない人を気の毒に思った。彼らは孤独ではないのだろうか。誰かと一緒に居なくて平気なのだろうか。「私には無理だ」と思った。その時、私が生き残る道はそこしかないと思っていたのだ。

所属欲求から卒業させられた

ところが、自分が特別に何か変えたわけではなかったけれど、時間の経過と共に、所属していた場所から自然と出ていくような流れがやってきて、それが続いた。それは自分から「もういいような気がする」と思ったりもしたし、物理的な問題で会えなくなったりして、卒業のような感じで抜けたりと、その行程はさまざまだったが、何年もかけて、私の所属していた関係性は顔ぶれを変え、そして、ずいぶんと淘汰されていった。

淘汰されても、頑張って付き合っていく道もあったのだ。でもなぜか「これでようやく終わる」という感覚を味わった。それ以降、同じような関係性を再構築しようとは思わなかったし、卒業できる喜びに浸る自分が意外だった。私の長い〈擬態の時期〉が終了したと思った。長い間、救いを感じて選択していた、疑似の安全地帯をようやく出る時期が来たのだ。

人間関係が断捨離され、ずいぶんすっきりしてからは、安心できる関係や素でいられる人と関係が細々と続き、その顔ぶれも多少変わりながら落ち着いていった。私のカムフラージュしていたメッキはパラパラとはがれ落ち、世間様とお付き合いするときだけ、ちょっとサングラスをかける程度になった。なんだか寂しいような、心許ないような気も最初はしたが、そのうち、それがいかに心地いいことかが分かり、味を占めてからは、前向きに一人を楽しんだ。

そんなころに、「奇跡のコース」のことを、ひょんな会話から拾って知ったのだ。

源は全てが繋がった特別な個

コースの学びを進めるうちに、私がこれまで積み重ねてきた認識はボロボロと崩れた。そして、最後には本体さえもなくなっていった。本体で生きてきたというのに。これを維持するためにここまで努力してきたというのに。

でも、そのプロセスは自然で、自分から「…ということは、これは必要ないいってわけか…」というふうに、理解が進むと〈無駄なものを大事にする意味〉が分からなくなり、次の段階にと進めたのだ。

そこでは、私は個ではなかった。宗教でも心理学でもなく、もちろんカルトやトリックでもなく、こんなことを学べるチャンスが来るなんて、想像もしなかったけれど、自分の源について振り返るチャンスを私は得たのだ。

学びが深まるほどに、私はこれまで不可解に思っていたことの答えを得、それから一人という感覚が思い出せなくなっていった。今も私は部屋で一人、これを書いているけれど、一人の感覚はまったくないのだ。むしろ、何かとつながっている気がする。もう一人にはなれない感じがするのだ。

孤独という感覚を取り出そうとしても、「あの頃それがとても怖かったなあ」ということくらいしか、思い出せない。

真の意味で孤立することは不可能だった

孤独や孤立が〈エゴのトリック〉だったことや、その恐れや不安こそが〈エゴの望み〉だったことが今では分かる。どうやっても起こりえないことを、私たちは夢の中で危惧し、怖がっていただけなのだ。正体が分かれば、怖がる必要がなかった。

私たちは決して離れられないし、分断されたようにもし見えたら、そういう幻想を見ているだけなのだ。

源としての自分

私たちは絶対的で唯一の源と繋がった存在で、私たちそれぞれは、《海の中の波》に例えられる。つまり、波は個として孤立できず、源である海とも言える。その波が見る夢のチャンネルは2つしかない。私たちはいつもどちらかを選ぶ。自分自身である愛としてチャンネルか、エゴによる分離への恐れのチャンネルか。

〈海としての自分〉をいつ思い出すか、それぞれに自由意志で決められるらしい。

長い間悪夢を見てきた気がする。そろそろ、チャンネルを固定して、本当の自分を思い出したいと思っている。







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