サーピチョンピピチョピチョサと秋雨かな
季語:秋雨(三秋)
サーピチョンピピチョピチョサとしゅううかな
大胆にオノマトペだらけの一句
1日中雨が降り続いた情景をオノマトペだらけで詠んでみた。外で降り続く雨音をオノマトペで表した。
どうしてこのような発想に至ったのか、心情や雨に対するわたしの思いといったものを、お伝えさせていただきたい。
雨は嫌いではない
2020年10月22日。目覚め前から雨が降っている。日が暮れても相変わらず同じペースで降っている。
外出が面倒になる、ウォーキングができない、低気圧頭痛がするなど、わたしにとって雨によってもたらされるデメリットは少なくない。
ましてや昨今は大雨による災害も多かったので、雨足が強まると色々と不安にもなる。
それにもかかわらず雨が嫌いでないのは、雄弁に季節を写しだしてくれるからだ。
季節ごとの雨の姿
春は柔らかな印象で一雨ごとに暖かさを運んでくれる。
夏は激しい夕立で、熱くなった地面を冷やしてくれる。
秋は冬の訪れを予感させると同時に、花や紅葉をみずみずしく彩ってくれる。
冬はときにみぞれや雪に姿を変えながら、温もりのありがたさを思い出させてくれる。
これらは季節の雨のほんの一面でしかない。雨は表情ゆたかに、季節ごとの人と自然の営みを物語ってくれる。
今日の秋雨にもらったもの
あきさめとも読むが、今回は「しゅうう」とかなをふった。字数の問題もあるが、それより響きと重さを重視した。
あきさめと読ませたければ、最後の切れ字を「か」のような1文字のものにすればよい。あきのあめすると、切れは弱くはなるが、それでも句としては成立する。
ただ、その前が全部オノマトペによる軽いリズムで構成しているので、あきのあめやあきさめ、だと後ろが重たくなる気がしたのだ。
30分くらいだろうか。目をつむり、雨音だけに集中してみる。
常になり続けているのはサーという雨の降る音だ。はるか上空から雨粒が落下するときにする音なのか、空気中で雨粒がぶつかって生じる音なのか。理由はわからないが、継続してサーという音が聞こえる。大雨だとザーと聞こえるので、落下する水の量に関係があるのかもしれない。
継続するサーをベースに、様々な音が混じる。道路の水たまりを打つ音。ガレージの屋根を打つ音。屋根伝いに溜まった水がまとめて落下する音。ごくまれに車やバイクが、水たまりを蹴散らす音も聞こえる。
聞いていた30分余りの音を全て擬音で描写しても、わけが分からなくなるだろう。そこで、印象的な音と雨のリズムを俳句の17拍のリズム上で再構成したのが本日の一句、雨からもらった恵みである。
俳句とミュージックコンクレート
作曲技法のひとつにミュージックコンクレートという手法がある。録音された現実音を編集、加工し、オリジナルな音構成、響きの作品に仕上げてゆく技法だ。
拙作ではあるが、以下のリンクで聴ける音楽もミュージックコンクレートの技法を利用したものである。
サーピチョンピピチョピチョサと秋雨かな
30分の間に聞いた雨音は数百にもなるだろう。それをわずか17拍の言葉で表現する。しかも聞こえた音を文字化、言語化するためにオノマトペを用いた。
俳句とミュージックコンクレートは、全く似ても似つかない表現方法だが、感動や驚きを切り取り、別の形に再構成するというプロセスはよく似ている。
アートには多くの技法があるが、本質は感動や驚きなど作者が心動かされたものをいかにアウトプットするかの違いにすぎない。ふとそんなことを考えた1日であった。
最後までおつきあいありがとうございました。スキもいただけるとうれしいなぁ・・・
本質的に内向的で自分勝手なわたしですが、世の中には奇人もいるものだなぁーと面白がってもらえると、ちょっとうれしい。 お布施(サポート)遠慮しません。必ずや明日への活力につなげてみせます!